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ジャパニーズ・シューゲイザーブームの裏に潜むジェンダー構造:女性を消費する「ガラパゴス文化」の真実

アジアにおけるシューゲイザーブームの到来

シューゲイザーという音楽ジャンルが、近年日本や東アジアでブームになっているという話をよく耳にする。

シューゲイザーは、もともとイギリス発祥のロックの一派のようなもので、その特徴は、リバーブとディレイを効かせた大音量のギターにボーカルが埋もれるような音作りにある。しかし、日本ではJ-POPにこの特徴を付与して派生した「ジャパニーズシューゲイザー」と呼ばれる特有の形態で消費されており、これが一部では「ガラパゴス文化」と揶揄されている。

(※リバーブとは反響音、ディレイは音が遅れて重なるエコーのような特殊効果の事。)

このガラパゴス文化に潜む問題は、ただの音楽の嗜好やジャンルの進化ではない。シューゲイザーブームは、表面的には音楽のトレンドに見えるが、実はその奥に深く根付いたジェンダーの問題が潜んでいるのだ。

ジャパニーズ・シューゲイザーの実態とは?

調べてみると、「羊文学」や「きのこ帝国」などがこの「ジャパニーズシューゲイザー」の代表例として挙げられることが多い。

しかし、ここで問題が生じる。「きのこ帝国」は2019年に活動を停止しており、「羊文学」も自身をシューゲイザーと名乗ることを避けている。
では、一体どのバンドが現在のシーンを牽引しているのかと調べてみると、驚くべき事実が明らかになる。

シューゲイザーというジャンルで現在活動しているバンドの多くは、9割がアマチュアかインディーズである。さらに、シーンの中で特に目立つのは、女性ボーカルを前面に押し出したグループや、アイドルグループである点だ。

シューゲイザー専門のライブイベントや、シューゲイザー専門メディアも存在しているが、そこに集まるのはほとんどが男性ファンであり、その音楽の文化的な背景や意義については語られることはほとんどない。


このシーンの背後には、ただ音楽的な魅力があるというだけでは説明できない「女性の消費」という構造が潜んでいる。

女性ボーカル、ガールズロックは「消費」の対象なのか?

シューゲイザーブームの裏側に見えるのは、ジェンダーに基づいた支配的な視点が音楽文化にどのように浸透しているかという問題だ。社会的に成功していない、一部の未成熟な男性が、音楽というコンテンツを通じて自己実現と疑似恋愛の対象を一括で得ようとしているのではないかという疑念が浮かび上がる。

音楽評論家のジェイムズ・トーマスは「ミュージックシーンは、しばしば男性主導のファンタジーを具現化する場となる」と述べているが、ジャパニーズ・シューゲイザーの日本における「ガラパゴス化」はその典型例だと言える。
特に女性ボーカルが主役であるグループが多いという点において、これは「視覚的な消費」の側面が強い。フェミニズム理論でよく語られる「女性のオブジェクト化(objectification)」が、ここでもはっきりと表れているのだ。

マルチメディア文化研究者ローラ・マルヴィの「視線の理論(male gaze)」では、女性がいかにして視覚的に消費される対象となるかが論じられている。
日本のシューゲイザーシーンにおいても、この「男性の視線」が顕著である。女性ボーカルは、ただ音楽的な要素としてではなく、疑似的な「アイドル」や「ファンタジー」の象徴として扱われ、彼女たちの存在は音楽そのものの価値とは無関係に消費されている。

さらに、「シューゲイザー専門メディア」や「シューゲイザー専門ライブイベント」が存在しているという点も注目に値する。これらのプラットフォームが、男性主導の視点に基づいて作られており、女性アーティストが自身の創造性を表現する場としてではなく、あくまで消費される対象として提供されている可能性があるからだ。

ジェンダーの壁を超えるために:シューゲイザーを好む男性の自己満足的消費とXユーザーの危険な女性軽視

シューゲイザーの日本におけるブームは、単なる音楽的現象にとどまらず、女性のオブジェクト化や男性支配的な文化の縮図として捉えるべきだ。このような構造の裏には、多くの男性リスナーが、自らの未成熟なアイデンティティと疑似的な恋愛感情を、女性アーティストを通じて「消費」するという自己満足的な動機が隠れている。そ
して、これらの男性たちは、音楽そのものを楽しむ以上に、女性アーティストを自らの幻想や性的ファンタジーの延長として見ているのだ。

