2022年11月3日。月齢は8.5。 ほんのり太った、これから満ちてゆく月だった。 2024年1月4日。月齢22。 ほんのり痩せ、これから欠けてゆく月だった。 満月に向かって東京へ帰り、 新月に向かって沖縄へ帰った。 ただいま。行って帰ってくるのに、14ヶ月もかかってしまったよ。 久しぶりの沖縄のにおい。 空港から街まで向かうモノレールの窓から見える名前も知らないひとたちの生活。 沖縄の建物たち。各駅の民謡の発着メロディ。 国際通り。知り合いのお店、昔働かせてもらってい
意識が朦朧としてくるまで絵を描くのが好きだ。 もう疲れちゃったな〜とうっすら思ってから3時間くらい経つともう描きたくない〜と身体が悲鳴をあげはじめ、それからまた2時間くらい経つと、 もう何も思わなくなる。感じなくなる。考えなくなる。 そこから大体2、3時間くらいはほぼ完全に無意識で、手と眼だけが動いてる。 ある瞬間が来ると、あ、もう辞めようって筆を置く。 ここまでやって、ああ今日も描いたなあとなる。 筆と筆洗器とパレットを洗う体力と、家に帰るまでの体力を残せるようになった
去年の5月にわたしはまるっと四半世紀を生きた。 1年間は体感5秒で過ぎ去り、今年26歳を迎えた。 26歳になって思う。 うちらはきっと、今、第二思春期まっさかり。 いや待て待て、なんだよ第二思春期って。 自分で考えてみたのですが、なんか、この言葉絶妙にキモくないですか?第二ですよ、第二。一番にもなれないけど一番に限りなく近い、第二。 「思春期」という、やたら曖昧でぬるりとした言葉を微妙ポジションの「第二」にくっつけるだけで、不快指数がグーンと増します。 なるべく避けて通り
死ぬまで一生愛し続けるからと、だれかに言われたことはある? あなたは自分の宝だと、だれかに言われたことはある? 17歳の頃はこの世の全てが敵で、 この世の全てを舐め腐っていた。 17歳の頃は何も知らなかったから、 怖いものなんてひとつも無かったから、 だからこの世の悲しみはぜんぶ知っているつもりで、喜びはそこかしこに在って当たり前のものだった。 親に黙って男の家に泊まりに行っても、変な格好で高校に行っても、予備校をサボってレイトショーに行っても、作ってもらった弁当をコンク
何かをつよく望み、それに向かってひた走ることができる喜びを忘れてしまうほど、わたしたちは豊かに育ってしまった。豊かすぎて、望まない。 だいたいなんでも手に入る世の中。 ほとんどの人間が自ら得ようとせず、 与えられることを待って待って、 与えることがなんなのか、よくわからないこととなってしまったように思う。 幸いわたしの周りにはがめつく愛しい友人たちで溢れているけれど、ひとたび外の世界を見渡すとそうでもないひとがたくさんいることに気づく。 そういう、そういうことを考えはじめ