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こんな消印は嫌だ~伊賀市長の挑戦

すっかりスマートフォンを使ったやり取りにおされてしまった封書やハガキの郵便物。それでも役所やビジネスの書類が郵便で届くことも日常的にあります。その郵便物に押されている消印を気にしたことはありますか。

昨年、三重県の県庁所在地、津市にある支局に赴任しました。取材依頼や情報提供の封書が毎日届くのですが、あれ?と思うことがありました。伊勢市にある神社が送ってきた郵便物の消印が「四日市西」となっていたのです。四日市西郵便局は三重県の北部にある四日市市にある郵便局です。

四日市市と伊勢市は70キロ離れていて、電車で移動すると特急でも1時間かかります。伊勢市にももちろん大きな郵便局があります。私は神社で働く人が四日市市から通っていて、自宅の近くから郵便を投函したのかと考えました。しかし、その神社は伊勢市内の中心部にある伊勢神宮ではなく、特急停車駅からかなり離れた海沿いにあります。地元の人の生活感覚に照らせば、通勤する距離ではないと思いました。とても不思議な印象でした。

さらに最近も支局に届いた郵便物に「四日市西」の消印がありました。今度は県内の松阪市から届いた郵便物でした。松阪市から四日市市へも特急で40分かかります。伊勢市も松阪市も、津市より南にあるのに、その津市よりもさらに北にある四日市市で消印が押され配達されてくるのです。四日市西郵便局は高速道路のインターチェンジ沿いにあり、どうやら三重県のかなり広い区域から郵便物を集め、消印を押して各地に送り出していることが分かりました。

この消印を拒否した首長が三重県内にいます。県の西部にある伊賀市の岡本栄市長です。

岡本市長は4月4日の定例記者会見で、市役所から送る料金後納郵便に、地元の上野郵便局の名前が入ったスタンプを同月1日から押し始めたと発表したのです。料金後納郵便のスタンプは差出人が自分で押すことができます。受け付けた郵便局名が入っていなくても送ることができ、局名がない無地のものも多くあります。そこに「上野局」と入れるようにしたのです。

この日の記者会見のようすはこのようでした。

なぜ伊賀市長がこうした取り組みをするに至ったのでしょうか。そもそも伊賀市は三重県の東側から布引山地という、なだらかな南北に長い山で区切られた位置にあります。盆地にある城下町で、平成の大合併前は上野市が中心都市となっていました。文化的にも歴史的にも、三重県の東側の伊勢湾側とは別々に時を重ねてきた場所です。有名な忍者のふるさとも伊賀であり、伊勢ではありません。伊賀は分水嶺も西を向いており、川は伊勢湾ではなく大阪湾へと注ぎます。

今でも伊賀盆地からは奈良や大阪へのアクセスがよいことから、電車で通勤通学する人も少なくありません。岡本市長自身も在阪テレビ局のアナウンサーとして大阪市へ連日通勤していました。

ちなみに私達の新聞業界でも、全国紙は関西から伊賀に紙面を届けます。日経新聞の今回の伊賀市の記事は、普段三重の地域の話題が載る名古屋で編集する「中部経済面」ではなく、関西で印刷される「関西経済面」に掲載されました。

私は20数年前、まだアナウンサーだった岡本氏と話したことがあります。岡本氏が「伊賀の人は大阪を向いている。三重県民の多くは主に名古屋のテレビ局を見ているが、伊賀の人が大阪のテレビ局を見ることだってできるはずだ」といった話をしていたことをよく覚えています。

伊賀に育った岡本市長からすれば、地元から郵送した郵便物に地元と関係がない「四日市西」の消印が押されるのは我慢ならないことでした。記者会見で「地域の姿が伝わらない」と発言しました。そして「市内の事業所もぜひ同様の取り組みをしてほしい」と呼び掛けました。

かつて伊賀には、電話の市外局番を近畿の広いエリアと同様に07から始まるようにすべきだという住民運動もありました。その思いはかなえられることはありませんでしたが、岡本氏は長年募らせた複雑な思いを料金後納郵便のスタンプに託したことになります。

郵便を含む物流は人手不足の中で効率化を迫られています。かつて様々な郵便局の消印が押された郵便物も同様だったのでしょう。消印など記号にすぎないという考えもあるのかも知れませんが、岡本市長の挑戦には、地域の多様性を守っていくヒントがあるような気がします。