【三国志の話】三国志演義に登場するコンビたちに格差はあるか
『三国志演義』には、同じようなタイプの二人を同格のコンビのようにして登場する例が多いことに気づきました。
そのため、『演義』をベースに二次創作する場合も、どちらかだけを採用というわけにはいかなくて、つねに両方を採用することになります。
小説などでは単に文字数が増えるだけでしょうが、ゲームでは配下武将の人数が有利不利に直結することも多い。
コーエーはじめメーカーの担当者様はバランス調整に苦労するだろうと推察申し上げます。
能力値に差をつけないと個性がなくなるし、差をつけるとしても100段階の1~5くらいのわずかな差になるでしょうし。
その差をつける根拠は文献からは見つけられないので、良くいえば「エイヤで」、悪く言えば雑に決めることになるのでしょう。(つまり、責任者のOKさえ出ればそれでよい。)
そこで、何組かのコンビについて、改めて『正史』での扱いを見てみました。
もともと本当に差がないのか、実は格差があるのに羅漢中(三国志演義の編者)が無理やりコンビにしたのか、分かるかもしれないと考えました。
関興と張苞
『演義』ではそれぞれの父親(関羽と張飛)が義兄弟なので、この二人は義従兄弟ということに。
夷陵の戦いの直前に劉備と対面して、劉備を感激させます。そのとき、劉備の勧めで二人も義兄弟になりました。その後二人は蜀の武将として大活躍します。
正史では
関興が大差で勝ち。
残念ながら二人とも若くして死ぬため、活躍したとは言えません。
ただし、役職についたことが分かっているだけ、関興の勝ちと言えるでしょう。
僅差のようにも見えますが、ゲームの登場人物にすることを考えると、かなりの大差です。
正史をベースにしたゲームは「天舞(ウルフチーム)」や「私説三国志(天水ソフトウェア)」などいくつかあったし、今後も出てくる(と、期待したい)のですが、張苞の評価には困ったはずです。
仮に筆者がゲームをデザインするとしたら、関興は若干文官寄りの凡将という評価。
張苞はデータ不足としてオミット(除外)せざるをえないです。
張苞の弟の、張紹の方が、侍中・尚書僕射なので、文官として採用したいですね。
趙統と趙広
どちらも趙雲の子です。趙統が兄で趙広が弟。
『演義』では、諸葛亮が天文を見て大将の一人が死ぬことを予想、彼の前に二人が現れたため、趙雲が死んだと覚って悲しむ、というシーンに登場します。
その後二人は蜀の武将となる(はずです)が、大した活躍がないまま消えます。
正史では
趙統が僅差で勝ち?
正史ではどちらも「三国志人名事典」以上の情報はなく、情報量には大差ありません。
専門家ではないので断定はできませんが、趙統の方が皇帝の側近のようなので格上な感じがします。
具体的には、「虎賁中郎将」であれば高官ですが、「虎賁中郎」はそれより落ちるでしょう。
筆者は「督」が前の方について「虎賁中郎督・行領軍」ではないかと思いますが、「虎賁中郎督」が虎賁中郎将の督(補佐)だとしても、どれくらいの地位なのかは見当がつきません。
「行領軍」は中領軍(皇帝直属軍の指揮官)の行(代理)ということでしょうが、やはり不明。
趙広も、「牙門将軍」であれば高官ですが、「牙門将」だと不明です。姜維の部下で前線に出るということは、大したことのない武将だったのではないか。
当初は、前線で戦った趙広の方が、武人として才能があったのだろうと考えていましたが、考えを改めました。
呂曠と呂翔
この二人は兄弟です。呂曠が兄で、呂翔が弟。
どちらも袁紹死後に曹操に寝返るという、汝南袁氏のゴタゴタを象徴するような人たちです。
正史では
引き分け。
兄弟ともに曹操のもとでは何をしたとの記述がありません。「三国志全人名事典」の説明でも、全く同じ内容です。
『演義』では、それぞれに見せ場を与えられました。主人公劉備の仲間たちの引き立て役として。
曹操が劉備を攻めた新野の戦いに二人とも出陣して、兄の呂曠が趙雲に、弟の呂翔が張飛に、それぞれ討たれたことになっています。
張世平と蘇双
この二人は商人です。
『演義』では桃園の誓いをして義勇軍を集めた直後の劉備に出会い、出世払いで援助をしました。
張世平は馬商人のため軍馬を提供し、蘇双は鋼材商のため武具を提供します。
つまり彼らの商品を現物で支給したのです。これに兵糧があればすぐに戦いに出られます。さすがは小説。少し都合が良すぎますね。
正史では
引き分け。
正史でも劉備に資金援助をすることは同じですが、二人とも幽州涿郡には馬を買い付けに行っています。
幽州は馬の名産地だからであり、決して劉備たちに軍馬として提供したわけではありません。
劉備たちは資金を提供されたものの、当然武具や軍馬は自前で調達したはずです。
そういう兵站の仕事をしたのは簡雍か、もっと年下の田豫でしょうか。
都合よく史実を曲げるのではなくて、こういう細部を想像して味付けしていくのが歴史小説だと思います。個人的には。