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【読み放題対象】「めんどくさいランキング」~セカイの中心で面倒くさいことを叫ぶケモノ~

私はよく「弱者記号」という言葉を使う。これはどういう意味かというと、「この世界で『弱者』の『記号』として扱われることと、実際に『弱者』であることは、全く別」という考え方から発している。

どういうことだろうか。以下は「弱者記号」の典型例である。

当たり前のように「僕は黒人で、ゲイで、ユダヤ教です」とドヤ顔で語るこの少年、「一体、何を勝ち誇っているんだ」という話である。たとえば「僕はオッサンで、幼女のラブドールしか愛せなくて、ハゲデブです」のほうが、よほど石を投げられ激しい迫害にあいそうだ。実際にオーストラリアでは、日本製幼女ラブドールを所持していただけで(誰にも危害を与えていないのに)逮捕や検挙される。「幼女ラブドールで性的遊戯にふけるようなキモいやつへの嫌悪感」は、「社会正義」と安直に結びつき、「内心の自由」や「性の自己決定権」というリベラルな価値観よりも優越してしまう。まさに、これこそが公権力による迫害であり、差別ではないか。ほんの少し前まで西洋社会では「同性愛」が「キモイやつら」とされ犯罪とされたのと同じである。

しかし、現代では「黒人」「ゲイ」「ユダヤ教」は、強力な「弱者記号」となった。特に「ユダヤ」関係は、これを否定したら西欧社会の「正義」の意味空間が全崩壊するレベルで絶対不可侵の最強カードといってもいい。いってみれば「弱者記号」のエスタブリッシュメント(既成権力者)だ。だから、輝かしきポリコレ戦利品のようにリベラル女を侍らせながら堂々と宣言できる。

一方で、「同性しか愛せない」(ゲイ)と違い、「ラブドールしか愛せない」は口に出すこと自体がはばかられる。もはや幼い女の子がニコニコと大きな声で、「お兄ちゃん!お兄ちゃんがいつもすっごい可愛がってるラブドールも連れてきてあげたかったね!」といっただけで兄は――

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