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鬼門だった冬

数年前までわしはこの時期、引きこもっていた。
たぶん2003年くらいから2018年までの15年間で元気だった冬は1回か2回くらい。
うち1回は躁転していたので元気とは言えない。
以前はずっと接客業だから多忙な年末年始を終えた疲れが出ていると思っていたけど振り返ってみると仕事をしていくうちに軽躁になっていたのかもしれない。
いずれにしてもだいたい松の内が終わるころからなんとな~くドンヨリしてくる。
頭の中に脳みそではなく粘土が詰まっているような重たい感覚がやってくる。
慣れない頃は急激に頭が悪くなるので「心が折れた」と思っていたけれど何年かするとお約束のアレが来たなぁと憂鬱になっていた。
主治医にも相談はしていて頓服をもらったりしてみたけどず〜るずると落っこちていく。
いわゆる「冬季ウツ」というもので日照時間や寒冷による影響らしいけど明確な治療法は見当たらなかった。
「光療法」といって午前中の太陽光くらいの光を浴びたりする治療法もあるけど主治医はエビデンスがイマイチだから午前中に窓際に座って日差しを浴びてるほうがいいよ、と言われた。
うん…フルニトラゼパムで失神しているから目が覚めるとすでに陽光は傾いてる。
傾いた日差しでも何もないよりはマシだろうと椅子に腰かけてぼんやりとテレビの前にいると杉下右京が何度目かの同じ事件を解決していた。
そういう日々が長く続いていた。
何も始まらず何も終わらない。
そんな日々が毎年やってくるのが2月。
そうやって思い込むから良くないと言われたし、
自己暗示みたいだと思ったこともあるけど何をどうやっても冬になると潜水艦よろしく沈んでいく。
頓服を使ってみたけど効果ナシ。
光療法もエビデンス的に微妙ということでナシ。
主治医がたどり着いた答えは
「クリスマスが終わったら南半球で過ごす」という難易度マックスのもの(半分は冗談。当たり前だ)
そのくらい冬になるとど~んよりしていた。
聴覚過敏になって突然大きな音が出ると体が硬直したり、自己肯定感もへったくれもない日々だった。
一番ひどい時は窓から外を見ると物干し竿に輪っかになったロープがぶら下がってるイメージが湧いてきて外を見るのさえ怖かったんだよなぁ…
なんというか、死ぬ気はないのに心の深淵が表出してるような感じがしてすご~くイヤだった。
それでも不思議と晩ごはんを作ってカミさんの帰りを待つというルーティンは守っていた。
もちろん時折できない日もあったけど。
どん底でもカミさんに迷惑をかけたくないという想いが自分を動かしていて、それが死を遠ざけていたのかもしれない。

前にも書いたとおり、わしは友人を2人亡くした。
だから遺された人の気持が分かっている。
それがまたしんどいんだ。
気持ちがよく分かるから耐えてるけれど気持ちがプツッと切れたらアウトだから綱渡りみたいな心境だった。

よく分からんけど悲しいくらい悲しくて涙も出ない。
生きている理由がわからないけれど死ぬ理由もわからないから惰性で時間をやり過ごす。
本当にカミさんがいなかったら危うかったと思う。

転機になったのは仲間とともに本の編著に携わったことでほどほどの責任感を学ぶことができたから。
なので2018年くらいから寛解していることになる。
けどそれも永久に続くかどうかは分からないから毎年、冬になるとやっぱり構えていた。
実際、2022年の冬からちょっと怪しい感じになっていて、その時はあいりきで九州と横浜を何往復もした疲れが出たのかなと思っていたけど、
去年もやっぱり怪しくて今年もなんとな~く怪しい。
けど怪しいだけで済んでいるのは仲間と毎週日曜に開催しているハマッチャのおかげ。
「ちと滅入るな…」と思っていても仲間が待っているので時間になったらZOOMを開く。
いつもの仲間がそこにいる。
あれやこれやと色んな話題が飛び交って笑いが起きたり同じように「今、しんどい」仲間の気持ちを聞いていたりすると自分だけが辛いわけじゃないし、
みんなの優しい気持ちや思いやりに触れることでわしもほっとしたり安心することができる。
そもそもハマッチャを立ち上げたのは、
わしがしんどい時にアウトリーチしてほしかったことがきっかけなので大変なこともあるんだけど作っておいて良かったと実感してる。

今年の冬も怪しかったけどチョイ低空飛行くらいで過ごしている。
たぶん桜が咲く頃には安定飛行に戻るだろうな。
わしはハネることがないので焦ることはない。

ここ数年でピアサポーターとして人前で話す機会がすごく増えたのは寛解しているからできること。
けれどわしは辛かった冬の気持ちを常に手元に置いている。
寛解することはエラくもないし立派なことでもない。
そのことを忘れてしまえば助けるどころか次元の違う人になって何の説得力も持たなくなる。
「自分はとてもじゃないけどあんな風にはなれない」
「あんな風になれないとピアサポートはできない」
そんな気持ちを与えてしまうかもしれない。
というかわし自身が高名なピアサポーターに会うたびこんな感じで落ち込んできた。
だから驕らずというか調子に乗りすぎないというか…
まぁ…それをわしは過去を手元に置くという感覚で表現してるわけです。

忘れちゃダメなのよ、辛い過去は。
そこがあって今があるんだから。
遠い昔にしちゃダメなのよ、きっと。
ピアサポートってそんなキラキラしたもんじゃないと思うし素晴らしいもんでもない。
自分の宿業と他人の業で成り立ってるんだから。
支援でもないし救済でもない曖昧な存在。
時に色んな人と衝突したり嫌われることもある。
けどそれ以上にステキな人たちとも出会える。
そんなステキな人たちのおかげでわしは冬を越している。
だからピアサポートを続けてるってわけです。
まぁ…生半可な覚悟でやってるわけじゃないけど、
そこまで気負ってもいないテキトーなとこも多いし。(多すぎ?)

ま…そんな感じで2月も折り返し。
やっぱ大丈夫だなぁ。うん。
今月末は名古屋に遠征するから疲れがドカンと出ないことを今は祈る。
…名古屋名物を食べすぎて胃もたれならしたいかも(笑)

ってーなところで…
お付き合いいただきありがとうございました。
アディオース!