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C.G.ユングを詠む(010)-至高の神:『死者への7つの語らい(1916)』から

明けましておめでとうございます。

元旦早々の投稿が何か清々しく感じる。

今年もユングを読みながら、ユング心理学を底にした経営手法や漫画・アニメの深掘りに進んでいきたい。

それでは、昨年末の続きにいく。

『死者への7つの語らい(1916)』

『死者への7つの語らい』の邦訳は、「ユング自伝2」の付録として収録されていて、これはユングの死後に発表された著作になる。

今回はその第Ⅲ章の感想メモになる。

この第Ⅲ章はユング自伝2付録Ⅴに入っていて、2世紀の初期に実在したグノーシス派の教父バシリデスが、エルサレムから帰ってきた死人たちに教えを説く形式で書かれている。

河合隼雄著「ユングの生涯」によるとこうある。

「すべての私(ユング)の仕事、創造的な活動は、ほとんど50年前の1912年に始まったこれらの最初の空想や夢から生じてきている。後年になって私が成し遂げたことの全て、それらの中に含まれていた。」49%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

ユングの心理学的基盤が完全に出来上がったものと評されるので、この付録Ⅴを本編より先に読んでいる。

◎ユング自伝付録Ⅴ、Ⅲ章
Ⅱ章では、私(教父バシリデス)によって、死者たちの信じている神の上位にアプラクサスと言う神が、彼らの神と悪魔の上位にあると説かれて、死者たちがパニックに陥った直後から始まる。
 
ここで登場する死者とは、ユング自伝2付録Ⅴ、I章で登場したエルサレムへ行ったが、探し求めていたものが見つからず私(教父バシリデス)の家に訪れて教えを請うてきた者たちである。
 
こんなふうに始まる。

死者たちは沼からたちのぼる霧のように近寄ってきて、叫んだ。その至高の神についてもっと語れ、と。

P251
ユング自伝2
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至高の神、アクラプラスについて説明が始まる。総括した短い文章でまとめることは困難。章全体の文章も長くはないので、逐次感想をつけていく。

それでもあえて言うなら、人智を超えた説明のつかない畏敬、畏怖を抱く何か。とでもしたい。

だから、人から見ると混沌としていて理解できないところもある。ずるい逃げをつけた。

私の個人的イメージであるが、運命のようなシナリオを、あなたや私を含めてキャスティングし、舞台を作って進めていくものがあるような気がする。

ガチガチに硬直しているのではなくて、そのシナリオは、役者も参加して演出の範囲で変えられる自由度もある気がするのである。

また、本の内容に戻ろう。

アプラクサスは知ることの難しい神である。
その力は、人間がそれを認めることができないので、最大である。

P251
ユング自伝2
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人類の2024年初頭の科学技術のレベルでは、知らないことの方がいまだ広大だ。人体の五感やそれを補完、延長する観測技術、測定技術をもってしても、未来永劫アプラクサスを知ることはできないだろう。

一皮剥けばまた新しい謎に出会うことのなるに違いない。宇宙論では、正体不明のダークマターやダークエネルギー、真空エネルギーを仮定しないと銀河系は散り散りになってしまうとか。以前はそのようなことは全く知られていなかった。ブラックホールすら絵空事として扱われていた。

だから、知ることは難しい。と、納得できる。さまざまな分野で同じように次から次へと新しい事実が判明してくるからだ。観察される事実や新しい解釈や理論を受け入れず、いつまでも天動説にこだわるような轍を踏むようでは取り残される。

人は太陽から最高の善(summum bonum)を,悪魔からは最低の悪(infimum malum)を経験するが、アプラクサスからはあらゆる点で不確定な「いのち」、前と悪との母なるもの、を経験する。

P251
ユング自伝2
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ユングはここで、アプラクサスを、神と悪魔の上位に位置づけているのだからわかる説明。

