人材が去るということ。さやねー店長ありがとう。
「で、、、、、あのー退職させて頂きたいんです。」
あれは2月19日の午後だった。
やまやま店長さやねーが我が家のキッチンで仕事の話を一通り喋った後、「で、、、、あのー退職させて頂きたいんです。」と言ってきた。
何か食べ物を頬張っていた私は、心臓が重くドキンとしたけれどそのままモグモグ口を動かしながら「全然、大丈夫だよ。次の店長見つけて、引き継げるようにしなきゃね。」みたいなことを言った気がする。
(実際は、全然大丈夫じゃないw)
退職の理由がめでたいことだったし、私がパパと出会ってしまった時の状況も思い出された。自分がさやねーの立場だったら同じような選択をするなーと思えたことも精神的にはよかったと思う。
事業を立ち上げると、人が離れていく経験ができる。
事業を立ち上げてなくたって、恋人と別れるとか、離婚するとか、死別とか人との別れは色々あるけれど、それがメンバーだと実質的な業務の問題が感情面と混じり合いまた違う。
数日前、さやねー店長の最終出社日だった。
心からの感謝を胸に、さやねーの1年間を通して、「人材が去る」ということについて書きたいと思う。
” 出 会 い は ク ラ フ ァ ン ”
「教員を辞めて、やまやまやります!」
さやねーと私の出会いは、2年前。
やまやまを立ち上げるためにクラウドファンディングに挑戦した私は、毎日のようにクラブハウスで発信をしていた。
さやねーは当時群馬県で、6年間小学校の教員をしていて、毎日、私のクラブハウスをお風呂の中でも、車の中でも聞いてくれていたという。
2021年7月。
初めてさやねーは群馬県から和歌山県かつらぎ町にボランティアにやってきた。「有紀子さんのクラブハウスずっと聞いてました!」といって、夏休み期間の1週間を我が家で過ごした。
他にもクラファンきっかけでたくさんの若者が全国からボランティアに来てくれて、楽しい夏休みを過ごした。
さやねーは太陽みたいな人で、三兄弟も可愛がってくれ、料理の手際も良くて、「もうずっとここに住んでくれ〜帰らないでくれ〜〜〜」と思うほどだった。
「教員を辞めることは決めてるんですけど、オーストラリアに留学して戻ってきたらやまやまやります!」と話してくれて、私は「えーーー嬉しい〜〜!!!!」と大喜びした。
” 群 馬 か ら 移 住 ”
2021年1月26日に「くつろぎたいのも山々」はたくさんの方に応援して頂きOPEN!
さやねーは教員を退職し、2022年4月21日に群馬ナンバーの車でかつらぎ町にやってきた。
「とりあえず家が見つかるまでは、ここに住みなよ〜」
ということで我が家で同棲w
当時、次男がなんとなく大変だった記憶があって、「私の愛情不足?」と悩んでいたのだが、さやねーはそんな次男を1番可愛がってくれた。
「隼人かわいい〜〜!さやねー隼人みたいな子どもがほしい〜〜」
とたくさんの愛情で包んでくれた。社長としても、母親としても本当にさやねーに助けてもらったと思う。
やまやまの初代店長として、さやねーは新たなキャリアをスタートした。
” や ま や ま 店 長 就 任 ”
当時のやまやまは、OPENして3ヶ月あまり。
もう全てがぐっちゃぐちゃ。
値段設定や施設のルールなどさやねーが1つ1つ適切に改訂してくれた。
マジでやばい。
こんなことができる元教員なんて見たことがない。
すごいぞ!さやねー!
