「スマホをやめよう」という表現に引っ掛かる
自己啓発本関係の本や動画を見ているとよく出てくるのが「スマホを使う時間を減らしましょう」という表現、これがどうにもしっくりこない。
もちろん言いたいことはわかる。
スマホを使う時間を減らして、もっと自分の好きなことや自己投資に時間を使いましょうということ。
もちろん自分にとって大事なことに時間を使うことには大いに賛同するが、「スマホがダメ」という括りがちょっと気になる。
周囲に危険を及ぼす歩きスマホや運転中のスマホは論外として、電車の中や喫茶店なんかでスマホを使っている人がいてもその人が何をしているのかはわからない。
仕事の調べもの、副業、資格や語学の勉強、読書、ライブやアニメ等の動画視聴など、他にもその人にとって有意義な時間の使い方をしている可能性を無視して「スマホを見てるダメなヤツ」と言っているようにも聞こえる。
モノによってはスマホを見ずに本を読みましょうと書いてあることもある。
スマホで本を読んでますが…。
もちろん「スマホ」を使う弊害もある。
例えばアプリの通知、ゲームやSNSへの誘惑も強いし、それらのアプリに簡単にアクセスできるせいで集中力が途切れやすい事などはよく知られている。
が、それらは対策しようと思えば方法はあるので使い方の問題だろう。
周りから見てどれだけ無意味でも、本人にとって充実した時間を使えているならスマホだろうがなんだろうがいいんじゃなかろうか。
要するに「スマホを使う」と簡単に言ってしまうせいで問題の本質から逸れているように見える。
個人的な見解だが問題の本質は、後から考えた時に「それに時間を使わなくても良かったな」と感じる時間の使い方をしていることだろう。
そして、このあまりよろしくなさそうな時間の使い方はスマホに限らない。
スマホがその入り口になりやすいというだけで、テレビも本もゲームも同じことが起きる。
数十年前の自己啓発の本にはテレビやマンガを止めましょうと書いてるかもしれないし、10年後や20年後には違うデバイスが悪者になってるんだろう。
幸いスマホはただのツールなので強制的にアクセスしてくるようなことは無いし、自分で距離をコントロールできる。
せっかく色々できる優秀な端末なんだから、その優秀さに振り回されず、自分がコントロールする側に回るように気を付けたいとつくづく思う。
せっかく役に立つ事が書いてある本でも、言葉一つでこんな捉え方をする面倒な人間もいるんだから、著者の方々は言葉選びも大変だ。
このあまりよろしくなさそうな時間の使い方に程好い名前があればいいのになと思う。
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