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読んでる 『存在と無』 サルトル


読書の面白さの一つに、余計なことを思いつくという事があります。
特に全然分からない本。読んでいると「そういえば洗濯物」、「足かゆい」など関係のないことを沢山思いつきます。
ページを超えて広がり散らばって逃げて行くものにも読書の楽しみがあります。

今日は『存在と無』ジャン=ポール・サルトル (ちくま学芸文庫)です。
内容の要約紹介は私には無理です。サルトルが考えたこと、くらいです。
1巻600ページを超えるのが3冊に別れています。私は読むのがめちゃくちゃ遅いので読み終わるのはずっと先です。読み終わったところで何もないんですけどね。

現在は1巻目、第3章「超越」P467あたり。
3章の冒頭でサルトルが少しおさらいしてくれます。それは助かるのですが、そんな話だったっけ?と不安になります。

サルトルの書き方がとても面白く、
「内的な否定の場合にあっては、対自が、自分のそれであらぬところのものであらぬものとして、あらわれるのは、かなたにおいてであり、自分がそれであらぬところの存在のうちにおいてであり、また、この存在の上においてである」
なんのこっちゃわからんのです。
「あらぬところのものであらぬとして」他にも、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」とかも出てきます。
コネコネした呪文か、とんちのようでとてもいい響きです。

月が雲に隠れてしまいすっかり足元がおぼつかなくなった山道をそろりそろり一歩ずつ進んでいた。そろそろ峠をじゃないかと前の方に目をやると、立ちはだかる黒い影があった。
「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの、なーんだ?」と言う。
これは間違えたら何があるかわからないぞ、と黙っていると
「それがそれであらぬところのものであり、それであるところのものであらぬ、なーんだ?」とまた言う。
真っ暗なのに、声と一緒に動いている口の中が真っ赤なのがわかった。

サルトルってこんな感じです。
では皆様も良い読書を

2024/09/30




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