学校では教えてくれない法的思考 【週刊新陽 #141】
2023年も残すところあと僅かですね。皆さま、今年もありがとうございました!
『週刊新陽〜校長室から』もたくさんの方に読んでいただき、「楽しみに読んでます」「毎週見てるよ!」とお声をいただくことも増え、発信の励みになっています。
そして今年、私が挑戦した発信の一つがYouTube。「先生の学校」YouTubeで『社会を彫刻する人たち〜半径5メートルから始める社会彫刻〜』という番組が始まり、そのMCを務めさせていただいています。
7月に最初に公開されたEpisode.0(ゼロ)から早半年。
Episode.1のゲストは株式会社ボーダレス・ジャパン代表取締役副社長の鈴木雅剛さん、Episode.2は放課後NPOアフタースクール代表理事で新渡戸文化学園理事長の平岩国泰さん、Episode.3ではSHIINA organic 代表で環境活動家の露木しいなさん、と、多彩な「社会を彫刻する人たち」にお話を伺ってきました。
そこで今年最後の『週刊新陽』では、弁護士でありNPO法人ストップいじめナビの理事を務める真下麻里子さんとのトーク(Episode.4)の一部をご紹介します!
「みんな悪いよね」は、ちょっと危ない?
真下さんは、教育学部出身で中高の数学の教員免許をお持ちという、ちょっと異色の弁護士さん。その経歴を活かして、中学校に出向いて行う「いじめ予防授業」、教員や保護者向けの研修、重大事態の調査委員会の委員など、いじめと法の分野のプロフェッショナルとして活躍されています。
いじめは、「無くすというよりは、早めに発見して重大化を防止していくのが大事」と話してくださった真下さん。
法律、権利、教育、は専門家が異なったり学ぶ場が違ったりすることからバラバラに捉えてしまっているが実は繋がっている、「人権と法の結びつき」と「人権と教育の結びつき」はリンクさせられるという想いが、真下さんの活動の根底にあります。
それは子どもであっても同じ。そこで真下さんは、子どもたちの身近にある事例を使ってみんなで議論する、というアプローチで出前授業を行なっていらっしゃるそうです。
いじめについて考える時、大抵は何かきっかけがある。そして、そのきっかけ(例えば、されて嫌だったこと)に対する問題解決方法が、相手に苦痛を与えたり相手の尊厳を傷つけるようなこと(いじめ)になってしまっていることが多い、と。
だから、そうではない解決手段を選ぶという気付きを子どもたちに持ってもらうために法的観点を伝える、とある事例を話してくださいました。
DVDを借りたAさんが持ち主になかなか返さず、しかも返した時にDVDに傷をつけてしまっていた、そのせいでAさんはグループの子たちから仲間外れにされた、というケースです。
このことについて話し合ってもらうと「みんな悪いよね」という話になることが多いのだそうですが、この「どちらも悪い」はちょっと危ない、と真下さん。
DVDを傷つけてしまったAさんが毀損した価値は「財産権」。財産権の侵害は、基本的にお金を払えば回復し解決できるものと法的にはされています。一方で、仲間外れにした子たちが傷つけたのはAさんの「人格権」。尊厳や人格といったものは、(大人の世界では損害賠償などお金で解決するが)本質的にはお金を払ったからといって埋まらない。法的には、財産権と人格権の価値は違うと考えられるのです。
「みんな悪いよね」ではなくて、一旦立ち止まって考えてみよう、というのが法的な思考を学ぶ第一歩。この考え方を学校の先生や生徒自身が持つことはとても大切だと思います。
自分の内心を大事にする
今回の対談で、特に印象に残ったのが「内心の自由」のお話。
学級の揉め事で集団の和が大切にされすぎたり、あるいは兄弟喧嘩で年長の子が我慢すると褒められたりする、ということがありますが、それは根本的に何も解決しないのではないか、と私は思っています。
オランダでピースフルスクールプログラムというシチズンシップ教育を行っている学校を見学したとき、コンフリクト(対立)を話し合いで解消するスキルを5歳から学んでいることに衝撃を受けました。
ピースフルスクールでは、赤、青、黄の帽子を使って話し合いを練習します。赤は、自分の意見を一方的に押し付けるコミュニケーション、青は、本当の気持ちを言わずに相手の言い分を受け入れるコミュニケーション、黄色は、問題を解決するために話し合って一緒に考えるコミュニケーションです。
赤い帽子がだめなことは誰でもわかると思いますが、青い帽子は、ともすると争いを避けるために自分を犠牲にした、と美徳とされることが日本ではあるような気がします。でもオランダでは青も赤と同じくらいだめなのです。みんなが主体性を持って共生社会を作るために、黄色い帽子のコミュニケーションを学びます。
その話をすると、真下さんは「人は、自分が尊重されていないと感じるのに、誰かを一方的に尊重することはできない」そして「日本国憲法では内心の自由が保障されている」と教えてくださいました。
心の中で思うのは自由、だから「むかつく」と思っていいのです。でも「こんなこと思ってしまう自分が悪い」と自己否定する子が多いように感じる、と真下さんは仰っていて、人格を作る基礎部分である内面を自分自身が大切にすることが第一、と知ってほしい、と。
真下さんに教えていただいた法的な思考とは、「自分も尊重して、相手も尊重するための考え方」。
先ほどのピースフルスクールでは、いじめ防止のためにまず「いやだ、やめて、と言っていい」と教えます。そして子どもたちは「いやだ、と言われたら止める」と、いじめている側の行動を変えることをセットで学びます。
憲法でも守られている自分の内面を誰よりも自分自身が大切にして、その上で相手も尊重するためにどんな解決手段を取るか考える、という法的思考を、幼児期から学ぶことの重要性を改めて感じました。
いじめ防止はいつからでも学べる
とはいえ、高校の校長をしている私としては、高校生になってからでも学べるか、が気になるところ。
そのように質問すると、「学んでいるのは、考え方。経験値が多ければ多いほど、この考え方はこういう場合に使える、と当てはめることができる。だからむしろ中学生より高校生、あるいは大人になればなるほど、考え方を身につけて活用できる場面は増えるはずです。」と真下さん。
一方で、あくまでも考え方はツールでしかなく、何のために使うか、が大事。出前授業でも、その目的について子どもたちと共有するそうです。
考え方を身につけるのは、いじめに早く気付いて早く動ける子を増やすため。
でもそれはある意味実務的な目的でしかなく、本質的な目的は、一人ひとりが個人を尊重する考え方や振る舞いを身につけること、だそうです。
そのために、真下さんはこれからも法律・権利・教育がつながっていくように活動していきたい、子ども・先生・保護者の串を通すことにもっと尽力していきたい、とのこと。(「子ども・先生・保護者のだんごの串」など、ここに書けなかったお話がまだまだあるので、本編動画をぜひごらんください!)
ぜひ新陽でも法律の専門家の力をお借りして、人権について、生徒と教員が一緒になって学んでいきたいと思いました。