【戒め】自転車コワイ【漫談(仮)】
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。
小学校にいる時分、学校のベランダで虫眼鏡を使って太陽光を集中させ、折り紙を燃やした結果爪痕も焦げ跡も残したことがある。
後半は実話です。なんでもやってみたいお年頃だもの。
この夏、チャリで疾走中に大ごけし、人生初のMRIを経験するほどの怪我を負った。その話をする前に、私とn輪車の24年に渡る戦史を紹介したい。
初めて事故を起こしたのは弱冠3歳の頃だったと記憶している。
当時おもちゃのフェラーリを愛車としていた私は、毎日飽きもせず自宅前でブイブイ乗り回していた。
そしてそのまま隣の田んぼに突っ込んだ。
クラクションさながら響き渡る私の泣き声を聞きつけた、後の母親であるレッカー者が引き上げてくれたのは良い思い出である。
フェラーリは廃車になった。
その後、田んぼの持ち主の自宅へ謝罪に赴いたのは言うまでもない。
当然なぜ事故が発生したのか母親に問い質されたが、こっちだって言うなれば被害者なのに理由などあるわけがない。
正真正銘の無鉄砲うっかりキッズですから。
生後早々に四輪車を見限った私は、三輪車にシフトチェンジ!
これは大した怪我もなく、真っ赤な三輪車が茶色く汚れるまで長いこと乗り続けた。
「ペダル漕ぐよりも足で歩くように進んだ方が早いやん!」
人生最初の閃きと天才的発想も三輪車から得た。
小学生になってしばらく、友達は皆自転車の門を開き始める。
例に漏れず私も自転車デビューをした。青いトーマスの自転車である。
幼い頃から乗り物を乗り回すことに慣れていたので、補助輪を難なく外し、友達と近所をひたすら漕ぎ続けた。
普通に漕ぐことに飽きた私たちは、とある遊びに目覚める。
全力でペダルを漕いだ後、お尻で後輪を止めるという遊びである。
即日、死ぬほど怒られた。
ズボンを破き、お尻を真っ赤に腫らした私を、顔を真っ赤にした母が叱った。多分笑ってたけどちゃんと怒ってるっぽいことは伝わった。
確かに自分が悪いと感じた私は、臀部レーキライダーをその日に引退し、一般のライダーへと戻った。
中学生になった。思春期を迎えたのだ。
思春期を過ごした人なら誰しも共感してくれると思うが、何かに憧れる時代である。かっこよくみられたい!あの漫画みたいに!アニメみたいに!
順当な心の成長に抗うはずもなく、ママチャリをゲットした私も思った。
ゆずの夏色みたいに、BUMPの車輪の唄みたいに、二人乗りがしたい
そうと決まればチャレンジである。
夏色でも車輪の唄でも、二人乗りは下り坂だ。
変動相場制ではない。固定相場制で下り坂なのだ。
通っていた中学校は校門前が下り坂であった。舞台はすでに整っていた。
後ろに部活仲間を乗せ、初の二人乗りである。
結論から言うと、それ以来二人乗りはやめた。
10mほど下ったところで、自販機に激突してこけた。
幸い二人とも怪我はなく、チャリの前かごと心が凹んだだけで済んだ。
もちろん母にはめちゃめちゃ怒られた。
母の武勇伝に、「友達のチャリを電柱にぶら下げた」という謎エピソードがあるのに、こんなことで怒られるのは理不尽だと思った。
母は言った。
「ちゃんと平坦なところで練習してからにしなあかんやん!好きな子のせてたらどうするつもりやってん!」
ガッテン承知した。でももう怖くて二人乗りはしてないよ、母ちゃん。
思えばこの時、二人乗りよりも坂道の恐怖を染み込ませておけば10年後の悲劇は起きなかったと思う。
さて、時は流れて令和である。
平成生まれの私は、ただゴロゴロしてるだけの令和キッズに差をつけるべく、2021年7月19日(月)もペダルをふみふみしていた。
わかる人にはわかると思うが、所は馬場歩きの途中、穴八幡宮脇の下り坂である。
文明の進化の結晶であるシェアサイクルを愛用していた私は、電動アシスト付きの自転車、電チャリで下り坂を疾走していた。
速度計は時速27キロを示していた。風が気持ちいいぜ!
そんな折、被っていた帽子がふわふわと浮き始めた。
そしてあろうことか、風立ちぬよろしく後方へと吹き飛んだのである。
焦った私は急ブレーキ。
0.1秒後には地面が目と鼻の先。
遅れること1秒、乗っていた電チャリが背中の上に落ちてきた。変な声出た。
その後、歩道を歩いていたグラサンのお兄さんにも助けられ、ふらふらしながらも帰宅。でも左のおててが勝手に閉じてしまうのだ!
夜間病院へ急行し、その後大学病院で精密検査。
診断結果は、
「左手首の骨挫傷+両側靭帯の断裂及び損傷」
大怪我である。あれから2ヶ月、固定したりなんやかんやで日常生活では不自由なく暮らせている。でも腕を伸ばして体を伸ばすと小指が勝手に閉じちゃうようになった。
自転車コワイ。
電チャリユーザーのみんな、下り坂で風を切ってるみんな。
反面教師にして気をつけた方がいい。まじ危ない。
大人でもチャリでこけて大怪我をするのだ。24歳なのに。
最後にもう一度だけ言いたい。
自転車コワイ
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