銀座で嗅いだ月桃のかおり
2022年11月3日。月齢は8.5。
ほんのり太った、これから満ちてゆく月だった。
2024年1月4日。月齢22。
ほんのり痩せ、これから欠けてゆく月だった。
満月に向かって東京へ帰り、
新月に向かって沖縄へ帰った。
ただいま。行って帰ってくるのに、14ヶ月もかかってしまったよ。
久しぶりの沖縄のにおい。
空港から街まで向かうモノレールの窓から見える名前も知らないひとたちの生活。
沖縄の建物たち。各駅の民謡の発着メロディ。
国際通り。知り合いのお店、昔働かせてもらっていたお店。
懐かしい栄町のりうぼうを通り過ぎて、首里へ。
ぐんぐん目線が高くなってゆく。
空がどこまでもひろくて、とても近かった。
いつもの、沖縄の空。
なんにも変わってはいなかった。
きっと、ずっと昔からこの空は変わっていないんだろうと思った。
これを書いているだけでも涙が出てくる。
わたしはどうして、こんな場所を1年以上も、
自分に与えてあげられなかったんだろう。
たった5時間もあれば来られる場所なのに。
こんなにすぐに来れるところだって、
わたしが一番よくわかっていたのに。
住んでいる頃、みんなにそれをわかってもらいたくて必死だったのに。
「もっと早く来ればよかった」なんて、東京のひとみたいなこと思ってしまって恥ずかしかった。
にわかに後ろたい気持ちはすこし大きくなって、
でもそんなのもどうでもいいって言わんばかりに、太陽は熱かった。
ベイビーに向かう道中に咲いている月桃の葉はゆらゆらしていた。
崎山公園から見える海は穏やかで、ゆっくりとした時間を作っていた。
そして再会した友人たちもまた、みんなゆっくり優しくて、なにひとつ変わることなかった。
なにも特別なことも言葉もなく、ただただ普通に、でもちょっぴり緊張しながら、おかえりとただいまを言って、あの日の続きが始まった。
わたしは嬉しくて安心して、また涙が出そうだった。
沖縄では、息がしやすかった。
言葉が、表情が、態度が、優しかった。
ここにいる自分のことが好きだったし、だから、ここが似合うよと言われたことも心から嬉しかった。
離れていた時間は恨めしくも思うけれど、
でも距離は思っていたほど遠くなかった。
大好きだった。
みんなのことも、サンダンカも、バスも、舗装されていないガタガタのコンクリートの道も、
赤ちゃんに近づくおばあも、オールデンの店先も、ベイビーから見える那覇の景色も、
330号線から見上げるモノレールも、りうぼうの匂いまでも。ぜんぶ。
そっか、そうだったな。と思い出す。
わたしはまたここで生きたいから、
だからしばらく東京で頑張ろうと決めたこと。
きれいなことだけじゃないから、2年住んで、いろんなことを見たからこそ、でもだからそれを分かった上でまた始め直したいと思ったこと。
またみんなと、おなじ場所でおなじ時間を生きたいと思っていたこと。
個展の最終日、日も暮れそうな時間に友人たちがわらわら来てくれて、
そしておのおのが話している様子を眺めながらわたしはひとり、うわあ〜〜〜となっていた。
わたしがみんなから栄養をもらっていることに、
みんながわたしを形作ってくれていることに、
その時、急に気づいた。
わたしはなんて馬鹿なんだろうと思った。
できもしないくせに、なんでもかんでもひとりでどうにかしようとして、
なんならできているつもりで、世の中のすべての辛いこと背負ったようにひとりだけで頑張っているような顔しながら生きて、馬鹿みたい。
そんなして自惚れていたお陰で深まった仲もあるし、そんな自分も一生懸命で可愛いと思うけど。
だけどみんながいなかったら、こんなふうに生きてこられなかった。
ただお話が楽しいとか、いい匂いがするとか、
そんなことだけで繋がっているようなひとたちではなかった。
じぶんでも、わかってる。
さっぱりしている時もあれば、ねっとりしている時もあって、嬉しくても素直に表現できないのに、嫌なことや嫌いな人がいるとすぐ顔に出るし
怒っていなくても口調はきついし、うるさいくらい喋ると思いきや突然黙るし、きっと知らないうちに怖い顔や優しい顔をしていたりすると思う。
いつだって自分では自分のことがよくわからない。ややこしくって複雑な面倒くさい人間だと思う。
だけど、わたしが生きていられていること、
こうして沖縄で、いやそうじゃなくて、東京でもどこでも関係なく、大好きなひとたちがたくさんいること。それはわたしの力なんかではなくて、みんなのお陰でしかない。
みんながわたしを受け入れてダメなことや嫌なことや思ったことをちゃんと伝えてくれて、
それぞれがそれぞれ、わたしとお話ししてくれたりわたしのことを想ってくれる。その力をもらうから、わたしも力が湧いてくるんだね。
だから、わたしは奇跡的に今日もこの日を生きていられているんだなと思った。
1泊2日も、4泊5日もわたしにとっては変わらない。一瞬で過ぎ去ってしまった沖縄滞在。
いろんなこと言い訳にしないで、
もっと沖縄に来ようと思った。
まだまだ行きたいところも会いたいひともたくさんいる。
沖縄に置いてきてしまっていた、わたしの、大切なさまざまなものもまだ拾いきれていないから。
だけどまだもうすこし待っててね。
沖縄から東京へ向かうことはこれまで何度もあったけれど、今回が今までのそれの中で一番、さみしくて心細くて、かなしかった。
だけど今までと違うのは、また明日から始まる東京の生活や、毎日を一緒に過ごす人たちと10日振りに再会できる嬉しさもあることだった。
身体がふたつあったらいいのにな。
またすぐくるよ。
みんなが、健やかに生きてくれていてよかった。
これからもそうしていてほしいし、
わたしもまた生きるから。
生きていたら会えるから。また会いたい。
深夜の東京に着き、寒さのレベルが違いすぎてもはや痛かった。
ただいま東京。
ここも、わたしの故郷。
帰る日に、茜と至恩にひとはどうして嘘をつくのかなというお話をしていた。
どうしたってひとは自分を守りたいからだ、
とわたしは結論づけていた。いつもの通り、わたしが喋ってわたしが結論づけて、フム。みたいになって、お話は終わっちゃったんだけど。
東京に帰った日の翌日、職場がある銀座の街を歩いているとどこからか、ふわっと月桃のかおりがした。
大好きな月桃のかおり。銀座で嗅ぐとは思わなかったな〜なんて呑気に思いながらまた歩いていると急に、ハッとした。
そっか。ただただ、好きなひとにかなしい顔をしてほしくないっていう、それだけの、ただただ純粋なあったかい気持ちも存在するか。と思った。
卑しさもなにもない、本物のそういう気持ちは絶対にあって、良いか悪いかはさておき、それで嘘をつかせてしまうこともあるか。と思った。
わたしだって、じぶんの好きなひとにかなしい顔してほしくないし、させたくないな。
嘘はなるべくつきたくないけれど。
でもま、永い人生だもんね。
茜と至恩にこれを伝えようと思ったけれど、
きっとこの文章も読んでくれているだろうし、
どうせまたわたし、同じ話何回もするから会った時にまた話すね。
那覇空港でバイバイした日、
2024年1月8日。月齢は26。
新月間近、暗くて澄んだきれいな空の日だった。
きっとまたどこかで会えるよ。
それまで、健やかにね。
今日は東京に雪が降りました。
2024.01.13.sat. nomura elico