シェア
1989年のSFマガジンである。 彼女のためのSF なんて言葉に誘われて買ったのだろう。 毎月買っていたわけではない。 アメリカあたりでも 性別を偽らなければ賞を取れなかったなんて話も知ったのは最近。 萩尾望都の「銀の三角」は、もっと以前に連載されていた。 1989年ころは 長男が生まれて二歳。 男尊女卑で子育て観も違う相手に疲れていて 「彼女のための」なんて言葉に惹かれたんだろうと思う。 雑誌そのものがタイムマシンみたい。 とはいえ思い出したいわけでもない。
自慢話ばかりを繰り返しする人たち 過去の業績自慢の元社長福太郎、大病を克服したことを自慢する竹下 夫の俳句と妻のスケッチで自費出版の本を出している仲良しの吉田夫妻 わざと集合時間に遅れて注目されようとする婦人 春子 自慢大会の会合の描写も、みんな自分の事だけをずっと話し 他人の言う事を聞いていないので成り立つ とか。 そんな老人たちのことを 迷惑だと思いながら、我慢している周囲の人々。 という感じで、「業績自慢の老人の娘(明代)」の視点から始まる。 急に、引退した会社に
ジョン・ケージの「4分33秒」の話を 坂本龍一さんにまつわる話の中で聞いた。 私が思い出したのは 筒井康隆の「にぎやかな未来」だった。 無音のレコードをお金を出して買わなくてはならない。 一時間の無音のために10万円。 町中にCMが流れ続け ラジオを切ってはいけないという未来。 配られる無料のレコードには、10秒ごとにCMが入る。 お金を稼がなくても、生きてはいけるが、うるさすぎる。 そこで、CMの入らないレコードを買いに行く。 私の持っている文庫は平成7年のものだ。
新書も昔はよく買った。 今もたまに買うが、ちゃんと読了しないことが多い。 週刊誌の広告ではないが 新書は題名が九割 という感じもする。 ちょっと負け惜しみ的な部分もあるが。 本の背表紙には、何か 心に喚起させるようなものがあると思っている。 文字の力だ。 そういう文字に囲まれた中で育った方が 知的な子供になる と思っていた。 結果については、語るまい。
本棚を整理していると、知らない本が出てくる。 10年以上読んでいなかっただろう本たち。 もりたじゅんさんの漫画もそんな感じ。 レディコミである。 男性社会の中で、負けないように頑張って働いている女たち。 1998年発行の漫画文庫である。 煙草を吸う女性も沢山出ていて そういう時代だったか と思ったり。 リストラ予定だったのだけれど 画像をちょっと探したが見つからず、 紙媒体では買えなくなるやつかも と思ってしまった。 結論は出ない。
特集が「夏の詩」だったので戦争の詩も多く掲載されていた。 例によって独断で気になった詩を一つ。 「沈黙の家族」という金井雄二さんの作品。 ページをあけたら「六十歳をすぎて」という言葉が飛び込んできて 母親が脳内出血で倒れたという話だった。 表現とかことば選びの妙だとか、そんなものはすっ飛んでしまって 作者の母の物語に感情移入してしまった。 ことばが出なくなった母親。 麻痺が残った母親。リハビリをさほど頑張らなかった母親。 認知症状が出始めたように反応が鈍くなった母親。
若葉荘は、40歳以上の女性だけが入居できる集合住宅だ。 トイレや風呂が共用で、台所も共同だ。 管理費を別に取るのではなく、トイレ掃除などは当番で 光熱費が家賃の中に含まれている。 しかも使っても良い食材があったり、入居者が作ってくれた 食べても良いおかずがあったり 食堂に行くと誰かいて、ちょっと会話ができたり。 そういうことが、実は孤独感から人を遠ざけるということがわかる。 主人公のミチルは、飲食店のバイトをしながら ひとりで暮らしていて 多少貯金ができるくらいの収入もあ
「傲慢と善良」の中には、「架(かける)」の女友達として 何人かの女性が描かれるが、ちょっとした嘘は当たり前で あざとくてなんぼ という生き方をしてきた人たちらしい。 たぶん「私は正直で善良」なんて仮面も被っていない。 だから 主人公の真実(まみ)の初めて発揮したあざとさが許せなかったという。 彼女たちは真実の嘘を追及し、「善良ぶって」と攻撃し 真実の「正直に善良に生きて来た」という思い込みを壊す。 真実はむしろ、不正直だった自分と向き合えずに逃げたのだけど、 彼女たちに悪意