
【4歳で虐待被害に気づいて大変な目に遭った話】
今までの記事では、とある理由から、虐待被害当事者であることは本文にははっきり書かないようにしていました。が、それだと内容によっては書きにくかったりそもそも書けなかったりするので、やはり時々は虐待サバイバーであることを本文中ではっきり明かした上で記事を書こうと思います(そういう記事は、今のところは目印の為にタイトルに【】をつけようと思っています)。
タイトル通り、私は4歳の時に、自分が親に虐待されていること、そして他の子はそんな目に遭っていないことに気付き、そのせいで大変な目に遭いました(もちろん虐待という言葉は当時は知りませんでした)。ちょうど幼稚園に入園して間もない頃でした。4歳というのは気づく時期としてはかなり早いと思いますが、気づいた直接のきっかけについてはプライバシーに関わる為ここでは触れません。尤も、その直接のきっかけ以外にも気付きやすい条件が色々揃っていたとは思います。
気づいた私は大ショックを受けました。自分の親が酷い人間なのがショックだったというより、自分の親「だけ」が酷い人間で、他の子の親はそうではないのがショックでした。自分だけが親から酷い仕打ちを受けているなんて理不尽だと思い、到底納得ができませんでした。
理不尽だから、周りの人に助けてもらわなければと思いました。でも、親に自分の話を聞いてもらったことも助けてもらったことも記憶にある限りなかった私には、言葉で「助けて」と言ったり自分の状況を説明したりするという発想がありませんでした。自分の話なんてどうせ誰も聞いてくれないと思っていましたし、年齢的にうまく説明する能力もありませんでした。
そこで、怒りと悲しみを態度で表すという作戦に出ました。いつも怒って反抗的な態度を取っていれば、幼稚園の先生や他の子の保護者が私のSOSに気づいて助けてくれると思いました。誰かに気付いてほしくて、私は怒ることや反抗を「頑張り」ました。
それで私のSOSに気づいてくれた人がいたかというと、誰もいませんでした。問題行動を繰り返していた私はすぐに、幼稚園きっての問題児として先生達や保護者達から敵対視されるようになりました。私が何も悪いことをしていない時でさえ、悪い子だからと冷たくされました。保護者が園児達にお菓子か何かを配っている時、他の子には普通に渡すのに、私にだけ「いい子にしてたらあげる」と言ってすぐにくれなかったような記憶もあります。
また、私は家でいつも親から理不尽な命令をされていたので、大人の命令は自分への攻撃なんだと思い込んでいました。そういう所では世の中のことを間違って認識していたのに、なぜか、他の子は親にそんな理不尽な命令をされていないということは分かっていました。それで、他の子が幼稚園の先生や保護者の命令に従ってちゃんと列に並んでいる時も、私は「他の子は普段攻撃されてないから、攻撃に耐える余力がある。だから攻撃に従って列に並んでいる。でも私はいつもたくさん攻撃されてもうこれ以上耐えられないから、攻撃に屈しないぞ」と思って列に並ぶのを拒み、保護者の一人に「うちの子だったらぶっ叩いてるよ!」と怒鳴られました。
そういう訳で幼稚園時代はずっと、関わりのあった大人全員から敵対視され、冷たくされて過ごしました。同じ幼稚園だった子は、引っ越していった子を除いて全員同じ小学校に進学したので、幼稚園が一緒だった子の保護者からは小学校時代も冷たい目で見られ、私が何も悪いことをしていなくても勝手な誤解で怒られたりしていました(尤も、それ以外の大人も結構酷い人が私の周りには多かったですが…)。
もしあの幼い時自分が虐待されていると気づいていなければ、どうなっていたんだろう?と時々思います。多分気づいていなければ、私は大人達の期待に一生懸命応えようとするいい子だったような気がします。虐待に気づくまでは、私は一生懸命いい子でいようとしていた記憶があるからです(ただしいい振舞いの手本が親だったので、いいことだと思ってやったことが実はとても悪いことで、怒られることも多かったのですが)。そのままいい子でいたら、少なくとも幼稚園で周りの大人達から寄ってたかって攻撃されたりはしなかったはすで、幼少期の心の傷がもっと少なく済み、その後の人生も少しはマシになっていたかも知れないと思うのです。
4歳からずっと「他の子は親から酷いことをされていないのに、自分だけがされている。しかも助けを求めても誰も助けてくれず、それどころかみんなが親の味方をして親といっしょになって私を虐める」と思い続けて育った訳ですから、色々な面で悪影響が出ます。せめてもっと大きくなってからでも理解者に出会えていたら良かったと思うのですが、そういう人には20代でカウンセリングを受けるまで出会えませんでした(そのカウンセラーさんも今考えると色々問題のある人でしたが、私が虐待被害者であることを否定せずに聞いてくれた初めての人でした)。
以前、虐待されてると幼児期に気づくのは良いことではないという内容の記事を書きましたが、その記事でも書いた通り、幼少期に虐待に気づいてもデメリットの方が大きいと思います(近くに理解者がいる場合は別ですが)。
メリットと言えば、親を好きだった時期があまりないまま親を敵と認識することになるので、自分の親が毒親だと受け入れるまでが比較的スムーズなことくらいでしょうか(私が受け入れ難かったのはあくまで、他の子は酷い目に遭っていないのに自分だけが遭っているという事実でした。自分の親が酷い奴だということ自体はすんなり受け入れられました)。
自分が虐待されていると気づくのは、世の中のことがある程度分かり、理解してくれる人とそうでない人を見極めて適切な行動が取れるようになってからでないと危険だと思います。でも気づくタイミングなんて自分で決められないですよね。かと言って例えば、幼稚園等で「自分が虐待されていると気づいた時の正しいSOSの出し方」を園児全員に教えるというのも現実的ではないですし…。やはり、子どものSOSを正しくキャッチできる大人が増える必要があるのではないでしょうか。