see you never.
今日はインターンが休みなので、少しnoteを書いてみようと思う
テーマは「他人なる瞬間」について。
他人という言葉はどこかよそよそしくて、人との隔たりを感じさせる。
そんなイメージがあり、あまり好きじゃない。いやむしろ嫌いだ
唐突だが、僕は人が『他人』へと降格する瞬間をたくさん見てきたと思う
少し分かりづらいかもしれないな。
それはカップルが別れた時によく見られる『アレ』だ。
①別れにスポットライトを当てる
そういえば最近、ハマった曲がある。
韓国の人気アイドルグループWINNERの『AH YEAH』という作品
この作品で彼らは「男女の別れ」にスポットライトを当てている。
別れをカジュアルにそしてポップに仕上げ、悲壮感など1ミリも感じさせない雰囲気が魅力的なサウンド。
②別れの描写
なぜ僕がこの曲に惹かれたのか?
それはズバリ「別れ」を忠実に表現しているところにある。
「AH YEAH」の歌詞にこんな一節がある。
(二人という関係)ー(愛)=他人である
破局後の男女関係を見事に表している。
愛し合った関係性から一気に他人へと移り変わる。二人の関係性の振り幅がなんとも切ない。
僕自身、なぜか友人の恋愛話を聞くことが多い。
「○○と○○別れたらしいよ」なんていうフレーズは数多と耳にしてきた、
(耳にタコちゃんができるほど。)
別れ話を耳にすると、どこか違う世界で起きていることのように思うことがある。
(自分にはあんまり関係ない話だなーなんてね)
話を聞いた中で意外と多いのは、
カップルが別れた瞬間に友人でも知り合いでもなく、『他人』に降格していく末路。
つまり、知り合いでも友人でもない、
あくまで『他人』になってしまうという現象
もう一生合わないような事を匂わせる人も中にはいるのがとても残酷である。
これまで一緒にいたという事実がまるで虚像だったかのように
③思い出は消えても記憶は消せないよ
誤解がないように言うと
もちろん恋人と別れてからも、あくまで「友達」として相手(元カノ・元カレ)と関わっていく人も一定数いるだろう。
またはセフレ関係になり関係性を断ち切れない人もいるかもしれない。
元カノ・元カレと友達に戻る人もいるのは事実。
だが、それはかなりの少数派ではないかと思う。超マイノリティ
(ちなみにnoteを見てみるとセフレ関係推奨派の人もぽつぽついて割と驚いている今日この頃です)
好きだった恋人でも別れを告げた瞬間から赤の他人になることなんてざらにある。決して珍しくないはないのだ僕たちが生きるこの現代社会では。
感情を持っている人間同士の関係を、降格という言葉で表現することが、
適切か分からない。いやどちらかといえば不適切だと思う。
でも僕からするとそのように見えてしまうのだ
かつては愛し合っていた人たちは何事もなかったかのように
インスタの投稿欄から恋人との写真を消し
ストーリーのアーカイブから恋人を
抹殺する
別れた時に行われるこれらの一連作業は、既にマニュアル化されているのだ
(※PDFでダウンロード可能なので気になる方はぜひ)
かつて好き同士で愛し合っていた人たちが、ちょっとしたタイミングで赤の他人になってしまうのはとても悲しいし、何だか味気ないなと思ってしまう
多くの人から理解されないことはわかっているし、このnoteを読んでいる人には僕の考えに全く共感できない人も多いかもしれない
だけどこれが今の本音だ。
以前友人(女性)に、この想いをぶっちゃけたところ
と一蹴されてしまった、しかも少し怒り気味で。。
別れたら他人になるのは当たり前だろと。そこに疑問なんて抱くなと。
「あー、なるほどねー!」
僕はその場で適当な相づちをうって場をしのいだ。
腑に落ちたフリをしたのだ(大人な対応)
だけど実は、今も若干消化不良気味である…..
④絶対に…
そういえば自分の同級生で高校からずっと付き合っている
割と有名なカップルがいた
周囲からは
なんて言われてた彼らだって、成人した後に別れたらしい
この件があってから
「あぁーほんと物事に絶対はないんだな」と痛感した。
この話を聞いた時、僕は少しばかりの悲壮感に包まれた
「絶対」なんて言葉は怖くて使えないと思った。
「俺は絶対君を幸せにするよ」
よくドラマにあるようなキザなセリフは口が裂けてもいえない気がする
絶対に.
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