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「コロンブスの卵かけご飯」

(2024/07/31post) フランスのゲーム会社のアサクリ問題でも、私達は外からきた道徳(多様性配慮)の攻撃にさらされているのが露呈した。改めて本論を書くことにした次第である。



外からきた道徳にあまりにも脆弱な私たち。

なんの話って、Mrs. GREEN APPLE『コロンブス』のMVが大炎上し、キャンセルされた件である。

この炎上がもつ「意味」が理解されてないまま”すっかり忘れ去られていく”ので、言語化してささやかな文章を後世に伝え残しておくことにした。実はこの『コロンブス』のMVがどうして「炎上」したのか、本当の理由がまったく理解されてないのだ。


この「炎上」は各種メディアにもとりあげられていた。

昨年の日本レコード大賞を受賞したことでも知られる人気バンド「Mrs. GREEN APPLE」の新曲『コロンブス』のミュージックビデオ(MV)が大炎上した問題で、テレビ局の対応にも疑問の声が出ている。バンドのメンバーが西洋風の衣装に身を包み、類人猿に乗馬やピアノを教えたり、人力車を引かせたりする内容。これが「大航海時代の先進文明人が、『猿』に文明を教える、調教する、あるいは使役するビジュアル」「植民地主義と奴隷制の肯定」「世界史を勉強した人が関係者に一人もいなかったのかな?」「ペリーって名前にしたら自虐が効いててよかった」などとSNSで批判が殺到し、13日にMVは公開停止に。

https://www.chunichi.co.jp/article/912841



MVは「コロンブス」というタイトルで、Mrs.GREEN APPLEの大森元貴(ボーカル)がコロンブスに、若井滉斗がナポレオンに、藤澤涼架がベートーベンに扮している。「コロンブス」のMVが公開されると、当初はテレビの情報番組を中心に民放各社が普通にとりあげていた。

内容は、「なぜか高度な文化水準の類人猿たち」が暮らしている孤島の電化された住宅へ、「世界史的偉人(のコミカルな「記号」をまとった日本人たち)」がやってくる。
レトロな文物が持ち込まれるホームパーティーで楽しく遊んでいる雰囲気のMVという感じだった。

だが、SNSを中心に「こんな遅れた価値観のMVが!」と一つの支配的な「見方」が現れた途端、「そうとしかみえないじゃないか」と大炎上したのだ。


すなわち、「コロンブスたちは征服者(欧米の贖罪意識の正しさの見方)であるのに、島にある家に闖入し、そこの住民は猿である。未開の土地の先住民を『サル』としてみなして収奪を正当化する考え方で差別的だよね。ベートベンやナポレオンも原住民=『サル』に対して、進んだ文明を啓蒙したり軍事教練する役割を果たしてる。同化主義、植民地肯定の遅れた価値観だ」という「見え方」である。


「ミセスの新曲、コロンブスというタイトルで、貴族の人力車を原住民(サル)が引いてるMV、どう好意的に解釈してもかなりやばい感がある」「コロンブスが猿たちの屋敷に不法に闖入している!」「サルたちをみたナポレオンが抜刀してるのが言い訳できない」等々の声である。

『コロンブス』MVより
ナポレオンの抜刀は、ベートーベンの目をむく表現と等価であり「驚き」のコミカルな記号なだけなのでは?
『コロンブス』MVより
類人猿たちが振り向くと、やあと挨拶!




ともあれ、ここで重要なのは複数の様々な解釈や個々人がどのように「見えるか」という個性などは、どうでもよいことなのだ。当時は「実は深い批評的な意味があるぞ」とかBABELに意味があるとかないとか高度な読解が登場したのだが、そんなことをしてもあまり意味がなかった。

なかには「現代人には創作物から意図などを読み取ることが出来なくなった」などと嘆く人がいたが、そうではない。

なぜって、ここでの問題は「見え方」の多様性を、「外からの視線」による全体主義的な取り締まりだからだ。

「お前たちは、ただカッコいいイメージを集めて楽しんでるつもりかもしれないが、世界から、このMVが『どのように見えてしまうか』理解できない。だからお前らは愚民なんだ。教養がない。もっと勉強しろ」と語られる。

進んで西欧人の視線を内面化しはじめる人たち。外からきた道徳に脆弱な私たちなのだ。


菅野完氏などもさっそく勝ち誇り、「あれ見て何とも思わない」日本人の文化程度の低さを嘆き始めた。

https://x.com/noiehoie/status/1801180156423475367
菅野完氏といえば「公安怖いねん、だっこして」という教養あふれる知的な言葉で知られる



