バリバラに出てみて
つーことで。
バリバラに出演した思い出やら改めて伝えたいことやら何やらをまとめて綴っていこうと思います。
今回は見出しも目次も付けちゃえ(いつもやれよ…)
まずは再現ドラマの補足から
2024年10月10日のバラバラにわしは双極症の当事者として出演した。
テーマは「うまく休めない!」
番組をご覧になった方の目にどう映ったかはわからないけれど、
たぶん今のわしはわりと好きなことだけをして好きなように生きているように見えたと思う。
とりあえずどう考えても「休み方」に困っているとは思えないんじゃないかと。
むしろ「貴様は休みすぎじゃ~このばかちん!」
という声がどこかから飛んできそうな気さえする。
まぁまぁ。分かりますよ。
でもその「休みすぎ」って誰を基準に、何を基準に判断しているのかしらん?
月〜金の9時〜17時の勤務体制?
というかそもそも考えたことないんじゃないかなぁと思うことが多いのです。
学校で習うわけでも会社で教えてもらうわけでもない。
わし自身、休み方が行方不明になってずいぶんしんどい時期があったから考えたわけで、
仕事が楽しいわけでもない、
なのに休みの前日になると仕事に行くよりユーウツになって足取りが重かった。
なんせ翌日はやることがなかったから。
もちろん家事はあるんだけど自分がやりたいことが無くなっていたからまだ仕事をしてるほうがマシだった。
再現ドラマにしたのはちょうどその頃のことで休みの日はずーっとタイムスリップしてカミさんが帰ってくるのを待っているだけ。
(もともと双極症の冬季うつ持ちなので働いてない時期にも定期的にタイムスリップはしてました)
カミさんとシフトを合わせないと一緒に過ごす時間も限られていたから本当に持て余している時間が多かった。
この頃は精神保健福祉士を目指していたので学費を貯めていたこともあって自由に使えるお金もできるだけ削っていたから自分の首を絞めていたのかもしれない(高卒なので4年制に入学する必要がありまして)
部屋にあるのはギター、遊び尽くした旧型のゲーム機。
あとはCDと映画のDVD、読み飽きた小説くらいで娯楽があるようで無かった。
ユーウツなので選択する気力というか能動的に動くことができないから音楽や映画を選ぶことができなかったし適当に選んでも全く頭に入らなくて結局は映像が違うだけでタイムスリップしていた。
もちろん棚にある本は文字が頭に入らないし何を試してもタイムスリップ。
それでもカミさんの負担を減らしたり笑顔を見るとちょっと気持ちが楽になるから夕食を作って洗い物をすることだけはよほどのことがなければ続けていた。
カミさんの健康管理もあるし。
いわゆるパート主夫生活ですね。
で、まぁ言ってしまえば特殊なことをしてるわけじゃないから再現ドラマではあるけれど、
わしもカミさんも特に演技とかしてるわけではなくいつも通りのことをそのままやっただけなのでわりと自然だったと思う。
わしは一応、朝は洗顔だけして無精ひげ&寝グセのままにしておいたけどね。
だってタイムスリップしてる人の髪型がビシッと決まってたら変だもん。
要するにスイッチ切ってる普段の自分なので今でも廃人デーはこんな感じで何も変わってない。
まぁ…スッピンってやつですね。
つーか予定のない日なんてこんなもんすよ。
じゃあ当時と何が変わったのかというとゲーム機とネット環境がある。ただそれだけ。
実は再現ドラマにはカットした部分があって、
あまりにもタイムスリップがつらくて耐えられないのでPS4を買いたいという話し合いの場面があって終わりだった。
(ディレクターさんが休みについて解決策を提示して恣意的になるのを避けるためにカット)
わしはファミコン時代からずーっとゲームが趣味なんだけど社会に出てから仕事が忙しかったり、
そもそもウツウツとして働いてなかったりという繰り返しで20代は時間がある時はお金がない、お金がある時は時間がないという悲しい反比例ライフだったから疎遠になっていた。
その間もやりたいタイトルは続々と出てるしPS2がPS3になりゲームボーイアドバンスがニンテンドーDSになりとゲーム機の世代交代まで起きていたからショーケースを眺めては日本海溝くらい深いため息をついていた。
少し時期は遡るけど2008年くらいに躁転してパチプロやりながらカミさんと暮らすようになると
「モノが増えるのマジでイヤ。イヤ。」という意見を尊重していたので(変に律儀)
今度はお金もあるし時間もあるけど買えないという状況だった。
かろうじて場所を取らないのとドラクエ9が遊びたかったのでDSを買ったくらいだった。