店長就任の1ヶ月後のある日。
「なんか気持ち悪いな〜〜〜」と妊娠検査薬を調べてみると陽性。
おーーーーww
四人目を希望していたので喜んだものの束の間、相当辛い壮絶な悪阻がこれからやってくることが予想された。
さやねーに「お腹の子は女の子だと思うから、多分、悪阻軽いはずw」と ヘラヘラしながら伝えると「ゆきこさぁああ〜〜ん!」と笑いながら叫んでいた記憶がある。笑
そんな希望的妄想に反して日に日に体調が悪化。w
もう笑えないくらい悪化。
毎日嘔吐、ベッドの上で寝たきりに。
実は、胞状奇胎という超ニッチな症状で身体は妊娠状態だけれども生命体はおらず、全身麻酔の手術をしなければいけない状況になってしまった。
三兄弟が「妹ができる!」と名前までつけて、みんなでお腹をなでなでしていたのに「赤ちゃんいなかったん?」と次男が涙いっぱいためていた姿が忘れられない。
” 怒 涛 の 夏 休 み ”
やまやまがOPENして初の夏休みシーズンは、全国からひっきりなしに子育てファミリーがかつらぎ町に来てくれた。
それはそれはもう怒涛のごとく。
6月、7月、8月の3ヶ月で約700人程の来場者があり、さやねーは毎日毎日猛暑の中、やまやまを守ってくれた。
私が寝たきりだったので、新居を探す余裕もなく、夫が出張で朝がはやい時は、三兄弟を学校まで連れて行ってくれたりもした。
当時常駐スタッフは、さやねーとごうしかおらず、バイトを募集する暇もなく、全国の20代のボランティアメンバーが助けてくれたりしながら、何とかその日、その日をこなしてくれていた。
一方、私は6月ずっと寝たきりで痩せほそり戦力外。
テントの設営や、BBQコンロを洗ったりと重労働も伴い、本当に大変だったと思う。
あの時、さやねーを助けてくれたかずぴー、かざね、りさ、しゅん、あきちゃん、おっきー、こうへいくん、ゆりえ、うおはる、ゆーか、みのりちゃん、ゆきの、しげ みんなありがとう><
援農でかつらぎ町に来ていたメンバーを紹介してくれた地域おこし協力隊のきょうこ、みさ、しょーくんもありがとう!
今はなくてはならない存在、2代目店長けんけんとあいなちゃん、ふーかもこの夏にジョインしてくれました。ありがとう!
人生の中でも最も頑張ったかもしれないこの夏に、さやねーは運命の人に出会ってしまう♡やはり、仕事が輝きだすとプライベートが輝き出す説…w
” さ や ね ー 店 長 ”
さやねーは店長として本当にすごかった。
ママさんもパパさんも、子ども達はもちろん一瞬でさやねーのことが大好きになる。
その証拠に、OPEN1年で「くつろぎたいのも山々」のGoogleマップの口コミは120件 オール星5つだ。
ぜひ、見てほしい。本当に実際に来てくださったお客様が書いてくれていることが分かると思う。
さやねーは目が広い。
目の前の子どもと遊びながら、遠くにいるママとパパ、BBQコンロの様子まで全体に気を配る。
持参されたテントの設営に戸惑っているパパさんをさりげなく手伝い、受付に来られたお客様の対応をし、子どもに話しかけられると笑顔で対応、BBQコンロの火おこしを待っている大人チームの写真を撮影しにいき、「●●ちゃんもおいで〜〜」(←名前覚えてる)と呼びかけ、来なかったら「さやねーがおんぶしてあげる」と子どもを虜に。www
すごい。
OPENまでの2年間、こんな場所をつくりたい!と思っていた通りの場所を作ってくれた。
ゼロイチは本当に大変だ。
何もないところから、全部を作らなきゃいけない。
店舗に張り出すラミネートや、カフェメニュー、掃除の方法、施設で過ごす時間割、SNS発信など全て。
それは毎日毎日クラブハウスで、私のVISIONを聞いてくれていたさやねーだから出来たことだと思う。
” 意 志 の 力 ”
「で、、、、、あのー退職させて頂きたいんです。」
と伝えられたその日の夜、パパに「さやねーが辞めるんだって」
と言ったら「えええええええええええええええええ」
と奇声を発していた。笑
「ママ、なんか平気そうじゃん」
と見た目は平気な感じだったけれど、心は割と負傷していた。
