【書評】『ドン・ジュアン』モリエール│滑稽さから生まれる笑い【2023/10/08】
抜こう作用です。
岩波文庫の赤は、海外文学の古典名作を揃える日本の文庫レーベルで、インテリ人文系が読み漁っている(らしい)。
僕は名誉あるスノッブなので、当然ブックオフでこのレーベルを見かけたら即買うのだが、そこで購入したのがこの『ドン・ジュアン』である。
評価:10(10)
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あらすじ
無神論者であり、快楽主義者のドン・ジュアンは、女を騙し次々と結婚を繰り返す呆れ果てた貴族である。
そこで、比較的まともな信仰者である従僕のスガレナルが、「ダンナ様マジでヤバイっすよ」みたいなノリで、ドン・ジュアンの事を咎めまくるのであるが、これが一向に聞き入れられない。
さて、神を欺くものの結末は…?
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最初に
是非とも購入して読んでみるのを勧める。
ここ最近出会った本の中で、間違いなく抜きん出ている傑作であり、これを読まなければ人生の半分損している、とか言える類の本である。
無論、ミステリー小説でもないので、ネタバレを気にするタイプの本ではないから、この記事を読んでからでもいいが、実際に自分で読むべきだと思う。
笑いの理由
ドンジュアンが呆れ果てた悪党であるのに、なぜか読者は彼に好感を持つ。
それは、スガレナルというまともな従僕との会話を通して、彼がいかに子供じみた精神性を持ち合わせているかが明かされているからである。
即ち、真面目さや真摯さが欠如して、世の中の摂理や道理を舐め腐っているのだけど、傍から見れば子供がバカ遊びをしているようにしか見えないのだ。
二人の女がドンジュアンの言い分を元に、どちらが真の結婚相手かを争うシーンなどはその際たるものである。
男が持つ、女性への執着は、時としては醜いが、時としては、とても子供じみて可愛らしいものとなる。
このシーンでは、二人の結婚相手…が対面した際、二人に小声でそれぞれ吹き込みまくって、両方を騙すという行動に出るのだが、その必死さは一体なんのためなんだというバカらしさから、笑いを誘うのである。
固執というのは、それ自体では、悪いイメージのある言葉だが、固執している人を見るのは面白い。
推しにハマって大金を貢いでいる女性のXを見ていて面白いのも、その固執している様が滑稽だからである。
しかし、ドンジュアンといえば、一般的にイメージされる固執とは少し違う。
彼は、別に女性に固執するあまり、ストーカーじみた行為をしている訳でもないのだから、彼のは「こだわり」の範疇に収まっているレベルの固執である。
石像の宴
そして、物語のバカらしさは、ドンジュアンのみでなく、周りで起こる物事にも波及していく。
具体的には、ドンジュアンは、何を思ったか、自分が殺した騎士の墓に行くのだが、そこの石像が動き出す。
もうバカすぎて笑いが止まらなくなった。
この手のは作品の雰囲気さえ違えばホラーなのだが、すべてドンジュアンに霊感を覚えさせる為に神が必死になって奇蹟を起こしていると思うと、何とも言えない笑いが込み上げてくる。
ドンジュアンはこうした恐ろしい?出来事が起こっても、相変わらず神を恐れず無敵で、悪行を行いまくる。
今作のバカらしさとは、周りに対してのドンジュアンの温度差でもある。
一人だけ、神を畏れないということの事態の深刻さを理解していないのだ。
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キリスト教徒からすると、神がこのように善を地上でも行ってくれる存在だというのは、そう信じたくはあるのだけど、一体全体どうなんだろうという所である。
そして、無神論者のような、このような面白い人間を地獄に落とすなんて、神様も酷いことをするなとも思うのである。
どうせなら、僕は、皆が天国に行けるといいなと思っている。
それは、現世でも、悪を犯した人間が再びやり直せることが出来るのに、来世でその赦しがあってもいいじゃないか、という期待である。
もっとも、これは聖書的ではないのだけど、それでも、色々な人がいるから面白いという事を本書は指し示してくれているのではないだろうか。
僕が俗世から解放されたエルヴィールのようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
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