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子どもの事で悩むお父さんお母さんへ
もともと小学校で教員をしていたわたし。
日々の何気ない会話や道徳の授業でよく"家族"について子どもたちに問うことが多々あった。
『家族だから助け合おうね』
『家族が困っていたら手を差し伸べてね』
『家族だったらみんな仲良くなきゃね』
子どもたちには常にそう教えていたし、保護者の方から個別に"子どものこと"で相談を受けることもあった。"言うことを聞かない子ども"や"暴力を振るうようになった子ども"に悩むお母さんが泣きながら相談しに来ることもあった。その度にわたし自身も一緒に悩み、間に入りつつ関係の修復をお手伝いした。みんな笑顔になってくれた。
他人のことなら毎日毎日体力を消耗してまででも悩み向き合えるのに、わたし自身の"家族"のこととなるとどうしようもない。
わたしは今も"家族"との関係が良くない。はっきり言って悪い。家族に不信感があるし、どうしても"価値観"が合わないのに"家族"というだけで、強制的に考えを押し付けてこられることが本当にいやだった。それでも頑なに『親の言うことが正しいに決まってる』という理不尽な理由だけで、子どもの意思を潰さなければ、少しだけ耳を傾けてくれたら、それだけでもっと上手に付き合うことは出来たと思う。だから、わたしのように子どもが少しでも減るように、わたしみたいな子どもを持ったお父さんやお母さんが少しでも楽になったら良いなと思い、私ごとですが話させてほしい。
父は大学生の頃亡くなり、その後わたしたち姉妹が"母"を支えながら生きていかないといけないな、と当時は思ったのだが、どうしてもお互い受け入れることが出来なかった。
私は沢山沢山努力した。でもその度にわたしの努力や工夫を心無い言葉でへし折るのはいつも母だった。
納得いかなくても私が折れれば、私がもっともっと"親の望み通り"になれば、傷つくことも減り、家族も満足するだろう
と思って数年過ごしてきたが、それも間違いだった。
正直、父が亡くなる前より関係は悪くなったと思う。その理由は、私が前より少しだけ"本音"を言ったことが原因のひとつだと思う。
26年間、家族から勝手に"何を考えているか分からない子""本心を隠している子"とレッテルを全身に貼られ、わたしを理解しようとしなかったのは、そっちが先なのに。"本音"を伝える機会を奪ってきたのはそっちなのに。
それでも私なりに関係を良くすることを諦めたらいけないと思い、意を決してわたしが"本音"の一部を伝えようとしたら、受け入れようとすることもなく関係が悪化するなんてどうしたものか。とても苦しかった。
これから子育てに悩むお父さんお母さんや、"上手くいってる"と思ってはいるけれど、子どもは家であまり意見や考えを話すことないな〜という現状のお父さんお母さん方に、届いてほしい。決
現在20代も後半にさしかかったわたし。10年程遡ると、親のいいなりだったとしても、国公立大学に合格したときは、それなりに嬉しかった。
わたしの合格を家族や親戚が心から喜んでいる姿が嬉しかった。それが受験した唯一の理由だったし、これでやっと"家族"からの期待やプレッシャーから自由になれる、とほっとした。
でも、それは間違いでここからもっと"親の期待"に応えなきゃと苦しい思いをするし、"親の希望"に添えないような流れに少しでもなろうものなら、『わたしは家族に必要とされなくなる。ダメな人間。』と追い込まれる。
これから始まる"大学生活"やその先が自由なものだと思い込んでいた当時の自分に、教えてあげたい。
もっと言えばわたしが"親の希望=絶対"だと思い込んで生活していたのは、いつからだったのか。
自我が芽生えたとき?気の強い姉の"妹"だと自覚したとき?妹が生まれ"お姉ちゃん"になったとき?
ある程度の年齢までは、特別大きな選択を自身でする機会もないが、わたしは"自分でするべき"だった選択も"親の言いなりにすることが当たり前"だと思い込んでいた。
【幼い頃から子ども自身が"選択する"機会を与えてほしい】
母は決してわたしに"無関心"なわけではない。むしろ"愛情"が故にだと言うことは分かっている。その結果、高校進学、大学進学はもちろん、就職先や住む家、結婚相手などまで全てその都度『こうしなさい』と言われてきた。ここまでくるともう"愛情"ではない。これは異常だということに気づいたのは、相当後になってしまったが、わたしは"気づけた"からまだ良かったと思っている。
こうなったのも、幼い頃から"自分で選択する"習慣がなかったから。そうなると、わたしみたいに急に目の前に人生において大きな分かれ道が現れた時に"選択"できなくなる。その姿を見て『ほら、だから親の言う通りにしたらいいのよ』と言われて、そしてまた"言いなり"になる。お互い"異常"で、これはその後を考えるとリスクが大きすぎる。
"親の言う通り"にして良かったことももちろんある。
そうなると、親も得意げに『ほらね』と言うだろう。
けれど、もしその選択で上手くいかなかったら?
子どもは親のせいにしたくなるし、親は責任なんてとれない。
だからこそ"自分で決める"ことが大事。
どんなに小さいことからでも良いです。
始めは2択などにしてあげても良いと思います。
『明日どんな格好をしたい?スカートそれともズボンにする?』
こんな風に。
すると、子どもは自然に"自分で選択"できるようになります。更にどうしてそっちを選ぶのか、という理由まで考えられる力もつきます。
『明日は公園で走り回りたいから、ズボンがいいな。』
というように。
こんなこと意味ある?と思う方もいらっしゃるかと思いますが、恥ずかしながらわたしにとっては"こんなこと"もとても難しかったのです。
どうか、親の理想や希望を子どもに押し付けないでください。過去の自分が"出来なかったこと"を子どもで叶えようとしないでください。過去の自分が親に制限されて"出来なかった"から、子どもも"させない"ことで平等にしようとしないでください。
今は"親"かもしれないけれど、かつてはみんな誰かの"子ども"だったのですから。子どもに"選択"の練習をさせてあげてください。そしてあと少しだけ、子どもの声をきいてあげてください。
それだけで、3年後、5年後の親子の未来が明るくなるので。
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