グッバイハローワールド
◯です。
金曜日、北村みなみ先生の執筆した短編集である『グッバイハローワールド』が発売されました。
この作品はWIREDにて連載されており、個人的にちょこちょこ気になっていた作品でした。
一言で言えば、ゆるいディストピア。
人類の進化予想から、幸せなのか不幸なのか、どのような生活方式になっているかを、ゆるやかな時の流れに落とし込めたような作品です。
この短編集を読んで、個人的に思った感想をつらつらアウトプットしておきます。
生きる時間の捉え方
はじめの短編、「3000光年彼方より」から。
このお話は、生きている今が退屈かそうでないかを考えさせられる作品でした。
日々のルーティンをこなす中、この先何年も生きると思うと長いと思った主人公。
しかし、未完の小説を発見したことをきっかけに、自分で続きを書くことを決意し、日々創作に励みます。
気付いたら、人生って短い!と認識していることに気づく。
というお話です。
要は刺激だと思います。
日々のルーティンに慣れ、退屈になってしまう。
その退屈を打破するための退屈しのぎに、価値を見出すかそうでないか。
これにより、人生の容量を認識することができるのです。
このお話の主人公は、小説という退屈しのぎに全力で取り組んだことで、人生の容量の少なさに気付きます。
ぼくの場合だと、まだまだ人生は長く感じます。
それはつまり、本当に没頭できるものに未だ出会えていないということです。
没頭しすぎて人生短いなと感じた時、それは自分の天職なのだろうと思いました。
退屈しのぎが欲しい。ただただ。
死後の選択
短編「幸せな結末」からの感想です。
ここで思ったのが、死後の選択肢の増え方。
この世界では、宇宙葬が主流となっていました。
宇宙葬とは、宇宙に遺骨を打ち上げることです。
現代でも少数行われているものの、メジャーなのは自然や海に散骨したり、お墓に埋めることであると思います。
ただ、未来でも地球に還りたいと思う人は一定数いるようです。
ガンダムでいうアースノイドとスペースノイド的思考に近いのでしょうか。
この作品の主人公である夫婦の夫は、宇宙葬ではなく自然への散骨を望みます。
養分としての再利用。なんだかハーモニーの世界のようですね。
ところで、この幸せな結末というタイトルの意味。
安楽死(尊厳死)した夫の葬儀パーティーのようなものを開催するために、夫婦で結婚式のように構想を練る、というお話。
会場選び、企画、夫婦げんか、、、
全てがまるで結婚式にたどり着くまでの道なりそのものなのです。
相違点は、始まりの儀式か終わりの儀式か、ということ。
幸せな結末とは、始まりの幸福感のような終わりの幸福感なのである。
人類の夢
短編「終末の星」の感想。
人類の抱き続けている夢とはなんでしょう?
そう、不老不死です。
それの一歩手前にまで人類が到達したお話。
電気を身体に蓄えることができるようになった人類のお話。
何不自由なく生きていけそうなイメージがつくと思いますが、旧人類の遺産に頼らないと生きていけないのが未来人なのです。
例えば水。旧人類の遺したタンクの技術がないと、人は飲み水を確保することができません。作る技術がないため、直すしかない。(ひとつのコロニーはタンクの破損により滅びたらしい)
そんな世界で、主人公は友人に誘われて旧人類の遺した遺跡を訪れます。
そこで出会ったのが、コールドスリープをしていた旧人類。この人の肉体自体は消滅していたが。
ホログラムのようなものが起動し、この旧人類のコールドスリープの意図が語られる。
それが、人類はいずれ技術でなし得なかった不老不死を進化で手に入れる、私はそれをこの目で見たい。
そんな理由でした。
人類の夢は、何万年何億年先の未来で叶うけれど、ずっとそれが人類の夢とは限らない。
でも変わらない夢を抱き続けることだってあるんです。
この旧人類は、最後まで夢を叶えようとしていたのかもしれない。
ディストピアという日常に生きる人間たち
ディストピアにだって日常はある。
それがわかる作品集でした。
少年少女が空想したSFやレトロフューチャーの世界。
夢見る未来であっても、未来人にとってはただの日常。
ユートピアであれどディストピアであれど、日々は過ぎてゆくのです。
そんな緩やかな時間が、当たり前や文化の変遷を踏まえて描かれる。
まさに未来人の民俗学と言えるのではないでしょうか。
僕にとっては、ここ最近でものすごく衝撃を受けた作品でした。
WIREDでちょくちょく読んでいたけれど、まとめて読んだらこんなにも世界に引きずり込まれるなんて。
未来はユートピアかどうかはわからない。
でも、未来にも幸せはあるよ。
なんだか安心した。