ちなみに余談ですが当時DSはタッチペンでも操作できたので脳トレやレシピ集も出ていてわりと実用性もあったからゲーム以外にも使っていた。
特に「しゃべるDSお料理ナビ」は料理の基礎から教えてくれたおかげで得意料理が増えに増えて今では他人に振る舞うところまで成長したからドラクエより役に立った気がする。
この頃の躁転は今のところナンバーワンの跳ね方だったからぼーっとする時間がなかったので実はあまり困ってない。
いや正確に言うと休む必要がないくらい過剰放していた。
ただ、わしに振り回されるカミさんは大いに困っていたけど…も…はい。
余談終わり。
で、まぁなんやかんやありつつ寛解してフルタイムで働けるようになりカミさんと入籍した半年後にストレスでぶっ潰れてしまい
一転してウツウツ星人の襲撃を受けていた。
悪いことが続いたのもあって毎日がタイムスリップ。
この頃(2012年ごろ)にあの「リモコンは5chのみ」というタイムスリップが確立された
(バリバラ見てない方ごめんなさい)
ただこの時期は食事を作るのもままならないことが多くてギリギリ生きる選択してます状態だったからエラくしんどかった。
(この辺のことは以前書いてるので端折ります)
こういう過去があり、ようやく障害者雇用で働いたものの就労移行時代に「働くこと」しか考えてこなかったので「休むこと」に対する意識がなくて再現ドラマの状態に陥っていた。
再現ドラマその後
で、実際にPS4を買ってからはだいぶ…というより劇的に変わった。
なんせPS2からPS4なのでグラフィックの進化やらボリュームが全く違うしネット回線があればウェブやサブスクも使える。
おうちが楽しい…楽しくてたまらない…
仕事が終わったらマッハで帰ってゲーム廃人化するようになった。
何なら仕事行かずにゲームしてたい…ってな感じになった。
…たまに熱中しすぎてご飯作るのが遅くなってカミさんに叱られましたけども…はは…(汁)
そしてこの頃、ピアサポート仲間と出会い任意団体で活動を始めて数年後にVTRで紹介された「精神障害者が語る恋愛と結婚とセックス」の編著に携わることになった。
そして好きな時間に寝起きしてやることをやっていたら寛解に繋がった。
もちろんこれだけが理由じゃなくて、程よい責任感や一緒に書いている仲間の想いなどもずいぶん支えてくれたので複合的です。
カミさんや両親、主治医も応援してくれた。
そして本が無事に出版された時に考えたのは
「このペースを維持しながら働ければやれるかも…」だった。
自分に必要なお金を稼ぎつつ無理はしない。
ゲーマーなので電気代はわしが払う。
ほどほどに我慢、でもあくまでほどほどに。
優先順位とコスパを考えて。
クレカ使う時はカミさんと一緒のときだけ。
外食は基本、折半。
という感じでルールは作りつつ現在はパート主夫をしている。
去年から今の仕事に就いてやりがいがあるからこそペースを維持。
ちょっとキツイな〜って時は無理せずに休んで構わないと念押しされているのでありがたく静養して心身を整える。
並行してハマッチャ(オンラインピアサポートグルーブ)の運営をしているのでこっちも無理せずに。
もちろんどうにもならなくて無理せざるを得ないときもあるけど、
そんな時こそ必ず廃人デーを作ってカバーしていて、
スマホは必ずサイレントにしてゲームやサブスクで映画や音楽にどっぷりと浸かる。
なんならサブスクで音楽かけながらゲームしてることもある。
以前とは違いとにかく自分の心が求めるままに過ごす選択的孤独タイムがわしにとってはとても大事。
何かに追い立てられるでも駆り立てられるでもなく誰のことも気にせずに過ごすと心が軽くなる。
おっと、もちろんカミさんとデートすることも大事にしてますのでご安心を。
とにもかくにもスケジュールが埋まらないようにして全体のバランスを考えながらゆるっと楽しく日々を過ごしているのが今のわし。
(ちなみに今月がタイトだったので11月はスッカスカにしてある。だからそっとしてくれ…誘わないでくれ…)
メディアに出るってこと
正直、自分がテレビに出るなんて考えたことはなかったし数年前なら断っていたと思う。
やっぱりメディアに出ることに対する、
ある種の怖さはあるし、
そもそも取り上げられるとも思ってないのから野放図にやってきていた。
けれど自分の想いや考えを多くの人に届けられるのがメディアでもある。
だったらわしのツマラン都合は置いといてテレビに限らず片っ端から受けたほうが例え小さくても波紋が起きるかもしれない。
何も起きないよりはマシじゃん。
同じように頑張ってる仲間がたくさんいることだって伝えたい。
今回に関して言うと単純に面白そう、楽しそうって気持ちのほうが勝った。
