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アントニー・バージェス(山形浩生訳)『ジョイスプリック』


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「経済のトリセツ」でお馴染み山形浩生氏による訳書。

原書は1973年刊行とあるので実に半世紀前である。

バージェスといえば一も二もなく『時計じかけのオレンジ』だが、小説家のみならず評論家・作曲家としても著名なことを初めて知った。

主に『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』の例を通して、ジョイスの言語への革新的なアプローチを理解すべく、文学批評・言語学その他諸々からの多角的分析が大真面目に試みられる一方、訳注のツッコミやこんなの訳せねーよというボヤキが翻ってジョイス的で楽しくもある。



"もし文学が、その姉妹芸術のリソースを簒奪して自分自身の正統な壮大化に利用するよう学ぶことがあれば(そしてそうすべきだ)、その道を示すのはオルダス・ハクスリー『恋愛対位法』やT・S・エリオット『四つの四重奏』のようなものではない(これらはツメの先で音楽に触れた程度でしかない)。それは、他の実に多くの文学的な進歩の場合と同様に『ユリシーズ』となるのだ"

"ジョイスは『ユリシーズ』で目覚めているときの英語の可能性を使い果たし、次の本では「ことばを眠らせる」と決意していた。眠りによって、日中の時空間解釈様式の硬直性から解放されると、ことばは流動的になる。人類の集合的無意識からのイメージ侵入に解放された言語は、世界の他の様々な言語からも積極的に受粉する"

"苦闘する読者と『フィネガンズ・ウェイク』のむずかしさとを和解させるのは、こうした詩的な魔法の瞬間なのだ。ちょうど『ユリシーズ』の人間性とユーモアのおかげで、あまりに延々と続く実験や、物語の本筋との実り少ない並置にこだわる、言語的なひけらかしなども読者が大目に見てくれるのと同じだ"

"ジョイスのことばの根本的な強さは、語彙を増やそうという熱意にあるのではない(略)土着イディオムの愛着に満ちた受容にあるのだ。(略)ジョイスは土着ダブリンのリズムから決して—コントラストを引き出す劇的効果のため以外は—遠くへ離れようとはしなかった。『ユリシーズ』と『フィネガンズ・ウェイク』はどちらも、ダブリンという町の言語的リソースを誉めそやすものとなっているのだ。それはディケンズが19世紀ロンドン英語のリソースを掲げて見せたのと同様だ。言語学者はジョイスに、「ジョージ五世とエドワード七世」の御代でもあるかのように(スティーブンは夜の町で予言的になっていたのだ)、大量の外国用語集を通じてアプローチするだろう。だがそれ以外のすべてが文学なのだ"



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