「拝啓、少年よ」をリピートし、泣きながら子ども達の送り迎えをする数日間を過ごした。
その時のやまやまの状況は、
まず、さやねーの後任の店長を探さないといけない。何なら、役員でもあったので役員として入ってもらえる人を探さなきゃいけない。
ハローワークに求人を出していたけれどなかなか若い人がこず(というか、かつらぎ町にはマジでいないと思っていた)「人材不足だ〜〜」とずっとさやねーと私はその問題を長きに渡りシェアしていたのだ。
「新しい店長を見つけて、引き継ぎを」と言われても、いやいや、そんなんどこにいるの?いないじゃんw
という感じだった。
自暴自棄みたいな状態になる気持ちはもう抑えられる。それは今までの経験がそうさせてくれたんだと思う。イレギュラーなことが起きた時に助けてくれるのは過去のいいことではない。
過去の悔しかったこと、悲しかったこと、辛かったことそんなネガティブな出来事を、ことごとくプラスに捉えようとする自分の意志と、振り返った時にやっぱりあの出来事があってよかったという現実をつくる力だ。
心負傷のままその5日後には経済産業省 とJETRO主催の「始動」でピッチ。
優秀賞を頂く。(せわしないw)
一刻もはやく後任の店長を見つけなければいけない。
(マジでいない)
そして、さやねーしか分からない仕事を引き継がなければならない。
(でもいない。)
おそらく実際は、絶体絶命大ピンチという状況だったと思う。
だけど、私は「なるようになる。大丈夫。何とでもなる。」と言っていた。
「なんでそう思えるか分かりません。不安しかないです。」とさやねー。
確かに、あと1ヶ月で後任の店長を見つけて、さやねーの引き継ぎを完了させなければいけない。
” 2 代 目 店 長 決 定 ! ”
いないと思ったらいないし、いると思ったらいる。
ということで、結果的にいた。
「次の店長で1番最高なのはけんけんです。」とさやねーが太鼓判を押す彼は、キャンプ業界ではない場所で、当時奮闘していた。
夏に短期間バイトをしてくれていたけんけんは、子どもに好かれる才能がある。キャンプが好きで、しかも性格もおだやかで努力家。和歌山在住。
何より、リピーターのお子さんが「あのお兄ちゃんいないの〜!?」とけんけんコールをするぐらい、子どもに対しての対応がピカイチ。
うちの我が子たちも、サッカースクールは休むのにけんけんの出勤日に学童を休み「けんけんとサッカーする!」ととにかく子どもから好かれる。
けんけんは強いコミットメントを持って、やまやまに来てくれることになった。(もう最高だ。ビールで何度乾杯をしただろうぐらい嬉しい🍺)
けんけんありがとう。けんけんの奥様ありがとう。
その頃から、あれだけ採用に苦労していたアルバイトスタッフの応募が後をたたなくなり、なんとバイトスタッフが半月で2倍に増えた。
やまやまはママとパパをゆっくりさせるために、ただ子どもを見守るではなく、子どもを惹きつける能力が大事。「子どもに好かれる」という能力は本来持って生まれた才能だったりする。
その才能を持っていて、若くて、かつらぎ町付近に住んでいる人材はなかなか見つからなかったのだが、さやねーの退職に間に合わせるかのように採用が追いつかない状況になったのだ。
ここ数年。どんな時でも物事の明るい面を見ていると、現実が明るく動き出すという経験ばかりしている。楽観主義はお気楽な思想ではない。強固な意志があって達成されるものだと思う。
さやねーが退職するということはとても寂しいけれど、だからこそ今までさやねーが当たり前にやってくれていた仕事を言語化、マニュアル化することができたし
力仕事も多いキャンプ場運営において、安定感ある男性がトップにいて、子ども達と遊ぶスペシャリストスタッフがたくさんいて、農園スタッフもいてという、この1年間「これが理想だよね〜」と2人で話していた通りの現実に今なっている。
” 人 が 離 れ て い く と い う こ と ”
事業を立ち上げてから、何度か人が離れていく経験をした。
それは、ハッピーなことで次のステージに進んだメンバーもいたし
