自称”ほぼベジタリアン”だけどこれといって生活に支障はない
先日、か~な~り久しぶりに、大学時代の友人たちに会いました。
わたしは普段、積極的に誰かと連絡を取ったりしないし(仕事は別)、ましてや都内で外食なんて今や滅多にしなくなってしまったのですが、今回はたまたま友人の一人(野菜が苦手)がSNSにヴィーガンの話を投稿していたので、ついコメントしたことがきっかけで、今回のランチが実現したのでした。
お店決めの際、何か食べられないものある?と聞かれたので、改めて「肉は食べないよ~」と伝えたのですが「え?それって魚の肉もダメってこと?」と返ってきた。うん、確かにそういう解釈もあるな。
なので今回は「今、自ら食べないようにしているのは(主に)家畜肉で、それ以外は基本的に何でも大丈夫だよ~」と答えたら、なんとなく納得してもらえたようで、その後は特に大きな問題などもなく、当日は予約してもらったお店へ行きました。
そこで実際に会ってから言われたこと。
「たぶん、あなたがベジタリアンと言っているから、みんなあなたのこと野菜しか食べないと思っていると思う。だから外食あんまり誘われないのかもよ」と。
へえ、そうなんだなあ、と素直に思いました。といっても、外食に誘われない・・・と落ち込んだりしたことは、ラッキーなことにまだ一度もないのでいいとして(近年あんまりそういう欲望がない上、友人の多い東京に滞在していることがこの数年は特に少なかったのもあるかもしれない)。
でもそういえば、東京で一緒に過ごしてきた友人知人たちの中には、わたしが知っている限りでは、かねてからベジタリアンとかヴィーガンの人っていなかったなあ、と気が付きました。
でも本当に、特にベジタリアン生活をしていて、自炊中心で暮らしている限りでは、特に何の支障も感じないのが現状です。
もし例えば、これが外食大好きなタイプだったり(外食嫌いだとは言わないけど、頻繁に外食したいとも思わない)すれば、ちょっと話は別なのかもしれないのですが、わたしは外食の時ってたいてい友達とのおしゃべりを楽しみに行くので、まあサラダのひとつでもあればいいかな、ってところ。
それでも、わたし自身が”ほぼベジタリアン”と自称するようになったきっかけであるノルウェー滞在での出来事や、それまでの自分の興味で調べたこと、そして何より自身の体験から得たことが大きかったのだな、と思い返すことになりました。加えて日本の(特に)外食産業において、そういう菜食主義者たちへの理解が、欧米諸国などに比べるとまだ薄いのかな、と再認識することになったのでした。
ええと、どこから話したらよいのだろう。とりあえず言いたいのは、菜食主義にも色々あるということ。そして、その理由も実に様々だということ。
そして、これは特に日本において真摯に受け止めてほしいと願っていることなのですが、人にはそれぞれ食べ物の好き嫌いがあるように、誰にでも「違い」があって当たり前、ということ。そもそも、好き嫌い、という言い方自体も適切ではないと思うし、わたし自身ちょっと違和感はあるのですが、ここでは分かりやすい表現のひとつとして採用しますね。
というわけで、今一度”菜食主義”とは?をざっくり確かめてみた
ひと口に”菜食主義”といっても、どういうことか分かりにくいって人もいると思います。ひとまず、思いつく限りで挙げてみることにします。というか、こんなリストを見つけたので、参考までに貼っておきますね。
いっぱいありますね。
詳しくは上記のリンクを参照していただくのが一番わかりやすいと思うのでここでは逐一説明しませんが、これだけ見ても、慣れないうちはもう何が何だか・・・!ってなります(本当にそうだと思うし、ここで紹介した例が全てではないとも思っている)が、それもそのはず。生きている人間の数だけバリエーションはある、とわたし個人は思っています。
だって、その人によって食べない理由は実に様々だから。単純な好み、アレルギー、今までの人生におけるトラウマ、環境への配慮、健康的な理由、宗教で禁止されている、など。
ちなみに、個人的な理由として、”ほぼベジタリアン”の立場としてお肉を口にしない(厳密にいえば、動物性食品自体を積極的に摂らない)理由には、いま思いつく限りでは健康上の理由、環境への配慮に加え、日本人はそもそも歴史的に肉をそんなに食べてこなかった人種だし、積極的に食べなくてもいいかなと思うに至ったのもある。
それで、初めはただお肉を食べる頻度・種類を減らしてみたりしているうちに自然と食べなくても大丈夫になってきちゃいました。身体に合ってたんだろうなあ。そして食べない習慣が身についてから、身体の調子がとてもいいので自然と続いているってのも今は大きいです。
けれど、例えばこういう個人の事情を知らず、おもてなしとして肉料理を提供してくれた場合、あるいは儀式の場などの特別なシチュエーションの場合では、その命に感謝して頂くこともあります。これも人によると思うけど、わたしは目の前に供された命には、食べて自分の血肉になってもらうのが一番いいと思っている(もし土に還せる状況ならそうするかもしれないけど)ので、自分なりにケジメを持ってやっているつもりです。
