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先生たちの不登校は個人の問題ですか。

現在、日本の不登校児童数(小中学生)は約20万人、
全体の2%程度いると言われています。
その一方で、みなさんは、不登校の先生がどの位いるか、
意識したことはあるでしょうか。

学校という場所が生徒たちにとっていたたまれない場所であるとするならば、
それはある種の先生たちにとってもそうなのではないかという推測はできませんか?

先生たちの中で精神疾患で休職している先生方は、
約0.6%、5000人程度だそうです。
多いと思いますか、少ないと思いますか。

この何倍もの先生方が、うつ病やうつ状態を抱えたまま、
過労や心労でふらふらになりながら、勤務を続けておられると思います。
あるいは、そうとは言わずに退職してしまう先生もいらっしゃるでしょう。

小中学生には退学という選択肢はありませんから、
全て不登校とカウントされ、いわゆる「不適応」状態が続くわけですが、
先生たちには退職という「手」があって、
その数値はカウントされていないのです。

(子どもたちは必ず小学校に入学してきますが、先生たちは自分でその職を選んできます。そして、給料ももらっています。その時点で、学校に通う動機付けが違います。その中での0.6%なのです。2%に比べて少ないと言えるでしょうか)

私は、東京都教職員職場復帰訓練の初代非常勤心理職でした。
1990年頃です。
その頃すでに、子どもたちの不登校に引き続いて、
学校の先生たちの不登校が始まっていたのです。

そのことについて論文を書いたところ、
メディアに知らせないようにと、
教育委員会から研究室に電話がかかってきました。

それから30年。
休職している先生以外にも、
私の周りでは、さまざまな理由で、
転職する先生、フリーになる先生が増えています。

隠したところで、状況は悪くなる一方です。
教師のバトンが、悲惨なことになってしまったのも、
ダメなことをダメと言えない、無理なことを無理と言えない、
あるべき(と一部の人が信じている)形を通そうとする、
学校という場の文化、風土に問題があるからではないでしょうか。

そんなことを書いて、教員志望者がますます減少したらどうするのだと
言われるかもしれません。
いえ、私自身がそう思いました。
でも、もう気づかれているのですよね。
すでに手遅れかもしれないけれど、
隠すよりも、問題を明らかにして、対処しなくてはならないと思います。

子どもたちの不登校とどこが同じでどこが違うでしょうか。
学校にいるのが「いたたまれない(居た堪れない)」のではないですか?

ある学校の先生からこんなことをうかがいました
(改変しています。文責は私です)。

**********
精神疾患で休職している大人たちの様子を見ていると、
どうも小学校時代に受けた教育が、
大人になってから精神状態を悪化させる元になっているのではないかと思うようなことが多くあります。

「ちゃんとしないといけない」という強迫観念が強くて、
それがストレスとなって心苦しくなるということが
起きているようなのです。

学校では、「ちゃんとしなさい!!」と大声で怒鳴って子どもを叱りつけている場面が多くあります。
もしかしたらこういうことが重なって将来のメンタルヘルスの不調を引き起こしているのではないかと思うのです。

子どもである間の不登校だけでなく、
その時点では不登校でなかった子どもたちも
大人になってからのメンタルヘルスに影響するような経験をしているかもしれない。

そのことにどうしたら学校の教職員が気づけるか、
本当に難しいなあと痛感しています。
************

こういうことに気づいてしまう感性の豊かな先生が、
精神疾患で何年も休職なさっているのです。
学校に適応できずに、不登校になっておられるのです。

これはその先生が問題なのでしょうか。
学校文化に適応できないのは、個人として心が弱いからでしょうか。
(子どもたちの不登校も最初の頃、そう言われていましたよね。
 今でもそう思っている人たちがいますよね)
人間誰しも、問題のない人などいません。
だから、休むような状態になったら、
いろいろ分析されて、その個人の問題にされてしまいます。

(学校側の要因ではない場合も、もちろん、普通の社会人同様にあります。
 教員養成大学の場合は、大学4年間の途中で免許取得を止めるというのが
 今もなお、難しい(日本の場合は、海外の多くの国と違って、不適応な学    生もきちんと退学させない)から、教員になるのは無理ではないかという       
   学生が、教員になってしまうということもしばしば起きています。そうい    ったことなどは、また別の問題です)

