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【体験談】苦しいだけではいけなかった~部活奮闘記~

はいどうも!(^^)/
対人恐怖克服コーチの野田新菜(のだわかな)です!

私は主に、社交不安障害(あがり症、赤面症、視線恐怖等)でお悩みの人をサポートする活動をしています。

今回は「ブラック部活にいた時の話」をさせていただきます。


これは、本当にあった話です。

私が中学~高校1年生の秋まで所属していた部活動のお話。

「苦行を乗り越えて、やっと本物の自信がつく」
「勉強はバカでもいいから、人間としてのバカにはなるな」
「先生(顧問)のためにテニスをしろ、結果を出せ」

私は先生からそう教わっていました。

中学から寮生活をしている身としては、
学校の先生や顧問の先生が親みたいなものでした。

私は強化部の部活動にいたため、顧問の先生といる時間が一番長く、
部活が生活のほとんどを占めていました。

とにかく私は、認めてもらうのに必死でした。

毎日5:30に起床。
そこから1時間朝練があるのですが、
遅刻をするとグラウンドの外周を10周。

この時、誰が遅刻をしたのかは先生に報告がいきます。

授業で寝てしまうとその日練習場のすぐそばにある丘を10往復。

罰則はあくまでも自分で決めてやるのですが、「やらないといけないよね」という雰囲気が充満していました。

実際、全員が同じような罰則や戒を実行していました。

戒を決めて我慢をすることも大事だと教わり、
スナック菓子、アイス、甘い飲み物、一切を禁止していました。

練習が終わってもゆっくりお風呂につかる時間もなく、
10分くらいシャワーを浴びて終わっていました。

きっと身体は休まってなかったと思います。

当時、同じ部活動にいた人は口をそろえて言います。
軍隊のような生活だったねと。

見捨てられないように、認めてもらえるように、試合で使ってもらえるように、私はやりたくないけど意欲のある動きを見せようとしていました。

「叩いたりして怒るのはお前に対して期待しているからだ」

こう言われたこともあります。

夏合宿では初日と最終日にビンタと平手打ちをされ、
かわせなかった悔しさが未だに残っています(笑)

練習では説教と同時に近距離でスマッシュを身体にくらったこともありました。

私はこれは良いことだと思い込んでおり、
逆に甘やかしたり、何も言ってくれないのは、相手にされていないから。

そう捉えていました。

だからなのか、内容にもよりますが、
怒られる度にホッとしている自分もいました。

けど、正直、何かある度に怒られるのも怖かったです。

試合に勝っても怒られる。

挨拶しに行っただけで怒られる。

質問しに行っただけで怒られる。

呼び出される=怒られる、でした。

何をすれば褒められるのか全く分からず、
いるだけで怒られるのではないかと毎日ビクビクおびえていました。

先生が主催のテニス大会の運営のお手伝いをした時、

「ほんと、お前は役に立たねーなぁ!!」

と何度も言われました。

「みんな周りを見れてるのにお前は一つのことに集中してしまって周りが全然見れていない。人間力が全然ない。仕事が全然できない役立たずだ。」

もうこてんぱんでした(笑)

私はその先生やコーチの言うことを真に受けてしまい、自己暗示をかけていたのか、本当に仕事ができない人間だと自分のことをそう思っていました。

この経験が、(仕事、何してもできないんだろうな)という自己否定につながっていたのかもしれません。

唯一褒められたのは、長期休暇で誰よりも走り込みをしたときでした。

長期休暇は分刻みで1日のスケジュールをコーチ(先生の教え子)に自主的に送っていました。

そこで、私は誰よりも走れば認めてもらえるんだと思って、
そこから走ることに関しては誰にも負けないように毎日自主練で走っていました。

しかし、当時の私は、

見捨てられるのではないかという恐怖と
いつ終わるのかわからない苦しみで心が麻痺していました。

遠征中は特に24時間監視されているつもりでずっと気を張っていました。

遠征で夜遅くまで続いたMTGは、2時間正座をすることもありました。

怒られていることは分かるのですが、足がしびれて内容が入ってこないこともざらにありました(笑)

風の強い日に体育座りで数時間も話を聞いている時は、
寒さのあまり歯ぎしりが止まらなくて内容が全く入ってきませんでした(笑)

練習中は水分補給がない日があり、心身ともに追い込まれました。

チーム間でも仲が良いのかよくわからず、
「先生のためにテニスをしている同志」という感覚でした。

「とことん自分を追い込め、自分を甘やかすな。」
「自分に厳しくしろ、心の隙やつめの甘さが試合にも出てくるんだ。」

自分なりに先生の言う通りにしてきたつもりでした。

放課後は歩くこともなかったです。
コートへ向かうところから競争でした。
先生から一番近いコートで練習するのにみんな必死でした。

だからか、放課後に歩いて部活に向かう人を見ると、
「自分に甘いんだな」と軽蔑していました。

自分に厳しくしすぎて、周りにも厳しい目で見てしまっていました。

こういった考え方が、自分の部活は特別なんだという天狗のような思考につながっていたように思います。

私がある時異変に気付いたのは、高校1年生の時でした。

高校3年生が部活を引退し、コーチの立場になった時です。

そのコーチから、「学校生活では部外の人とあまり関わるな」

こう言われました。

(それはおかしい。誰と関わろうがその人の自由だ。)

