見出し画像

この世を少しだけ忘れるのにぴったりな本 #清明「陰陽師」

こんにちは。広報室の下滝です。

通勤電車の中からぼんやりと町を眺めていると、ちらほらと薄いピンクが目に留まります。
今年もお花見の季節がきたんだなと嬉しく思いつつも、満開になる前に雨で散ってしまわないかと心配になってしまったり。

大勢でワイワイとお花見するのも楽しいですが、はらはらと静かに散っていく桜を眺めながら一人お酒を飲むのもいいですね。

そんな風にお酒を片手に(もちろんお茶でもジュースでも良いのですが)、肴のように開きたい本。
今回ご紹介するのは、物語の中の景色を眺めながら一杯飲みたくなる小説「陰陽師(おんみょうじ)」です。

画像1


陰陽師と聞いて思い浮かぶのは?

陰陽師というと、術を使って妖怪と戦うヒーロー物などが多く作品化されていますが、この小説はそういった作品とは少し異なります。

“陰陽師”というのは朝廷につかえる役職のひとつで、日本古代の宮廷の中では高い位を与えられていました。
方角を観たり、星の相や人の相を占ったりするほかに、幻術を使うことができ、人を呪い殺すこともできたとか。
そしてこの世のものではないあやかしを支配する技術をもっていたとされています。

平安時代に存在したトップクラスの陰陽師「安倍晴明(あべのせいめい)」の名前は、ドラマや映画、スケートのプログラムで使用されたことでご存知の方も多いと思います。

あまりにも有名な陰陽師ですが、本書の主人公として描かれた様子を読むとそんな彼の等身大の姿を垣間見られる気がします。

画像2


古典で紐解く、登場人物の個性

古典「今昔物語集」では、晴明が貴族たちに焚きつけられ、意に染まないものの、柳の葉一枚で蛙の命を奪ったエピソードが伝えられています。

妖術使いのキツネの子であるとも噂される晴明は、常人にない力をもつ故の孤独と葛藤を抱えていたのではないでしょうか。

そんな彼を救うかのように、本作では友人として「源博雅(みなもとのひろまさ)」という実直な武士の青年が登場します。

供の者を連れて外出するのが当たり前と考えられていたこの時代に、いつも一人で、恐ろしい陰陽師である晴明の邸を頻繁に訪れる変わり者。

様々な楽器を弾きこなし、風雅を愛する博雅は、情にもろく、繊細な感性を持った人物として描かれる一方で、真面目すぎていつも晴明にからかわれています。

画像3

古典「今昔物語集」から引用された博雅のエピソードをご紹介すると、ある時、博雅は蟬丸(せみまる)という盲目の老法師の琵琶の腕前にほれ込みました。

しかし、会いに行き演奏してくれと頼むのは簡単なことでも、それでは心からの演奏は聴くことができないだろうと嘆きます。

そして驚いたことに、博雅は蝉丸の家に夜な夜な通い、聴きたかった秘曲を自然に弾きだすのを待つことにしたのです。その間およそ三年!

画像7

ある美しい月夜に、蝉丸は独りつぶやきます。
「今夜のように風情ある月夜について誰かと語り合いたいものだ」と。
それを耳にした博雅は思わず姿を現し、名を名乗ります。

そして憧れの曲を弾く蝉丸と楽しく語り合ったとか。
音楽を愛する心の深さと、その真っすぐすぎる行動力に博雅の性格が現れている気がします。

晴明と博雅の掛け合いを楽しんで

その他に、晴明とのやり取りの中でも博雅の人柄が窺えます。

博雅はある時に晴明の不思議な雰囲気に気圧されて、「晴明がもし妖物であるならば自分は刀を抜いてしまうかも知れない」と告げます。

すると晴明は微笑みながら「何も悪い事をしてない妖物でもおまえは刀を抜くのか」と尋ねます。

それをきいた博雅は「でも実際、俺にはそんなところがあるから、もしお前がそれを明かすなら、驚かせずにそっと打ち明けてくれないか?そうすれば俺は大丈夫だ」とあくまで真面目に答えるのです。

不器用で優しい博雅と、飄々としていながらどこか寂しい影を抱えている晴明。
この小説の見どころは二人のやりとりにあると言っても過言ではありません。

第一話は帝の琵琶を盗んだ鬼のもとへ二人が出かけていく物語です。
ゆるやかに交わされるやりとりを是非楽しんでみてください。

画像4


一冊に込められた四季の美しさ

そして、二人が晴明の邸で、雑草の生い茂る庭を眺めながらお酒を飲み交わす場面では、季節のうつろいが美しく豊かに描かれます。

短編集でありながら一冊を読み終えると、日本らしい自然の美しさが四季を通して目の前に広がってくるようで、晴明や博雅と共に一年を過ごしたような気持ちになります。

画像5

あたたかくなってきた季節を楽しむ人々の傍らで、どこか孤独を感じたり、なんだか儚い気持ちになってしまいそうな方へ。

ひとりの時間を過ごす時、喧噪に疲れてしまった時には、この本を開いてみてはいかがでしょうか。

ライト過ぎない、真面目過ぎない。ちょっと怖くて残酷で、ときにユーモラスで美しく、人を惹きつけてやまない不思議な世界は、この世を少しだけ忘れるのにぴったりです。

時にはおぞましくすら感じてしまう哀しい人間や鬼のあり様を、淡々と静かに見つめる晴明と、一緒に悲しんでしまう素直な博雅の姿。

自分の深いところにある場所で一緒にいてくれる友人のような彼等と、静かなひと時を楽しんでみてください。

画像6

-今回のここに注目!-
「今夜か」「うん」
「ゆこう」「ゆこう」
そういうことになった。

強大な力を持つ陰陽師「安倍晴明」の横に、いつも当たり前のように「源博雅」がいる、その関係性がとても羨ましく、あたたかく感じられます。

儚いこの世に生まれ、ありのままに「在る」ことを美しく思えるような世界に、一緒に出かけてみませんか?


■陰陽師

著者:夢枕 獏
出版社:文藝春秋
定価:本体590円(税別)
文庫本:333ページ
ISBN:9784167528010

いいなと思ったら応援しよう!