でも、これは、個人に起因する精神的な病、なのでしょうか。
それとも、学校という文化によって発症する病、なのでしょうか。

うつ病は、真面目さを緩めるとよくなることがあります。
追い詰められている状況を回避すれば、治ることがあります。
「こうしたほうがいい」
「こうしなければなりません」
「こうしてはいけません」
「あるべき姿はこうです」
「めあてを達成しなさい」
小さい頃からそんな風にずっと言われ続けて、
自分でもそうなんだと思い込んで、
自分の中にフロイトが超自我と呼んだ「厳しい自分」が内在化していって、
自分を責めるようになっていきます。
それが、学校教育の中で「よいこと」と信じられています。
「よい子」であることが「よいこと」であると思われています。

それを信じている先生たちがたくさんいる中で真面目に適応しようとして、
苦しくて耐えられなくなる子どもや先生が出てくるのではないでしょうか。

その規律を弱める、自分で定めるトレーニングをして、元の学校に戻るか、
そうしないで(できないで)ひきこもり延長、退職するか、
ぼろぼろになって動けなくなるか。

警察官や消防士など、規律が厳しい職業ほど、追い詰められた時に禁じられたことをする(けれど表にはなかなか出ない)という話を、その家族たちから聞いたことがあります。
先生たちの異様なわいせつ行為が増えたと聞くと、私には先生たちが悲鳴をあげている象徴に思えてしまいます(これはエビデンスがあるわけではありませんし、そのうちの一部に関する推測です。だから仕方がないとかしてもいいとかそんなことを言うつもりも「全く」ありません)。
 ★ 文章の最後に付記を加えましたので、そちらもお読みください。


諸々の問題に対して、
(子どもではなく大人ですし、子どもたちを対象とする職業ですから)
個人の責任を罷免するということはできないでしょう。
そうはいっても、もっと社会(学校)の側が、社会(学校)の課題だという認識を持って対応しなければ、
  更に個人に厳しく対応する、
 「ねばならない」を強化する、
  訓告や研修を繰り返す
のでは、到底、問題が解決しないことを、
不登校やひきこもりの子どもたちに対して厳しく接してきた人たちや、
自分自身が不適応になった体験を持つ人たちは、
実感しているのではないでしょうか。

こういう甘いことを言う人間がいるから社会が悪くなるんだ、
もっと鍛えろ、という論が、必ず出てくることが予想されますが、

ここで書いたことは、甘やかす、ということではなく、
子どもの頃から、自分の行動に対して、

「先生」の声で「いけません」と言われて動くのではなく、

よくあるように、「自分で考えなさい」と言って、
先生の持っている正解を押し付けるのでもなく、

正真正銘、
子どもであれば、自分自身で自由に考えて責任が負えるように失敗を経る体験を十分に持たせて育てる、
先生であれば、自分たちで教育について自由に考えて学校運営していけるようにするということなのです。
誰か上位の人の価値観で、厳しく鍛錬して、評価して、引き上げる、
というのは、逆方向なのです。

そういう文化や風土が学校にあれば、
誰もがいやすい学校になり、
誰かが威張らなくていい学校になるでしょう。

子どもたちにも先生たちにも元気になってほしいです。

★のついた部分について、追記です
 書くことで、読んで辛い思い、嫌な思いをなさる方もいらっしゃるのではないかと、誤解を恐れ、ためらいながらもあえて書きました。そして、案の定、なのですが、厳しいコメントをいただきました。もう一度読んでいただけませんか。言い訳が許されることではないという意味のことを書きました。子どもたちの人生を考えれば、絶対にあってはならないことです。小児性犯罪の被害者のカウンセリングをしたことがありますが、苦しみ続け、人生を変えられ、回復は容易ではありません。私も憎く思います。
 ただ、人間としておかしく生まれてくる赤ちゃんはいません。
 なぜ、そのようなことが起きるかについて、人の発達に関わる方は特に、犯罪心理学などで、その発生機序を学んで知っていていただきたいと思います。



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