私はそう思いました。

「毎日服装は揃えろ。気持ちを一つにするためだ。」

(これもちょっとやりすぎでは、、汗)

違和感の数が増えていきました。

自分の会話が先生にまで知らされていたこともあり、
監視されているということをより強く意識し始めました。

軽い胃腸炎になったり、私は最終的にやつれていきました。

「この部活、おかしいよな」が確信に変わっていき始めた時に、
本気で取り組めるわけもなく、
何もかもがやらされているように感じ、我慢の限界でした。

どれだけ食べても体重が7キロ近く短期間で落ちてしまい、
笑顔も消えていきました。

顧問の先生は、正しいことも言うのですが、
その中にいきすぎた内容も入れ込んでくる人でした。

部員は先生の信者でした。

だから先生が言うことは絶対。

先生に気に入られることが正義。
自分の意思は必要ない。

ちなみに、他の先生は私の所属している部活をよく思っていなかったそうです。

この前母校に行った際、「止められなくてごめんね」と言われました。

テニスを続けたかったけど辞めざるを得ない状況だったから辞めた、
というのは私以外にもいたようです。

たしかに悔しかった。

もっとテニスをしたかった。

当時、嘘の理由で私は辞めました。

「テニスが大嫌いになったから」

嘘を本当にしようとしばらくは友人にもその理由で通していましたが、
本当はテニス自体は好きだし、走るのも好きでした。

辞め方も分からず、
逃亡して一時的に寮とは別の棟の部屋にかくまってもらい、そこで休養を取っていました。
退部届も代理で出してもらい、やっと辞めることができました。

部活を辞めたら学校には戻れないと思っていたので、高校を辞めることも考えていました。
両親に協力してもらい、編入も試みましたが、当時の教頭先生に却下され、1週間くらい実家にいましたが、なんとか登校復帰しました。

学校に戻ると、案の定、部員は口も聞いてくれませんでした。

露骨に無視され、やっぱりなと思いながら、登校していました。

部員からしたら私は「裏切り者」。

逃亡前日まで自主練をしていたのに何故。

そう思われても仕方ありません。

私にできたのは、なるべく部員と会わないように生活パターンを変えることだけでした。

数年間生活を共にしてきた関係が一瞬にして壊れるのは何とも虚しいことだなと思いましたが、そうなるのを分かって選んだことではあるから、これでいいんだと、自分に言い聞かせていました。

私は辞めてから、すぐに受験勉強にシフトしていきました。

何かに熱中していないと私はそれこそずっと部活にとらわれたままだと思い、いっそ勉強に打ち込んでそっちで成果を出していこうと決めました。

しかし、現実はそう上手くいかず、すぐには切り替えることもできませんでした。

厳しさから逃げた私は弱いのか?
放課後に歩いている私は自分に甘いのか?

先生から教わったことがまだ染み付いていて、葛藤していました。

私は自分の意思ではなく、こうすれば認めてくれる、喜んでくれる、そういう基準でずっと行動をしていました。

私がそれをやりたいから、ではなく。

この受験勉強も私が勉強をやりたいからではなく、他人から見ても偉いと思われることだし、気が紛れるからやっていました。

今までの人生を振り返っても、私は誰かが喜んでくれるから、あるいはこうなりたくないからという回避を理由に何かを選択してきていました。

この寮の学校を選んだのも、
本当は制服のスカートを知り合いに見られたくなかったからでした。

それで合格できたのですから、どうしても見せたくなかったんでしょう(笑)

社交不安障害を克服してからです。
自分のやりたいことに正直になれたのは。

それまでは、「他人の評価」が第一でした。

こうした傾向が私を社交不安障害にしたのだろうし、
自分の価値に気づけなかったのだろうと思います。

もっと自由に生きていいんです。

面白いことに、私が辞めてからしばらくして、
同期の部員も部活を一斉に辞め、顧問も学校を辞めました。

その一人の同期と一人の先輩は関係も修復するどころか今の方が仲が良く、
定期的に食事に行ったり、この年齢までに結婚相手がいなかったらシェアハウスをしようとも話している仲です。

かけがえのない友人ができたこと、努力する習慣を養ってくれたこの部活動には感謝しています。

だけど、苦しいだけではいけないです。

苦しいだけでは成長できません。
そこに楽しさがなければ続きません。

全国大会に出ている選手はみんな厳しさの中にも楽しさを見出している。

私は苦しみだけだった。

これが結果を出せるかそうでないかの違いだと、今では思います。

【最後に】

もっとわがままに生きていいし、自分を大切にして生きてください。

私の人生の主人公は、私なのだから、人生の舵を切るのは私。
何を選択するのも、私の責任。

自分のやりたいことが、誰かの喜びにつながればいいんです。

自己犠牲や他人の評価を気にして生きている方に伝えたいです。

まずは自分のために生きてください。

他者に貢献するのはその後です。

他人にどう思われるかを基準に行動しないでください。

あなたがどうしたいかが肝心です。

楽しさと甘さは違います。

楽しさは真剣にやってないとわからないものです。
成長には欠かせない感情です。

決して苦しみだけにならないように、楽しく努力をしていきましょう!


普段は、
・人の目が気になる
・視線が怖い
・緊張して赤面したり頭が真っ白になる
・手足が震えて力が発揮できない
・会食が怖くてできない等

こういったことでお悩みの方に向け、60分間の無料個別カウンセリングを行っています。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました!





































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