いのちは最高の善よりも、より小さく、弱く見える。このためアプラクサスがその力において、全ての生命力の源泉である太陽を凌駕すると考えることも難しいのである。

P251
ユング自伝2
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私には、いのちが善より小さくとか弱いは意味わからない。だから、この文の言いたいことはわからない。私は、アクラプラスは太陽を遥かに凌ぐエネルギーをもっていると思う。

アプラクサスは太陽であると同時に、虚空の永遠の吸い込み口であり、避難するもの、切断するもの、悪魔である。
アプラクサスの力は二面的である。しかし、お前たち(死者たち)の目には、その互いに対抗する力が相殺されてしまうので、それを見ることはできない。
太陽の神の語るところは生であり。
悪魔の語るところは死である。
アプラクサスは、しかし、尊敬すべくまた呪わしい言葉を語り、それは同時に生であり死である。
アプラクサスは、同一の言葉の中に、真と偽、善と悪、光と闇を生み出す。従って、アプラクサスは、恐るべきである。

P251~P252
ユング自伝2
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このあたりの説明も、神と悪魔の上位に位置するのだからわかる説明。
ただ、”虚空の永遠の吸い込み口”とはブラックホールのことだろうか?

アプラクサスは、一瞬のうちにその餌食を倒す獅子のごとく素晴らしい。それは春の日の如く美しい。それはまさに偉大なる牧神そのものであり、また卑小なものでもある。それはプリアポースである。
それは地下の世界の怪物であり、船の手を持ったクラゲ、翼のある蛇のとぐろ、狂気、である。
それは両性具有(ハーマホロデイト)である。
それは。水中に住み陸にあがり、真昼にも真夜中にも合唱する蛙や、がまの主である。
それは空虚と結合する満ちたるものである。
それは聖なる交接である。
それは愛であり、その殺害者である。
それは聖者であり、その裏切者である。
それは昼の最も輝かしい光であり、狂気の最も深い夜である。
それを見ることは盲を
それを知ることは病を
それを崇めることは死を
それを畏れることは知恵を
それに抗しないことは救いを意味する。

P252
ユング自伝2
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意味のわからない文、例えば「空虚と結合する満ちたるもの」と言うものもあるが、混沌とした感じを受ける。私のようなものは理解できないところがあるのが、それがアプラクサスと納めておこう。

この段落を読んでいると、千手観音とか阿修羅の像をイメージする。あれらも人に近いイメージだが、アプラクサスは人の想像を絶するもっと潜在変幻なものだろう。

そして神に何か願えば負債も追うようなことになると言いたいのが続きになる。一言二言で説明できない概念なのでこんなにさまざまな説明がされるわけだろう。むしろわかりにくくなる説明もある気がする。

神は太陽の後に住み、悪魔は夜の背後に住む。神が光からもたらしたものを悪魔は夜の中に引き込む。しかし、アプラクサスは世界である。その去来そのものである。太陽の神のすべての恵みに、悪魔はその呪いを投げかける。
お前たちが太陽の神に請い求めるものはすべて、悪魔の行為を呼びおこす。
お前たちが太陽の神にと共に創り出すものはすべて、悪魔の働きに力を与える。

P252~p253
ユング自伝2
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例えば、火を使うことを覚えてから、さまざまなエネルギー源を人は手にしてきたが諸刃の剣であることを言っているのだろう。

これがまさに恐るべき「考える実在」(クレアツール)である。
アクラクサスは最後の「考える実在」(クレアツール)であり、その中で「考える実在」(クレアツール)は己れ自身を恐れる。
それは、「ありのままの存在」(プレロマ)とその無に対する「考える実在」(クレアツール)の公然たる反対である。
それは母に対する息子の怖れである。
それは息子に対する母の愛である。
それは主の歓喜、天の無慈悲である。
その顔(かんばせ)の前に人は、立ちすくむ。
その前には、問いもなく答えもない。
それは「考える実在」(クレアツール)のいのちである。
それは区別の働きである。
それは人間の愛である。
それは人間の言葉である。
それは人間の外観であり、影である。
それは幻の現実である。