そんな気持ちで双極はたらくラボさんのYouTubeやあいりき関連で新聞の取材を引き受けていたし、
バリバラもディレクターさんとの打ち合わせでごくごく自然に、できるだけ誇張をせずに一緒に番組を作りたいという想いがあったから引き受けた。
別に目立ちたいわけじゃない。目立ちたけりゃ自分でコンテンツ作りゃいいんだから。
わしはそれを楽しいとは思えないのでやらないけれどね。
根本的に他力本願(ただの怠惰)なので
誰かのまな板に乗ってるほうが楽しい。
やっぱりわしは楽しいことをしてるとメンタルが安定するタイプなんでしょう。
長い人生、しょっちゅう躁転したりウツウツ星人と戦うより
例え収入が少なかろうが生産性がなかろうがメンタルが安定していることを大事にしたい。
カミさんと出かけたいし笑っていてほしい。
世間と比較してたらまた派手にぶっ壊れてシオシオのパ〜。
あらゆるものを失うことになる。
いや…だって本当に疲れるんだもん…ソーウツの波は…。
そういう中で経験してきたことをnoteに限らず様々な形、活動を通して伝えてきたのでメディアに出るというのは特殊なことではあるけど、
延長線上にあるような気がする。
極端に言えば悪名は無名に勝るってやつでしょう(極端すぎるよ)
バリバラの出演を決めてから…
そんな感じで色々と考えたりしながらも出演を決めてからは実に慌ただしかった。
6月に打ち合わせを済ませて7月は再現ドラマ撮影とダダ散歩ロケ。
8月はスタジオ収録とナレーション収録とものすごいスピードで事が進んでいった。
いやはや…これが実に楽しかった。
あまりにも楽しい思い出だらけだから一生忘れないと思う。
再現ドラマ撮影後に皆さんから誕生日ケーキをいただいたり(翌日にコロナ感染発覚…)
ダダ散歩ロケ当日に新幹線が運休状態になりスタッフの方々が急遽、関空から文字通りすっ飛んできたり(プロの対応能力はスゴい…)
バリバラは大阪放送局なので収録のために前乗りしてカミさんと大阪観光できたのも良い思い出になった(たこ焼き屋さん教えてくれた皆さん本当にありがとう)
スタジオでの本番収録では目の下のクマが気になるのでメイクさんにちゃんとメイクしてもらえたし、たまにテレビで見えるクレーンカメラなどの機材がグイーンと動いていたりスタッフさんが走り回っていて、
当たり前なんだけど「あ、これテレビだなぁ」とマヌケなことを考えてながら座っていた。
そしてレギュラー陣の皆さんはとても優しくてテレビで見るまんま。
レモンさんの声と被り物の大きさはちょっと驚いた(さすがオセッカイダー)
さすがに最初の自己紹介は緊張しちゃったけどディレクターさんがカンペ持って常に近くにいてくれたしスタジオの奥ではカミさんが見てくれているからあっという間にいつも通り…というかスイッチ入れた自分に戻ることができた。
ナレーション収録で再び大阪に行った時は大好きな俳優さんでバリバラのナレーションを担当している神戸浩さんにディレクターさんのご厚意でお会いすることができて記念写真も撮ってもらえて感無量。
(嬉しさのあまり本人の前でサムライフィクションのモノマネをしてしまった無礼者です)
スタッフさんの中に円谷&東宝特撮マニアの方がいて(再現ドラマの小道具で私物の1つとしてわしがゴジラとミニラを持参したのがきっかけ)
ステキな贈り物をいただいたり(しかもダダ友だった)
共演した川野泰周さんが同じ横浜の方なので今後に繋がる御縁もいただいて今のところ良いことばかり。
勇気を出して出演したけど本当に良かったと思う。
ちなみにほとんど緊張しなかったわしがもっとも緊張したのは放送当日。
いよいよ放送される、もう後には引けない、炎上したらやだなぁなんて今になって考えてしまいタバコの本数がエラく増えてしまった。
(炎上してない…と思う)
放送後、同僚や仲間から届く感想の多くが
「ダダ散歩」に関することだった。
いや…あのですね…それももちろん良いし嬉しいっちゃ嬉しいですが番組内で他の方も色々と良いお話をしてたのにダダなのか…?
ちゃんと全体が伝わった上でのダダなら良いのだけど…
マジでダダが番組からのメッセージをかき消してないことを祈るばかりです(汁)
まぁ何でもいいか。
皆さんが「休みがしんどくない」と思ってくれたらそれでいいや。うん。
もしかしてダダって原作とは違って人を惹きつける力があるのか…?なんてことを考えたテレビ出演でした。
久々に長くなりましたが最後まで目を通していただきありがとうございました。
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