【テクノロジーの話】東芝とクロパトキンと私
東芝と私
現職については書けませんが、前職で経験したことは「日本社会で共有すべき何かを含んでいる」と思いますので、書き留めておきたいと思います。
私が新卒社員として東芝に入社したのが、1997年。経財界のキング(ボンビー)、西室泰三氏が社長でした。
数年後のある日、若手エンジニアの私は、事業部長クラスの偉い管理職(便宜上、事業部長とします)と雑談をしていました。
ちなみに、当時の東芝という巨大企業は組織の階層が深いため、風通しが非常に悪い。
事業部長クラスともなれば雲の上の存在で、10年に一度話す機会があればいいほう。下手をすると直属の部長とも一年に一回話すかどうか。
その事業部長は例外的にフランクな人で、雑談の輪に入ることも多かったと記憶しています。
そして雑談中、事業部長は私の話が聞き取れず、こう聞き返しました。「え、クロパトキンって?」
「あ、はい。日露戦争のときのロシア軍の総司令官です。」と、私。
「そうなの。君って面白いね。」という感じに会話は進みました。
このころ、日本経済は山一證券や北海道拓殖銀行の破綻などがあって下り坂の様相でしたが、一方で東芝は絶好調だった、と思います。
パソコン事業では「ダイナブック」と「リブレット」がある。パーソナルコミュニケーター「ジェニオ」(PHSモデムにペン入力機能のついた電子手帳、つまりスマホの原型のような製品)や、デジタルスチルカメラ「アレグレット」もある。
AV事業ではDVDの普及を力強く牽引し、傘下の東芝EMIにはキラーコンテンツのビートルズやユーミンに加えて、新たなスター、宇多田ヒカルや椎名林檎が出てきて、勢いがあった。
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貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。