子育て弱者とよばないで
延ばし延ばしにしていた赤ちゃん訪問をようやく済ませた。
地区担当さんの「あら、お母さん里帰りしなかったんですね」という一言をきっかけに沼落ちしてしまった。
私に帰る里はない。正確に言えば、実家は同じ沿線にあるが里はあっても子育てのサポートは望めない。70代の父親は健在だが母親は長い間難病を患っていて昨年62歳で亡くなった。さらに一人っ子で兄弟もいない。義実家は飛行機の距離の遠方だ。
つけ加えれば、夫は日付や時間の概念のない仕事のため激務であり、ほぼワンオペである。
もういい加減、慣れなければいけないと思う。
それでも懲りずに、世間の「里帰り」できることを前提としている点や、祖父母のサポートがあって当たり前という世間の悪気のない姿勢にいちいち傷ついて落ち込む。
これまでそれなりに夫婦揃って勉強も仕事も頑張ってきたつもりだ。おかげさまで夫婦としてはなかなか頑張っていい感じのところにたどり着いたと思う。2回も育休をとって戻れる職場がある自分は恵まれていると思う。それは間違いなくこれまでの奮闘の成果だ。
ようやく念願の子どもを授かったときには母の病態は既に末期で要介護5だった。だからサポートなんて得られないのははじめからわかっていて子どもを産んだ。好きでそうしたんでしょ?と言われたら、「その通り」と返すしかない。
さらに世の中に蔓延る「祖父母のサポートがなければ正社員で共働きなんて続けられない」という風潮が悔しくて仕方なかった。サポートが得られなければ職を手放すしかないのか?と。そんなの到底容認できないから、抗ってやろうと思った。たった一人の行いで世の中は変わらないかもしれないけど。だから、祖父母のサポートがなくても0歳で保育園を決めて復職した。自分のこの時の決断を最大限正解に近づけようと誓って。
それでも、例えば、同じ園におじいちゃんらしき人と手をつないで登園する子や小児科にばあばと一緒に子どもを連れてきてるママを見たりするとかんたんに私のこころはぺしゃんこになる。
大抵のことは頑張ればなんとかなると思って弱音も吐かずにやってきた。身体を壊し手術して働きながら闘病したこともある。悪性腫瘍の一歩手前だった。
さっきも書いたように社会に出れば夫婦揃っていい感じの立ち位置にいるのに、こと育児となると『弱者』と見られてしまうのが悔しくてたまらない。
「そんな状態であなたの育児は大丈夫?」
何度となく向けられてきた憐れみの視線。同情されるのは大嫌いだ。しかも自分たちではどうにもならない事象で。上を見ればキリがないけれど、自分の頑張りではどうにもならないしあわせの次元を子育てが始まってからずっと突きつけられてる。
そのことが時々たまらなくしんどい。
でもそれを共感し合える人は周囲にはいないから、ここに吐露してみることにした。
頼れる祖父母がいなければ、子育てする資格はありませんか?と社会に問いたい。
私は今日も自転車のペダルを漕いで娘を迎えに行く。あの時選んだ道を正解に近づけるため。
ねえママ、この夏、またひとつ歳をとったよ。来年はついに40歳になる。そうそう娘はひらがなが書けるようになったよ。弟はミルク200ccあっという間に飲むし、だいぶ首がすわってきたよ。なかなか優しい穏やかなお母さんにはなれないけど。「サポートがなくても頑張る」とあの時選択したことが今に繋がって、第二子に会うこともできた。ママには2番目の孫の顔を見せられなかったけど。2人の子どものためにもママより長生きできるようがんばらないとね。39年前のあの暑い最中産んでくれてありがとう。