孤独はほとんど感じない
布団から出る前に
昨日のニュースの特集を思い出した。
「中高年の、お見合い・再婚」である。
誰かと一緒に暮らしたいというのは
どういう感情からくるのか、もう、あまりわからない。
お世話をするのが好きな人もいるだろうし
料理好きで食べさせたい人もいるのだろう
みんな、「あっち側の人」なのか、とも思う。
私は独りが気楽で好きだ
もしかすると
昔の配偶者に料理をとやかく言われたのはトラウマかもしれない
「餃子はこの店のこの味じゃないと認めない」的なこだわりが強かった。
自分の嫌いなものはすべて「マズイ」という。
本を見ながら再現できる程度の技術はあったと思うが
気持ちは粉砕された。
まぁ本当にセンスがある人は、それでも認めさせることもあるんだろうが
私はそこまでのセンスは磨けず、頑張れなかった。
愛がなかったんだろうと言われたら。否定はできない。
お見合いをしようと思う人は、愛し愛される関係をかつて持っていて
それが再現できると信じているのだろう。
私はあまり孤独を感じない
読んだり見たり書いたり出かけたりで上手く満足している。
(まだ体が動くからだと言われればその通り)
誰かにそばにいて欲しい とは ほとんど思わない。
月に2,3回「人と話す」時間が持てれば十分である。
今は十分。今で十分。
例えば朝 目覚めずに死んでいる とか理想なんじゃないかと思う。
発見が一月後だったりすると、事故物件を作ってしまうかもしれないが。
夜明けに苦しみながら死ぬのは? と考える
喘息の発作がひどかった思春期には
こんな風に息がうまく吸えない感じで死ぬのか と
何度も思った。
誰かが一緒にいても気づかないこともあるだろうし
救急車呼んでくれても入院しても
苦しみそのものは自分一人の苦しみである。
まぁ
強盗殺人されるのはさすがにいやだけど。
(気持ちとしては、末代まで祟ってやろうと思う 👻👻👻)
そういう犯人には
「あんたの背中に年寄りがいるよ」とか言ってやりたくなる。
「五寸釘をちょっとずつ叩いているからそのうち心臓に来るよ」って。
こういう呪詛の毒を吐くこともできるくらいには歪んでいる。
悪い奴ほどよく眠る というそうだ。
他者を道具としか思わず
「自分のせいじゃない」と心から信じられる政治家なんかには、
恨み妬みも栄養なのかもしれない。