母との関係と自分の変化について
南国鹿児島も、肌寒くなってきた
夜は暖房はまだ付けないものの、毛布にくるまっている
母は想像力と語彙力が乏しい
ひとを安易に傷つけたり、言わなくて良い一言が制限できない人はこの2つが欠けていると思っている
それをこんなにも身近な人から、ある意味学んできた
それを反面教師というのだろう
わたしが幼い頃から、母が時々見せるわたしへの嫌悪感は何だろうと考えたことがある
わたしが不仲だった父に似ているから?
とろいから?
家事が苦手だから?
学生の頃は、三姉妹なのに母はなんでわたしにだけあたりが強く、しかもそれを悪気なしに出来るのだろうか、本当は悪気もあるのだろうか、と苦しかった日もあった
でも多分本当に悪気も自覚もないのだろう
わたしへ強い言葉や態度で締め付けて支配しようとするのは、その言動とは真逆でわたしが"怖かった"のだと思う
すぐ感情的になる母に対して、殆ど他人へ怒りを示さないわたし
またそんな母をどこか見下していて、価値観の違いを感じていたのが何かしら伝わっていて、わたしがそれを言語化してしまうと真意を突かれるのが怖いから、その前に強い言葉と人格否定で先手を打っていたのだと思う
勿論それも無意識の中で
わたしは幾らでも論破できる隙だらけの母の言動に、これまで戦うことはなかった
母が"話をする"ということを放棄して圧をかけてくることが分かっていたから
「全く意味不明なことを言っているけど、まぁ我慢して聞き流せばいっか」
「ここで私が論破しても、とんちんかんな言葉や人格否定をしてでもわたしに"勝った"と思いたいんだろうな」
とその場をやり過ごしてきた
けれどこのままでは、わたしだけ消耗してばかりで理不尽と分かっていても心が死んでしまう
そう感じてしまったのが20歳を超えたあたりのとき
あとから思った
母のわたしに対する言動は、昨年わたしがとある会社で受けたパワハラと一緒だったんだな
わたしは昨年、パワハラで心が死んだ
母からの攻撃や理不尽な怒りへの耐性もついていたため自分のSOSを無視して、限界を超えてしまったのだ
でも今は、独立し、フリーランスのwebデザイナーになり、沢山のあたたかいひとたちにも出会えて、こうやって涙を流さずに振り返ることが出来るまでになるなんて去年の今頃は想像もしていなかった
どうやってここまで立ち直れたかは、ここには書き切れないくらいいくつもの理由があったと感じている
どん底だった日々から毎日noteを書き続けているから、それを見守ってきてくれているひとたちからしたら、そんなの一目瞭然なのかもしれない
今は対価としてお金を頂く"お仕事"として文章を書くこともしているが、そうじゃないこのnoteもずっと支えの一つである
今の自分を支えているひとつひとつに感謝をして大切にしていきたい
毎日投稿はきっともう少し続ける