はだかのままでいるということ
また忘れるところだったので言わなきゃ笑
(最近参加させてもらってる #私のいいところを万倍化 というタグのイベント☺️🎪✨)
発信の件です!
著作権とかそういうのが本当に疎いわたしは(本当に社会性がない!)、何かをするときにひらめきのままに行動できないのはつらい。調べたりするの大切だし、ルールを犯さないことも大切。社会で生きているのだし、知らなかったでは済まされないことはたくさんある。
ということはわかる。
でも、そう考えれば考えるほど、わたし自身の感覚としてはものすごく萎縮してしまうし、辛いし、苦しいし、逃げたくなる。
嫌だと叫ぶ自分がいる。これはなかったことにはできない感覚で、無視したら自分との関係性に確実にヒビが入る。
じゃあどうしたら。
わたしを自由にしたまま、何も犯さずにいるにはどうしたら。どんなに気をつけても、100パーセントは無理かもしれないけど、でもどうしたら。
を考えてみた結果、出てきた答えは、「わたし」をそのまま出すということだった。
結局抽象的な答えでなんだか笑ってしまう(自分の幼さに)のだけど、でもそれでいいのかなと思ったのです。
例えば歌うこと。
後ろで音楽がなっていて欲しいのはなぜか。
それは、色んなものを誤魔化したいからだと気付いたからなのですね。
例えば話すこと(これはほぼしてないと思ってるけど例えで出してます)。
何かを引用したり、借りてきたいのはなぜか。
それは、自分に自信がないから、ある意味責任転嫁したいからなんだと。
自分を、自分の音を、ことばを、想いを、裸で伝えるということをすれば良い。
内側にあるものを出せば、それはたぶんこの世の中にはまだないもので、そしたら著作権とかは関係ないのでは!(なんならわたしにある)と思ったんです。
同じ言葉を使っていても、同じに聞こえない音を出せば良い。
これはもちろん例えですが、そういうことなんだと思いました。
Original(origin)を出すこと。
はだかのままでいること。
それが発信の極意である!
まあちょっと盛ってるかもしれないけど、正解でも無いかもしれない(程遠いかもしれない)けど、これが、昨日のnoteの先、わたしが考えた結論でした。
きっと、これがわたしのいいところ。
おしまい。