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【書評】透き通る愛の謎解き:『世界でいちばん透き通った物語』杉井光

ほら あなたにとって
大事な人ほど すぐそばにいるの

小さな恋のうた
-MONGOL800

 特別な想いというのを、人が自分に向けている事はあっただろうか。ここで言う特別な想いとは、恋人から向けられるものも含まれるだろうが、もっと言うと愛の話である。

 愛とは幾つかに分別される。無償の愛であるアガペーと、性愛的なエロスなど。そして、僕がAに愛情を感じていたとして、アガペーとエロスが混じり合っている事もある。家族だけがアガペーを与えられる訳ではない。

 無論、感情とはいつも名札を付けて現れてくる訳ではない。ので、その実態がアガペーなのか自己陶酔なのかは神のみぞ知るのだが、もし、自分が、誰かからアガペーを向けられていたとしたらどうだろう。「キモ」と思う事は出来るだろうか。否、僕の考えでは、混じり気のないアガペーには、ひれ伏すまでだ。

「世界でいちばん透き通った物語」

 話は端的なものだ。主人公・藤阪燈真の父親は、大物ミステリ作家の宮内彰吾であった。母親は不倫相手だったのだ。燈真は、母親が事故で亡くなった後、書店のバイトで生活を繋いでいる。そんな中、宮内彰吾が亡くなった。そして、宮内の長男から連絡が来る。宮内彰吾の遺稿を探して欲しい、と。なかなかの金額の報酬を提示され、燈真は、遺稿探しに奔走するが───。というものだ。

 今作は、ミステリー小説なのであるが、紙の本で読むべき本ということで、大きな仕掛けが二つある。一つは、とても感動し、もう一つはそこそこだった。それに関してのネタバレはやめておこう。ここから、申し訳程度の別部分のネタバレをしながら論じていく。

 さて、物語は色々あった挙句、最終的には、不倫をしまくっていた父親、彰吾から、(遺稿に関する推論を通して)息子への想いが示されるという結末である。前提条件を明確にしておこう。父親は、もっと取るべき選択があった。作品を通じてでなくても、息子である燈真に顔を見せるだとか、他の振る舞い方があった。しかし、彼は、ある意味では自分勝手な表現方法で、息子を思っていた事を表明する。

 我々が愛を感じたとして、その表現方法が問題となる。エロスであれば、表現方法が悪くなるのは当然である。では、父性愛のようなものではどうか。これは、日本の作品の多くを見れば、素直に表現出来ない父親が多いのは明白だ。では、日常的に愛を囁く西洋人と比較して、日本の父親はアガペーを持ち合わせていないのだろうか。否、そうでないのも火を見るより明らかだ。西欧人は、表現技術が高い、もしくは率直なだけに過ぎない。

 本書は、しかし、そういったアガペーもありつつ、最終的には彰吾が作家としての本能を発揮するだけだ。息子の為のアイデアは、それ自体面白いから完遂したい、と。表現技法以前に、別のものが混じってしまっている。アガペー・コーヒーに、作家の本能をたっぷり入れたラテ。それはそうだ。それは作品の構造の問題で、僕が論じている事は末端も末端、本旨は二つの大仕掛けにあるのだから。

 しかし、結局のところ、燈真は物語を完成させる。父親の意思を引き継ぐのだ。それは、血の繋がりという無機質なようで有機的な、そういった概念で捉えてもいいものだ。やはり、目の前で繰り広げられているのは、才能の遺伝である。しかし、それが直接的な表現となった時、父性愛に帰結する。

 おかしなストーリーだ。突っ込み所が沢山ある。しかし、日本的にはこの手のストーリーは有り触れているとも思うのである。「想い」で筋道をぐちゃぐちゃにされるのだ。大抵はこれがそこそこの分量あれば、想いは伝わり、感動的な結末に。皮肉っているのではない。気質的な問題もあるだろう。

 結局のところ、僕も、この手の感動に呑み込まれる情緒的な性格というのを、遙か古来から日本人として受け継いでいるのだろう。だからこそ、冒頭に表明したように、アガペーの力を非常に高く見積もっている。僕はリアルで、このように感傷的になりたくない。日々は穏やかに暮らしたいし、物語の中だけで勝手にやっていて欲しい。穏やかに暮らしたい。

 しかし、そうした、実はベースに愛がある上での平穏が崩れる時、僕は改めてそれに気付くのだ。家族の死等々。僕はそれを知っている。芝居じみたものではなく、嘯いた作られた感動ではなく、本物としての愛は、日常に潜んでいる。それに早く気付ければ──。

 極めて良質なミステリー小説。仕掛けは見事だった。読んで良かった。評価:90(100)。それでは。

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