お互いのオファーが噛み合わなかったメンバーもいた。
実は、3年前、2020年11月。やまやまOPEN数ヶ月前に1番辛かった出来事があってその当時は公開できなかったけれど、数年後に公開しようと思っていた記事がある。
(読みたい方はこの記事の最後に詳細のっけてます。w)
その時に、私なりにどうやってこの辛さを捉えればいいのか考えた。
その結果、人材ってシャボン玉みたいなものだと思うようになった。
シャボン玉は流動的でずっと、ひとところにいることはありえない。
人も同じだと。
我が子だって一定の年齢になると親元を離れていくし、夫婦だって離婚したりするわけで、ましてや赤の他人は更にそう。
そう考えた時に、今自分の周りにいてくれる人、自分を助けてくれる人ってシャボン玉が一箇所にとどまっているのと同じように奇跡みたいなこと。
そう考えるようにした。
奇跡なんだから、今までありがとう、助けてくれてありがとう、信頼してくれてありがとうしかない。
それに、人が去っていくことで新たな出会いがあったり、今まで気がつかなかったことに気付けたりする。
自身の人生における課題も露呈することもあって、成長できる。
お互い生きてるんだから、新しい関係性でまた友情を育んでいけばいいしマイナスなことより、何ならプラスのことの方が多いんじゃなか?とさえ思えるようになった。
” 退 職 の 日 ”
お客様に「さやねーと有紀子さんが似すぎている」と何度も言われてきた。
夕方に私がお客様に挨拶に伺うとさやねーを私だと思っていた方もいたくらいw 前世では私の姉だったと思うくらいその存在は心強いものだった。
さやねーがやまやまを守ってくれている間、私は外に向けて発信し、会社のVISIONを語ることができた。
そんな頼りっぱなしの状態を、最後にくれた手紙の中で「色々信頼して下さったから何でも挑戦できて、その上でやまやまの基盤を作れたことが自信になっている」と書いてくれた。
いつも「母???」と思うくらい周りの人を褒め、自信を与えてくれる。
手紙の中に箇条書きで1番〜12番まで「有紀子さんから多くのことを学ばさせて頂いたこと」として書き連ねてあって、さやねーらしくて笑った。
(ラミネートして保存した)
「事業をやってなければ、こんな想いはしなくてすんだんじゃないか?」
そう思った日も過去にあったけれど
今は事業をやったからこそ、さやねーのような素晴らしい人に、人生で出会うべき人に出会えたのだと思える。
さやねー退職の日、しゅんとやんねーも駆けつけてくれて、このメンバーでこの日を迎えられたことが本当に嬉しかった。
しゅんは、本当に大変で助けがほしい時にはいつも助けてくれる。今まで何十回も夜勤明けに兵庫県から和歌山に通い続けてくれたしゅん。
そして2年前の夏、さやねーとほぼ同じタイミングで出会って娘同然のやんねーが久しぶりにやまやまに帰ってきてくれた。元気な顔が見れて私もパパも嬉しかった。
事業をしていると、人材とお金の2つに課題があるとよく聞くし実際にそうかもしれない。事業をしてなくとも悩みの9割は人間関係という。
でもその課題は人生をより豊かにしてくれたり
より自分が成長できたり
出会うべき人たちと何かを共有するための題材みたいなもので
めちゃくちゃいいもんだと思う。
長くなりましたが、最後にさやねー。
いつも助けてくれてありがとう。
優しくしてくれてありがとう。
私を信用してくれてありがとう。
どんな時も1番の応援者でいてくれてありがとう。
これからもよろしくね!!!!
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ここまで読んでくださったあなたに感謝します!
人材というテーマで悩んだり辛い人に届けたいです。
<<お知らせ>>
6月開校🏫
社会起業立上げ実践プログラム「SBC」
第2期の募集がはじまっています〜!
説明会の動画がありますので
ご興味ある方はこちらから「説明会動画」と送ってください〜!
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