このように批判は「愚かしい日本土人どもへの嘆き」とセットである。「こんなドストライクの差別になぜ気づかなかった」「こんなの欧米じゃ許されないぞ」といったものだ。ひとつの典型として以下のポスト群をみていただきたい。

https://x.com/pen_pen2020/status/1800918185438491092


上記のように、「全部アウト」「常識でしょ?」「大問題ですよ」と叫んでいるが、そこには彼独自の倫理観はなく、「グローバル企業がー」「アメリカの白人至上主義者でも引くレベルだよ」「全米各地でコロンブス像が破壊されてるんだよ」と執拗に繰り返される。つまり徹頭徹尾、「外からみた日本への視線」をふりまわしながら、同調圧力をかけて、「なぜそれがわからない??知能が低い恥ずかしいやつら!」と繰り返しているのだ。コロンブス像の首を落として大悦びの「ポリコレ野蛮人ども(テロリスト)」の倫理観まで配慮しなくてはならないらしい。

公式側も大森元貴名義で声明をだした。超要約したら、「年代別の歴史上の人物・類人猿・年代の異なる生命がホームパーティーで楽しげなMVをつくりたかっただけで、差別的な意図はなかったのですが、それらの組み合わせで予期せぬ連想が発生しました。あらゆる可能性への配慮がなくてすみません」と謝罪した。

かくして、MVのキャンセル成功した途端に、自分たちの「正しさ」が認められたものと既成事実化し、勝ち誇る人々の姿である。


https://x.com/chigusasoichi/status/1801236367370063993

「他人を傷つけないために文化や歴史を学ぶ必要がある」そうだが、ではこの言葉が「お前らは教養がない学習意欲がない。だから他人を無自覚に傷つけるやつらだ」と言われてるに等しい制作サイドや、無学な人間を傷つけてることは学ばなくてよいのだろうか。

https://x.com/hakoiribox/status/1801168798722170884

「どうだ畏れ入ったか」――まるで自分が偉くなったように「外国様の倫理コード(印籠)にひれ伏せ愚民ども!」という態度である。

そもそも「炎上」自体がここまで見たように、「文系の知識があると自称する人々」によって燃やされたのであり、因果が逆転している。「文系」などいなければそもそも炎上はなかったので、「有用どころか逆に有害である証明」なのではなかろうか。


多様な見方を「世界からの視線」で抑圧する謎の「日本人」たち


なかには「そんな『あらゆる可能性』とか検討しなくても、コロンブスが旅をして類人猿に出会ったら、もうその瞬間にスタッフは飲んでるコーヒーを口から噴きださないとダメ」と断定する人もいたり、または「コロンブスを偉人呼ばわりしたら、その時点でコンプラ的にアウト。世界的常識」という人間もいた。

上記が正しいとするなら、「コロンビア」という国名もコロンブスを新大陸発見の偉人としてをたたえている雅称だから、コロンビア国民というだけで他人を傷つける「文化度の低い無知蒙昧な愚民ども」となるんじゃないのか。
サントリーとか上島珈琲の「コロンビア」というコーヒーも、植民地収奪肯定の邪悪な黒い汁であり、彼らは吐き出すのか?


https://x.com/yorinobu2/status/1801193965506715869

ほえ?

ポリコレ殿堂のハリウッドのコロンビア・ピクチャーズは??

アメリカの映画会社ほんとうに異常だな??


これらも「私がよくないと思う」というよりも「コンプラがー!」とか「世界的常識が~!」とか、「我こそが世界の倫理コードを知るものなり!!」(←なぜ?)という謎の全能感だ。

ともあれ、この「炎上」の特徴はなにだったかといえば、「それが実際には他の解釈が成り立つ可能性」などいくら指摘しても無意味なのだ。そもそも「『そう見えてしまうんだから』配慮しろ」と同調圧力をかけ、「教養がないゆえの無邪気さだが、許しがたい差別主義者の振る舞い」とされてしまう。

以下は、支配的な「見え方」をひろめた戦犯の一人ともいえる人物の言葉であるが象徴的だ。

https://x.com/rootsy/status/1801050124958789890

こうした語り手の特徴は「正しいとか正しくない」を判定する主体的な責任を放棄し、外から来た大きな倫理コードへの隷従を訴える。「制作者の意図とは異なりこうみえてしまうんだから配慮しろ」というロジックで人を掣肘する。すなわち「よくわからない倫理コード」をあたかも「世界的常識」かのように語り始めて、他者を支配しようとする。

そもそも意外と理解されてないのでちゃんと指摘しておけば、『コロンブス』のMVは実際には「差別的な(意図にみえてしまう配慮のない)MV」だから「炎上」したわけではないのだ。それは後付の理屈である。

この炎上においてなぜ『コロンブス』のMVに彼らが一種の耐えようのない「イラつき」に「気持ち悪さ」を感じて、燃やしたのか、燃やした人たちは全く意識してない。彼らにはその存在を許せない理由があった。その原因を解明しなくては、この「炎上」の意味もわからないのだ。

なぜ彼らは燃やしたのか?