このような傾向は、特にX(旧Twitter)のシューゲイザーに関連するコミュニティで顕著だ。男性ユーザーが女性アーティストや女性ボーカルに対して表面的な「賞賛」を送る一方で、その言動の多くは女性をただの消費対象として扱い、女性のアーティスト性や人間性を軽視している。彼らは音楽の内容やそのメッセージを深く掘り下げることなく、女性の外見や存在そのものを性的に語る傾向が強い。

フェミニズム理論の中でも、特にローラ・マルヴィの「視線の理論(male gaze)」が指摘するように、男性が女性を視覚的・性的に消費する行動は、単なる音楽ファンとしての行動を超えた「女性軽視」の一環として見なされる。この視線の中で、女性アーティストは単なる音楽的存在ではなく、男性の欲望を満たすための道具に過ぎない。このようなXユーザーたちの行動は、日常的に女性を軽視する言動へとつながり、さらには女性を人間ではなく「商品」として扱うリスクを増幅させている。

エコーチェンバー化する女性蔑視:Xユーザーが加速させる音楽を隠れ蓑にした歪み

こうしたコミュニティにおいて、女性軽視や女性蔑視の発言がエスカレートするのは特に危険だ。
特に、シューゲイザーというジャンルにおいて、女性ボーカルや女性アーティストを擁護する男性リスナーが少ないため、このような偏った視点が強まっている。女性が音楽の才能や創造性を評価されるのではなく、性的に魅力的であるかどうかが論じられ、彼女たちの音楽は背景に追いやられる状況が続いている。

さらに問題なのは、この女性軽視的な傾向が単なる音楽シーンに留まらず、社会全体に広がる可能性があるという点だ。

X上での発言は、リアルな社会の中での行動にも影響を与え、女性を軽視する風潮を助長しかねない。女性軽視や女性蔑視の発言がエコーチェンバーの中で広まり、強化されていくことで、男性リスナーたちが自身の行動を正当化し、さらには社会的に受け入れられるものと信じ込むようになる。

音楽評論家のジェイムズ・トーマスは「ミュージックシーンは、しばしば男性主導のファンタジーを具現化する場となる」と述べているが、X上でのシューゲイザーに関する会話は、まさにこの「男性のファンタジー」を具体化する場として機能している。彼らの発言は、音楽の本質を論じるのではなく、女性アーティストを性的に消費する自己満足的な言説を助長し続けている。

こうした現象は、音楽を単なる娯楽や自己表現の手段として尊重することから遠く離れ、女性をオブジェクトとして利用することを正当化し、音楽シーン全体を歪めている。このような構造を維持し、肯定しているのは、多くの男性リスナー自身である。

シューゲイザーを堕落させる男性リスナーの消費行動と女性オブジェクト化の実態

シューゲイザーというジャンルが日本で特に「ガラパゴス化」しているのは、このような男性リスナーたちが女性アーティストを自らの性的ファンタジーの対象として取り込み、ジャンル自体を歪めているからだ。
彼らは、音楽の本質的な価値よりも、女性を消費する快楽を優先しており、シューゲイザーをこのような消費のためのコンテンツに堕落させている。

X上でシューゲイザーについて語る男性たちの一部は、音楽を自分たちの性的欲望や自己満足の手段としてしか捉えておらず、女性をオブジェクト化する行動を自覚的に行っている。このような男性主導の消費行動が続く限り、女性アーティストが真に創造的主体として評価されることはなく、音楽シーン全体の健全な発展も阻まれてしまうだろう。

音楽はただの娯楽ではない。それは、社会の構造やジェンダーの力学を映し出す鏡である。ジャパニーズ・シューゲイザーブームの裏に潜む女性のオブジェクト化という問題に目を向け、特に男性リスナーたちが自らの行動を見つめ直し、女性アーティストを「消費する」ことをやめなければ、シューゲイザーというジャンルは真の音楽文化として成熟することはできない。
Xユーザーたちが行う無責任な女性軽視や蔑視の言説もまた、断固として批判されるべきだ。