”ほぼベジタリアン”生活を始めて起きた変化・気が付いたことなど
今でこそ、自分がお肉を食べない暮らしを送っていることを特別なことだとは思わないし、ベジタリアン生活をする上で何か支障を感じる場面ってのもほとんどないのですが、考えてみれば確かに「お肉食べません宣言」を周りにいうに至るまで、ちょっとした障壁なるものを感じていたような気がします。
先ほどちょろっと書いたように、わたしがお肉を意識して食べない生活を始めたのは、ノルウェーで暮らし始めてから。初めは単純に、前回の学生旅行時に外食先で食べたラムシチューの臭みがすご過ぎて食べきれなかったという強烈な思い出が残っていたのと、自炊のためにスーパーで買い物をするとお肉が高い(特に鶏肉かな)ので、じゃあ別に買わなくてもいっか、と思うようなったから、でした。
当時は、代わりにFiskekake(魚のすり身ハンバーグ的な?それか、はんぺんといえば分かりやすいかも)か、ソイミート。ここで初めて買ったと思うんだけど、北欧のスーパーではソイミートが結構普通に売っていた。なので、よく買っていました。あ、ちなみにこれは2〜3年前のはなしです。念のため。
そして何より、たまたま知り合った友人知人の「ヴィーガンなの」「お肉は食べないんだ」という人の、なんと多いことか。ノルウェー人に限らず、日本人にだって多かった。そして、その言葉に対し、特に大きな驚きや違和感をもって接する人がいなかったことも、長らく日本に暮らしていたわたしにとっては、なかなかの衝撃だった。
また同時に、当時働いていたオスロ市内のクレープ屋さんで注文を受ける際に、グルテンアレルギー、ラクトースアレスギーの人たちの多さにもびっくりしたのですが、それはまた別問題が絡んでくるので、ちょっと置いときますね。
とにかく、そうした人たちに「なんでそうなったの?」と聞いてみると、みんな案外(?)快く話してくれるのよね。だから、もしこの記事を読んでいる人の中に「菜食主義の人ってなんだか気難しそう」なんて思っている方があれば、全然そんなことはない!むしろ思うところあって菜食主義を実行している人も多いので、話を聞いてみると面白い発見があったりするよ、とここで言っておきます。100人いれば100通りの答えが返ってくるからね。
そんな風にして、色々な「菜食主義をしている理由」を聞いていくうちに、共感・納得できる部分が多いことに気がついて、自分でも色々と調べるようになりました。
わたし、ノルウェーに行く前は和菓子屋で働いていたのですが、和菓子屋にいる上で和菓子の歴史を知ることも大切なので、それぞれの和菓子の起源とかもよく調べていたんですね。そうすると、大抵は中国から渡ってきたんですけど、肉を使ったものばかり。けれど肉を食べる習慣のない日本人が改良した結果が和菓子の原型になった、というものが実にたくさんあることにも驚いていました。これが、上記に挙げたわたしの「理由」のうちのひとつに繋がっています。
で、自分なりに色々と調べて考えて、こういう結論になりました。別に自分から求めてお肉を食べる必要はなさそうだな、と。
けれど、お魚が大好き!というわけでもない(特に生魚は昔からちょっと苦手)し、栄養面も心配だったので、まずは頻度を減らすところから。鶏肉は割と味が好きだったのもあり、食べたくなったら無理せず食べていました。
旅行先やホームパーティーなどでは食べたりもしましたが、ノルウェーを出る頃にはもうほとんどお肉が必要なくなりました。だし、この後リトアニアのオーガニックファームに2ヶ月ほどいたので、魚も自然と食べなくなっていました。もはや意識していなかったけどね。
たま〜に出かけ先でお魚とかチキンとか食べてみたのですが、その日はずっと身体が重くなってしまったりして、自然と「もういいや」ってなったみたいです。
この次の年、わたしは千葉県のエコヴィレッジ(?。いまだになんと呼ぶべきかわからないので、とりあえずリンク貼っておきますね)で、今度はヴィーガンベース、つまり乳製品や卵なども出てこない食事を基本にしつつ、たまに(個人的に買って)チーズとか食べて1年くらい過ごすことになるのですが、これもまた調子が良かった。仕事も仕事でめっちゃ動くので、ごはんどきにはもうしっかりお腹が空く。
そして何より、自然農の畑やご近所さんのお野菜、自家製の調味料(これも麦とか米とか大豆から自然農で育てている)、野草などがふんだんに使われたお料理の、なんと美味しいことか。
本当に、身の回りの自然から恵みをいただけること、手間ひまかけて育て上げてくれた生産者の方々(自分たちも含む)への感謝の気持ちに満たされながらいただく食事の時間。リトアニアのファームでもそうだったけれど、地産地消を心がける意義は、こういうところにもあると思っています。
