散歩中につい目がとまるもの
そろそろ、散歩が非日常から日常のカテゴリに入りそうだ。
なんだけど、月末にかかる頃から『出来ることなら行きたくねぇな』という気持ちが出現しておる。
思い当たる節はある。このところの陽気と桜だ。
さくらさくらさくら…
やはり桜は『ここが花びらですよ』という気持ちを込めてあげた方がいいな(反省)。もう一度、時間をかけてやり直してみよう。
でも色合いは、好きな感じに出せた。
最近、このザックリと大らかな部分が、本来の自分の個性のような気がしている。そして、ここにどう『納得いくまで』を込められるか、考えている。
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で、『出来ることなら行きたくねぇな』の裏側には。
うららかで、気持ちが良くて、一斉に花々が咲き出して、感じとるものが、賑やかになっている。そして人出も多くなっている。
つまり、落ち着かない。と、思っているようなのだ。
昨日も昨日とて、『桜が咲くのは今だけなのだから』と自分を鼓舞してスケッチに出かけたのだが、早々に帰ってきてしまった。
そして家で、拾ってきた花を見ながらスケッチするという…
さくらのはなびらは5まい。
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私のザックリと大らかな部分は、人から「雑」と言われることが多いし、自分でも『雑だな』と思う部分でもある。それでいて、この春先の賑やかさに過敏な反応を示すような、すこぶる繊細な部分もある。
両極端が、私の中にある。
寒い季節の散歩を振り返る
寒い季節、散歩をするたびに目についたものがあった。
カサカサに枯れているんだけど、なよやかなカーブを描くつるの節々についている、小さな朱色の実。
素敵!と、喜々としてスケッチをしていたら、詳しい人から、植物の名前を教えてもらった(戸外スケッチあるある)。
ヘクソカズラ。
青々としている季節にはものすごく臭いから、この名前なのだという。試しに漢字をあてはめてみると、すごいパワーを持っていた。
目が留まった、美しいと思った、心を奪われたものが、パワーワードによる名前をつけられていた。そのギャップが面白くてSNSに投稿したら、思いのほかコメントをいただき、私も返信して…が、とても楽しかった。
絵の可愛さに癒されつつ文章読んだら吹き出した(笑)
という的確なコメント。
ここにも、私の両極端が顔をのぞかせているようだ。
(メモ:私の個性は、両極端の中にある?)
やっぱり私はヘクソカズラが気になる
この日のスケッチも。
この日のスケッチも。
しまいにゃリース作りのワークショップでも、ヘクソカズラの可愛らしさを再現せんと、夢中になってハサミを動かしていた。もちろん、先生からは「こまかっ(笑)」とツッコミをいただいた。
(右下のちまちま細かいハート形や丸が、私なりのヘクソカズラ)
大満足。
余談だが、この植物も
コリアンダー。これも、枯れた風合いが好きだと思った。
そして知る。
コリアンダーはパクチーで、シャンツァイ(香菜)だということを。
…同一人物だったのね!
ちなみにコリアンダーの和名は、カメムシソウというらしい。
そんなん知ったら、やっぱりフォーにはパクチーたっぷりだよねー♡って、しづらいやないか…するけど…
心惹かれる植物は、ひと癖あるものばかり。
それはトリミングではなくて、フォーカスなのだと
昔から、私が心惹かれるものは、人から「変」と言われることが多かった。
そして「変なものを好き」は、そのまま「変なひと」にスライドされやすかった。
変なひとだと、嫌われたくなかった。
人は誰もがまず目の前の人からだって好かれたいし、愛されたい生き物ではないかな?
普通になりたかった。今だって、その気持ちは残っている。
それについて、今思うことは。
変なものに心惹かれたからといって、それをトリミング(切り取り)で捉える必要は無いということだ。
それは何かについてトリミングしたら、それ以外を削除してしまう、極端な考え方だ。
違う。私はフォーカス(焦点を定める)しているのだ。
それ以外のものも、ちゃんと私の世界に「ある」。ただ、そこまでの意識が向いていないだけだ。
同じように際立たせているようで、他を排除するのか、あるがままに置いておくのかは違うんだなぁ、と思ったこの頃。