老害の人
自慢話ばかりを繰り返しする人たち
過去の業績自慢の元社長福太郎、大病を克服したことを自慢する竹下
夫の俳句と妻のスケッチで自費出版の本を出している仲良しの吉田夫妻
わざと集合時間に遅れて注目されようとする婦人 春子
自慢大会の会合の描写も、みんな自分の事だけをずっと話し
他人の言う事を聞いていないので成り立つ とか。
そんな老人たちのことを
迷惑だと思いながら、我慢している周囲の人々。
という感じで、「業績自慢の老人の娘(明代)」の視点から始まる。
急に、引退した会社に出入りするようになって、
社員に自慢話をする80歳の父親 福太郎。
そんな中
孫が、大学進学をせず、収入の安定しない農業に就職する
と言い出したりして、話が広がっていく。
春子の息子の嫁、里枝という友人は
何かにつけて孫自慢をする
年齢だけではないという示唆がここにある。
ある時、これから業務提携をする若手の経営者が訪れた時
福太郎は上から目線で説教がましいことを言ってしまい
業務提携の話が流れてしまった。
明代はそのことに切れてしまい、
「迷惑だから老害はもう会社に行くな」と強く言ってしまう。
その後、福太郎は会社に与えられた一室を返さず、
経営には絶対口は出さないが、ここを自分たちのサロンにすると言い出す。
知性派のサキという老婦人を新たに加え「若鮎サロン」と名付けて。
老人たちは何かやろうと思うのだが何も思いつかない。
その内、ボードゲームのカフェをやろうと思いつく。
会社は、ボードゲームなどを作る会社なのだった。
ちょうどコロナ禍が始まり
外出制限がかかる頃だった。
カフェは何度も開店延期になりながら始まる。
少しずつ盛況になってくる。
その頃、病院で管理栄養士をしていた娘に子が生まれたという。
明代は「孫」に心を持っていかれてしまう。
福太郎は、「寿太郎」と名付けたということにも大喜びだ。
仲間の死もあった。
死なれた夫の失踪まがいもあった。
終わり間際の、
老人たちが自分の母親の話をする場面にはしみじみする。
老人の話ばかりかと思わせて
孫自慢の話や、消防団の話や
後継者の問題などいろいろからめて飽きさせない。
生きてきた証、生きている証 などと言われると
さて、私自身はどう感じ、考えているのか。
いろんなことを忘れ、
元々の性格だけになったような母を見ていると
そんな「証」とか言われても、と思うのである。
それは
最後の老人たちの話に出てくる
「ふっと思い出す母親」ということに収れんされてしまう。
92の我が母にも、自分の父母をふっと思い出す瞬間はあると思う。
私にだって
自分の子に「ふっと思い出してもらえる瞬間」はたぶんある。
それでいいのだ。