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金払いのいい人でありたい

昨日の夜、友人とのLINEのやりとりの中で、今後のお仕事に繋がるかもしれない話をさせていただく機会があった。
やはり「値付け」がいちばん難しいなあ、と改めて強く感じた。

消費者として、自分が カネを払う側 に立つときとはまた違った感覚で、「単価」について考えることになる。
生産者、提供者として、人様からお金をいただく側に立って考えることは、ある意味「社会人の醍醐味」でもあるだろう。

相手に対し、金払いのよさやリーズナブル(理にかなった)な消費を期待するのであれば、
やはり儂自身も、なるべく金払いの良い人間でなければ、と思わされる。
自分の財布の紐はカタくしたいのに、相手の財布の紐が緩む事しか期待してない、というのはどうにもワガママな話だ。

そう、儂は

人様から堂々とお金をいただきたい。

だからこそ、まず己自身が金払いのいい人間でありたい。

と心から思う。

同時に、その消費の質には、強くこだわりたい。

高い金額を頻繁に支払うことではない。

人よりも多くカネをばらまく事でもない。

自分の感受性のなかで、納得と気持ち良さのなかでの「支払い」行為を、尻込みせずに、どんどんアクティブに実践していきたい。

美味いと思ったものは、また食べたいと思う。
価値があると思うならば、その分ペイしたいと思う。
そういうリーズナブル(理にかなった)な消費のタイミングが沢山ある日々でありたい。

そういう意味では

金払いがいい人 =
価値あるモノ・コトとの出会いが多い人

とも言えるのかもしれない。

そう強く感じるのは、やはり、自分も生産者側であるからこそだ。

しかし、振り返ってみれば、儂がこの考え方に至れたのは、ここ数年のことだったりもする。

12年前から、会社員として「生産する側」に立ったはずだった。さらに振り返れば10代の頃からアルバイトをしていたわけだが、そういう心構えになれたのは、事業主としての舵を切ってからなのかもしれない。

それを遅すぎるなどとは思わないが、
なんというか、ああ、人生っておもしろいなぁ、と感じる。

※単価と寝付け、については、沢山思うところがあるので、また別エントリで改めて。

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