ともあれ勝ち誇る人のなかには、こんなレベルの燦然と光り輝く「超逸材」までいた。


https://x.com/kohkiwatabe/status/1801154501946335573

MVでコロンブスと類人猿がテーブルを囲むシーンで「バッファローの角が画面中央におかれている」からこれは「ネイティブ・アメリカンを追い詰めたトロフィーであり政治的に正しくない(と見えてしまうからだめである)」と主張するのだ。

だが、よくある東南アジアの土産ものの水牛の角のようであり、なぜ彼にバッファロー(北米の野牛)だとわかったのだろうか。
そもそも水牛のいないアメリカではバイソン(野牛)のことをバッファロー(水牛)と呼ぶ誤用が広まっただけで、この両者は同じ牛でも全然違う見かけだ。

『コロンブス』MVより
水牛の角じゃないの、これ

あるいは水牛でも一角獣の角でもなんでも「そのように相手に思われて不快を与える可能性があるなら、お前が悪いんだ」という話なのだろうか。ほとんど朝田理論で「私たちが不快に感じたらそれが差別だ」みたいな話である。

さらには彼は「類人猿たちの住んでいる家」が「コロニアルスタイル」(後にプランテーション・スタイルと訂正)なのが「ハワイを連想させ、アメリカ帝国主義の延長線」と、「(世界からは)そう見えてしまう」とかいい出した。だが、そもそもこの家はコロンブスらが来る前から、類人猿たちが住んでいた電化住宅である。つまり類人猿側が帝国主義者ということか?類人猿たちが、その前にいた何かの知的生命体を滅ぼしたのだろうか?

むしろ逆に類人猿たちがバナナの葉で作ったような素朴なあばら家にでも住んでいたら、今度は「西欧文化の優位性を象徴している!正しくない!うぎゃあ」などといだしそうだ。

――つまりどんな家にすんでようが、あるいは壁になにが飾ってあろうが一度、難癖をつけようと思えば、ノストラダムスの大予言のように恣意的に読み解ける。「私は無限に難癖をつけることができますよ」といってるにすぎないわけである。
このように「人文系博士である私だったら牽強付会な難癖を無限につけられるんだぞ(と解釈するよりほかない)言説」を繰り返した後に、この渡部宏樹氏は、こういった。

https://x.com/kohkiwatabe/status/1801160423221412251

「人文系博士を雇っておくと、一回見ただけでもこれくらいのことは言えるので、大企業は雇ってみてはどうでしょうか?」


このポスト自体が、いかにも「ポリコレヤクザ」のようであり逆炎上した。確かにこうした人文系博士とかは社会経験の欠如のせいで、いい年齢になっても「中学生レベルの生半可通知識で難癖をつけて燃やす高度な能力」があるのは私も大いに感服し認めざるを得ない。だが、この人文系博士はその発言で逆炎上してしまい、防御力はゼロなのを一瞬で露呈した。つまり「敵ならウザいが味方にしても役にたたない」――例のあのタイプだ。

実際にC国のゲーム会社がそうした多様性配慮コンサルティングがもちかけられたのだが、コンサル料の支払いを断ると、そのコンサル会社によって攻撃された事例すらある。さまざまなジェンダー問題等の難癖によりゲームの批判記事を書かれ続けたのだ。だから笑い事では全然ない。
(――逆に多様性コンサルティングの結果生み出されたゲームが例の安土桃山時代の日本に虚実ないまぜで「黒人」を英雄主人公にした「アサシンクリードシャドウズ」)

自分がポリティカル・コレクトネスな難癖で炎上に加担した側の人間が、一方でポリコレ対策として自分を売り込みはじめるということは、彼自身に防御力がゼロな以上、マッチポンプ――「自分を雇わなければ(私が)炎上を引き起こしてやるぞ」という脅迫的な意味しか読み取れなくなるのではないか?

もちろん本人の意図にかかわらず「そう世の中から見えてしまう」という話だ(笑)

そうして欧米視線の内面化の最たるものとして「イエローが白人ぶって白人の差別思想を布教してる」とか「白人からイエローモンキーといわれる民族が白人コスプレしてるのがグロテスク」などという声がでてきた。

彼等が一体「日本人」をどのようにイメージしていて、一体どんな「白人」による「善意という悪意」にそのまま騙されてしまっているか、その「無意識」が表出している。なぜ外からの視線まで内面化して、「グロテスクだ」と「日本人」を捉えなくてはいけないのだろうか? 彼らはもちろん「多様性配慮」という西欧的な「正しさ」を自己に内面化して「それを理解できない日本人」を掣肘しようとしているのだが、それこそが西欧「白人」の自分たちが「正常」という観念を拡大していく巧妙な罠なのに気づいていない。
 

実は、『コロンブス』MVを自己の責任を放棄しながら、こうして炎上させた人々は「世界から、このMVがどのように見えるが分かってないのか。これが理解できないお前らは愚民である!世界から恥ずかしいぞ」みたいなことをいって、自己の教養や文化力を誇っていたが、現在のリベラル界隈の知的劣化そのものの態度であり、そのまま「白人中心世界」の普及の枠組みの中にいるのだ。実際には彼らは植民地主義の表象を批判するポストコロニアズムの書物も一冊も読んだことがない、もしくは読んだとしても理解できる知力がないのがわかる。なぜって彼らの反知性

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