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リボーン、リビルド、リカバリー

夏が来た。
15年くらい前までは夏になると躁転していたことを思い出す。
単純に活力が漲っていただけかもしれないし、
「夏の魔力」というやつのせいかもしれない。
いずれにせよ子どもの頃から夏はいつも元気なタイプなので「元気と躁転」の線引にえらく苦労してきた。
(生まれつきの双極気質かもしれん…)
元気なら元気過ぎたっていいじゃんという感覚がなかなか抜けなくて、ウツウツとしていた時期を取り戻すようにアクセルをベタ踏みするような感覚だった。
結果としてエネルギーを過剰放出していることに気づかなかったらマジでセミのように夏しか生活できない人種になっていたかもしれない…
人間、総じて楽しいとか気持ちいいことを自制するのは本当に難しいけど、
それをグッと抑える達観したような生き方がわしには必要だった。

さて前置きはこの辺にして(なげーよ…)
最近わしはリカバリーというワードにモヤッていた。
メンタルヘルスではとても重要なことだし、ピアサポートでもしょっちゅう出てくるワードなので当たり前のように使っているので、あまり疑問も抱くことも考えることもなく過ごしてきた。
ちなみにリカバリー(Recovery)とは回復のことで、メンタルヘルス領域だけでなく、
スポーツやビジネスの場面でも使うし(エラーとかミスを挽回するとかね)
TVゲームなどでは大昔から使われているのでレジリエンスとかエンパワメントに比べると身近なワードかもしれない。
今回はメンタルヘルスに限定して綴っていきますので他はいったん置いといてください。

メンタルヘルスで言うところのリカバリーをざっくりざっくりシンプルにわしの感覚で説明すると(定義も色々あるので)
◯1.発症→2.社会から離脱→3.治療→4.社会復帰
という過程としておきます。
で、これは一方通行ではなくてループの時もあるしものすごく長い時間がかかることもある。
(わしも2〜4をめっちゃ繰り返した)
なので100人いたら100通りのリカバリーという表現を用いることが多い。
わしは正解がないことでも条件反射的に正解を求めてしまう性格というか思考だったので
エラく遠回りしてきた。
躁転を徹底的に抑止しても冬季うつには歯が立たなかったので、
冬の訪れとともに社会から離脱せざるを得なくてぼんやり春を待っている生活がトータル10年くらいだろうか。
その間は実家でも自宅でもほぼ引きこもり状態で外出も一人では難しいことがあった。
何なら洗濯物を取り込むのも怖かった。
何と言うか…あれこれ対策を立てても冬には必ずうつが来て抗うことができない。
もちろん躁転してないので「やらかしによる自責感」はないけれど、対策を立てても効果がない無力感はあるので違うしんどさがあった。
早い話が冬になると働けなくなるので失業もセットでやってくるから喪失感は満載。
仮に「桜が咲くまで休職していいよ」と言われたとしても、たぶん辞めたと思う。
桜が咲くまでに復活しなければ…というのが
とてつもないプレッシャーになる面倒な性格なんで…はは…。