P253
ユング自伝2
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「考える実在」と「ありのままの存在」は私がつけた訳語。クレアツールとプレロマではなかなか腑に落ちなかったので訳語を考えたわけ。

他には、河合隼雄先生が、怖れとか恐れ、畏れを使い分けているが、その違いまでは私には理解できていない。

ユングを詠む(009)から再掲。

プレロマとクレアツールについてもう少しわかりやすい言葉に置き換えてみよう。
C.G.ユングを詠む(008)の説明を別な言葉で置き換えたものを文末に掲載しておく。私自身は言葉を置き換えることで、ずっとユングの多分言いたいことが腑に落ちた。

プレロマとは一見矛盾というか、相反する概念を包含した存在、あるがままの状態と捉えたらいいというのが、目下の私の解釈。「ありのままの存在」ということにする。なんだかんだ言っても対立や矛盾を含み混乱・混沌とするのが現実。それを「ありのままの存在」という。

プレロマを「ありのままの存在」と言い換える。
ここであなたの心の中にしかないイメージや空想・妄想・誤解釈もあなたの中にあるということで「ありのままの存在」とする。

で、次はクレアツールは「考える実存」と言い換る。
クレアツールは言語ではCREATURで生物のこと。ユングは生物とは言い切らず訳のわからない説明をしている。ただ、実存主義の「実存」に近いように見受けられる。

実存主義者の実存という言葉に対する説明は色々と違っているが、私の感じる共通のイメージは、意識があるとか、意志があるとか、心があるとかいった存在にとれる。

例えばミドリムシやミミズでも生きようとする意志があるので実存と思う。実存と言ってしまうと、これまでの「実存」と区別がつかないので、わざわざ「考える実存」とした。

石ころや金属の塊のようなものは意識や意志や心があるようには見えないので、「ありのままの存在」になる。

ユングを詠む(009):神は死んではいない。
https://note.com/no1coach/n/n173d2f397b64

そして第3章の最終文。

ここに、死者たちは吼え、荒れ狂った。彼らは未完のままにされたからである。

P253
ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

未完のままとはアプラクサスの一面だけを教えられ、影の面を知らされなかったことかと私は解したがどうだろうか?聞いてないよぉ、習ってないよぉといった憤慨だろうか。

今回はここまで。

<<<<投稿済の内容>>>>

⭕️C.G.ユングを詠む(001)
1.Carl Gustav Jung (1875-1961)
⭕️C.G.ユングを詠む(002)-自伝
2.ユングの自伝
3.ユングの故郷スイスについて
4.両親の影響
5.三歳で見た六十五歳まで秘密にした夢
6.ユングの子供時代の秘密
⭕️C.G.ユングを詠む(003)-少年期
7.変わり者ユング少年
8.もう一人のユング
9.牧師であるユングの父との葛藤
10.ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響
⭕️C.G.ユングを詠む(004)-人格No1と人格No2
11.人格No1が主であり人格No2はNo1の影
12.父親の死
13. ブルグヘルツリで出会った患者
14.結婚
⭕️C.G.ユングを詠む(005)-フロイトとの交流
15.精神分析-フロイトとの交流
16.夢分析-フロイトとの交流
17.フロイトの彼の弟子たちへの評価
⭕️C.G.ユングを詠む(006)-無意識との対決
18.「お前の神話は何か」―無意識との対決
19.ユングの心象風景
⭕️C.G.ユングを詠む(007)-アニマ
20.老賢者フィレモン
21.アニマ
22.無意識との対決の収束
⭕️C.G.ユングを詠む(008)-プレロマとクレアツール:『死者への7つの語らい(1916)』から
⭕️
C.G.ユングを詠む(009)-神は死んでいない:『死者への7つの語らい(1916)』から

ユングを詠む

読書会みたいなことをしてみないかとの要望をお受けしました。ユングのどんな本がいいかちょっと考えてます。

今回もかんじる。ユングのいう「アプラクサス」とは、梵我一如のレベルのことではないかと。梵我一如も探究してみたくなる。

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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
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