ノート一年目過ぎて思う事
2.3日前に、一年目完了の通知が来た。
何年か前、仕事の拘束時間が短かった時、ブログをやっていた。
20世紀になったばかりの頃は、メルマガを書いていたこともあった。
楽天ブログも、メルマガも、気づいたら入れなかった。
パスワードは控えていたのだけれど、
むしろメールアドレスを忘れていた。
ブログは、読んだ本と映画の記録が中心だったので、
ちょっともったいない。
映画の感想は、書くと忘れてしまいがちで。
メルマガには、空を飛ぶリンゴのお話を書いたりしていた。
忙しいせいにしていろいろ考えなかったこと
向き合わなかったことを今いろいろ気づかされてしまって
ちょっとおたおたしている。
(この年で今さら自分探しかよ ともいう)
臨床心理の講座に行っている時
見るからに不安定そうな人も何人かいて、
でも、二年目になると、少し明るくなっていたりして。
今にして思うと、自分もそう見えていたかも知れなくて。
講座を受講すること自体が、一種のカウンセリングになっていた。
ここに書くことが、私にとってそういう事になるとは思わなかった。
見なかった内面を見るということ。
深淵を覗くときには深淵にも見られている みたいなこと
言ってたの誰だろう。
詩を書こうとすることと重なって
もっとちゃんと「表現する事」を大事にしないと と思っている。
いろいろと雑に生きてきた自覚があり、それが自己嫌悪の元である。
雑というのは、どこかで逃げ腰になってしまうということだ。
人としてどうか。
そう詰められたら、ごめんなさいと言って逃げるかも。
(やっぱり逃げるんかーい)
今さらながら気づいたのは
私が書いているものは、結局「独り言」であって
何か伝えたいことがあるとすれば
自分は存在する ということだけだったかもしれない。
読んでくれる人を意識していないこともないが
そこでもまっすぐ届けようとしていないのかもしれない。
素直にならねば なのか
素直過ぎてこんなになってしまっているのか
微妙なところである。