じゃあなんで今、寛解したのかと聞かれると
1つはやりたいことしかやってない。
もう1つは…かつてのような生き方を捨てたから。
就労移行に通い始めて障害者として生きることとしっかり向き合っていたけれど、
卒業後は週20時間、いずれは30時間。
ゆくゆくはフルタイムで…と考えていた。
けれど20時間が限界でとてもじゃないけどフルタイムで働くことはできそうになかった。
いや、無理だった。
線維筋痛症の影響で疲れが抜けにくくなっているのもあるし慢性疼痛でずっとストレスがかかってることもある。
そうなると自分で描いていた社会復帰は現実とえらく乖離していたので自分の首を絞めたし、
自己肯定感もバブル崩壊並みに下がっていった。
わしはたまたまその頃に
「精神障害者が語る恋愛と結婚とセックス」の編著に誘われ成り行きで編集長になった時に働くことをいったん放棄した。
とりあえずこの本を世の中に出すまでは働かない。じゃないと本の編著がどんどん遅れると思ったから。
もちろん経済的に厳しくなるので親とカミさんには頭を下げまくってこの本がいかに必要かを説明したよ。
その年の冬。
わしはうつが出なかった。
さらに「あいりき」の研究プログラムが始まり集中していたらやっぱりうつが出なかった。
このタイミングでわしは寛解の診断を受けた。
そこで色々と整理してみると
いつかは元に戻りたい=フルタイム勤務だった生き方を捨てて、
やりたいことを優先するとストレスと変なプレッシャーがなくなり体調が安定したという結論に至った。
社会的な常識で考えれば
「誰だってやりたいことのために何かを我慢してる」的な感じだと思うから、
かなり荒唐無稽というか1人じゃ成立しない。
でも実際わしは精神的にとても安定する。
これってなんだろうか…?
と思った時に浮かんだ言葉が「生まれ変わる」つまりリボーンだった。
生まれ変わるがしっくりきたきっかけは布袋さんの「さらば青春の光」を聴いていた時に
クライマックスの
「何もかも捨ててしまえ
  そして生まれ変わるのさ
   全ては明日の夢に導かれた物語」
という歌詞でハッとしたこと。
初めて買ったCDなので何年聴いてるんだよって話なんだけど、まぁタイミングなんだろう。
社会に適合できなかったことに執着していても適合できるようになるわけでもなし、変わるわけでもない。
何とか前みたいにフルタイムで働いてそれなりに稼ぎながら趣味や楽しいことをやっていくことを目指すから途方に暮れて絶望感に包まれてしまう。
だったらこれからは精神障害者として自分なりの生き方を見つけていくしかない。
元に戻るのではなくゼロから考え直す。
そうすることで「働く」の1点に限って言えば可能性を広げることに繋がったし、
色々やっていく中で必要なことは
「あ、これ前に仕事で良くやってたから得意」みたいに自然と繋がってきた
(自主製品の売り方とか陳列とかポップ描いたりとか)
あくまでわしの場合だけど、やってきたことを活かそうとしているとやってきたことしかやらなくなって可能性を潰す。
やってみなけりゃできないかどうか分からないのに避けていたら自分の幅を狭めてしまうから仕事も限られてしまう。
特にわしは接客販売ばかりやってきたのでそこに戻ろうとすると障害者雇用ではかなり難しかったというのもある。
だから余計に捨てることが大事だったと今は思う。
速いと思っていた頭の回転や高いと思っていたコミュニケーション能力すら著しく低下していたからなぁ…

そういう経緯があるからリカバリーというよりリボーン(再生)、もしくはリビルド(再構築)というワードを自分の中では用いてきた。もちろん捨て去ったからといって順調だったわけじゃなくて、
むしろ過酷だったような気がする。
七転び八起きというか七転八倒。
挫折に次ぐ挫折だった時期もあった。
悔しすぎて眠れないという経験もしたけれど、
パズルに例えると組み合わせが合っていないだけでピースは揃ってるという状況だったような気がする。
そこでたどり着いたのが
「わしはお金のためだけに働くことが不可能なタイプ」で
「やりがいや好きなことなら低賃金でもOKタイプ」ということ。
もちろん「やりがいがあって好きなことで高収入」であれば尚良し!だけどほぼ幻。ファンタジー。
さらにカミさんも同じことを思っていたので、
収入についてはカミさんに頼りつつ無理なく働ける範囲で自分に必要な金額を稼いでおくという形にして、
それは今も変わらない。
家父長制というか未だに主たる家計は夫が稼ぐみたいな価値観の人からすると理解しがたいだろうね。
自分でも最初の頃は情ねぇなぁと思っていたし。

なぜこんなことを改めてかんがえているかと言うと最近リカバリーカレッジという取り組みに心惹かれることが多くなり色々と調べていたら、
こういう風に思案して模索して試行することが「リカバリー」なんだなぁと思った。
回復に向けてやってきたこと、考えてきたことは人それぞれだから枠に収めるのではなく、
「回復したい気持ちやプロセス」のことなのかもしれない。
障害の有無とか関係なくあらゆる人にとって大事なことだと思う。
たとえなかなか前に進まなくても、時に後退していても回復したい気持ちが消えない限りリカバリーしてる。
だって終わりはないから。
いつか心臓が永久に止まる日までずっとリカバリーは続く。
ってことはまたリボーン、リビルドするチャンスが来るかもしれない。
不安がないわけじゃないけど、自分の幅がぐーんと広がるからちょっと楽しみだったりする。
(うつは御免被るけど)

価値観も感覚も人それぞれ異なるからこそ、
わしは精神障害とか関係なく色んな人に会って話を聞いてみたい。
自分の世界を広げていくこともリカバリーだと思うから。

まぁ…性格的にガッチガチのお勉強的なものはあんまり向いてないのでゆる〜くゆる〜く。
ケーキを食べつつとかビールを飲みつつってのもいいんじゃないかな?とか。
ふざけた感じで真面目なことをやるってのはリラックスできるから思ってることを言いやすいし。
もちろん合う合わないはあるだろうけど。
そこはまぁまぁ、ほら多様性ってことで(笑)

さ…無理やりまとめたところで今日はここまで。
長々とお付き合いありがとうございました。

では…アディオース!

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