そしてこの、生産から口にするまでの過程を家畜業や養殖業の現状に置き換えて考えたとき、わたしには納得ができない。だから改めて、食べるのをやめよう。今に至るまで”ほぼベジタリアン”を自称する、わたしの一番の理由は、ここにあるのかもしれません。
”ほぼベジ”として日本で暮らすことは別に難しくない
思えばヨーロッパにいる間、特に「わたしはお肉を食べません!」みたいな宣言って、あんまりしていなかった気がする。そこまで強い意志があったわけでもないけれど、あえて言うならば外食に行ってもほとんどのお店のメニューにベジオプション・ヴィーガンオプションが用意されていたのが大きかったように思います。だから、わざわざ「わたし食べられないものがあるから」と言ってお店選びに苦労をかけたりする必要もなかったんだろうな。
自炊生活でもそんなに困らなかったし、旅先でも同じく困らなかったのは、スーパーのお惣菜コーナーや食品表示にもすごく分かりやすくヴィーガンマークとか付いていたからだと思う。今考えてみればの話ですけど。
それが、日本に帰るってなった時、実は結構困ったことのひとつでもありました。個人的に友人たちとの外食時はサラダの一皿でもあれば充分けれど、わたしの友人たちはとてもやさしいので、特に初めての場合はお店選び・オーダーの際にもすごく遠慮してくれちゃう。全然いいのに、好きなの食べなよ~と軽く言うようにしていますが、やっぱりこちらでは菜食主義者ってまだまだ馴染みが薄いのかな、と。そして今でもまだそう思うことが、よくある。
だから、友人たちとの付き合いにおいて、わたしがあくまでも”ほぼ”と言っている理由は、ここにある。魚介類や乳製品、卵は大丈夫となれば、あまりベジに馴染みのない人でもそこまで壁を感じることはないのかな、と思うし、自分でもチーズとかは好きなので、たまに食べます。だいぶ減ったけど。
ただ、海外のレストランやカフェのように、肉も魚も使わないメニューって、サラダとか一品料理の類ではいくらでもあるけれど、メインとかでお腹がいっぱいになるようなものって、日本の出かけ先でちょっと探してみるくらいのノリでは、すぐには見つけられないのが現実です。日本には大豆製品という超絶素晴らしい味方がいるじゃありませんか!と常々思っているんだけどね。ぜひ、飲食業界全体で推していってほしい。
でも、あまり厳しく制限しちゃうと、今の日本ではかなり選択肢が狭まってしまうこと、栄養バランス的にもまだわたしには完全コントロールはできないだろうと思ったこと(ただし何度も言うように、自炊では基本食べない)。というわけで、積極的に食べるわけではないとはいえ、そこまで今の自分に厳しく制限を課すまでには至らないかな、と思ったことが、今のところ”ほぼベジタリアン”を自称する理由かなあ。
前提として、周りの理解は大切ですよね。わたしは帰国して実家に帰ったその日に、家族に「肉を食べません宣言」をしました。と言っても、主に料理(特に夕ご飯)を作ってくれるのは母なので、彼女の負担が大きくならないようにしてほしい、という思いもあり、お魚は普通に使ってもらっています。わたしの自炊生活だったら毎日のように食べることはまずないけれど、まあ、一時的な居候状態だし、と割り切ることにしています。
確かに日本において、まだまだ菜食主義者への理解は薄いように思うし、なんとなく同調圧力を感じる場面や言い出せない雰囲気ってあるのも事実なんだけれど、こういうことがもっと普通な世の中になっていけば、もっといろいろな面で生きやすくなると思うんだけどな。
けれど、一番初めの話に戻ると、先日一緒にランチをしてくれた友人たちは、決して菜食主義者を煙たがっているわけでもなんでもなく、ただよく知らないだけなの、と教えてくれました。そしてベジタリアンやヴィーガンの違い、わたしの食に関する考え方にも、とても興味を持ってくれました。
そう。わたしも自分が飲食業界で働くまではよく分かっていなかったし、自分が体験して初めてわかることもありました。だから、とにかくまず「知る」ことが大切だと思う。
食の好みの違いは食べるものの選択は、たとえばみんなそれぞれ趣味や嗜好が異なるように、違いがあって当然のこと。でもその「違い」に対して、知ろうという意識が働かない限り、お互いを理解し得ることはないと思うのです。そういうことって、何も今回の話題に限らず人生においてたくさん起こりうることでもあるでしょうし、お肉や動物製品を食べない人への理解も、この記事を読んだことをきっかけにして、ぜひ「知る」ことを始めてくれる人が増えてくれたらいいな、というのが、今のわたしの願いです。
どんな人であっても、みんなで食卓を囲んで、楽しくおしゃべりしながら、ごはんを食べましょう。それが平和への第一歩でもあるのだから。
《9/25 追記》
ツイッターで流れてきたので、こちらの動画をシェアしますね。
とても分かりやすいし、無理のないアクションから始めたらいいよ~ということも言ってくれているのがいいね。
興味のある方は、ぜひ観てみてください(これは後編。前編もあるらしい)。