死にたかった人が読んだジョージ・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』
私事ですが最近よく死にたいと思っており、本を読むとその手の記述が心に引っかかる。
この間も映画化が話題の『ぼぎわんが、来る』がすごく気に入り、あと2冊シリーズがあると知ってすぐ買って読んだ。
『来る』と同じく長編の『ずうのめ人形』も、短編集の『などらきの首』も、いわゆる陽キャ、リア充的な人たちへの悪意が凄すぎる&ホラーにスカッとジャパン、もしくは2ちゃんねる家庭板的なイライラエンターテイメントを持ち込むことで間口を広げてる…のかな? どっちにしろイライラからのスカっとの快楽、そしてもちろんホラーの面白さもあって中毒性あるなぁ面白いなぁすごいなぁと感心しつつ大変楽しく読んだのだけど、結局1番心に残ったのはこのセリフだった。
「自殺したら永久に苦しむなんて嘘よ。思い止まらせるための作り話に過ぎない。誰に聞いたか知らないけど」
――澤村伊智『などらきの首』学校は死の匂い
これ、映画版だと松たか子さんがめっちゃ格好良く演じてる、作中屈指の強キャラ・霊能者の比嘉琴子姉様が言ってくれてるんだよね。残念なことに、「こうこうこういう理由なので作り話」って根拠は書かれてないんだけど。
……信じていいのか?(いやダメか、根拠があっても結局作者さんの考えであって保証はない訳だし…)
けど本当に琴子さんって強くて格好良くて、作中での信頼度が並大抵のものではないので「琴子さんが言うんならもしかして…」って思っちゃう。
そして、この話を見るまでに意識的に「死んだら終わり! 無! だから死んだ後どうなるとかは考えなくてヨシ!」と思うようにしてたんだけど、やっぱり未来永劫続く地獄の苦しみとかが…あり得たりするんじゃないの…? だったら嫌だなぁ…という考えも首をもたげてきて…。
あと、それに関連して(?)「死にたい」でGoogle検索した人が一度は辿り着く名前でお馴染みの御方・坂口恭平さんが「死んだらどうなるのかを知っている人はこの世に一人もいないので、死ぬことが一番リスキーだと僕は思う」ということをツイートしていたのも気になってきて、ますますコワッ、という感じになってくる。
しかもこの理論だと危険なのは自殺に限らない。普通に事故とか病気とかで死んでもどうなるか分かんないじゃん? って子供の頃からあまり考えないようにしてきた『死への恐怖』ってヤツが輪郭くっきりで迫ってくる!
やめてくれ、もうイヤな思いしたりウジウジ悩んだりしたくないから死にたいって思ってるのにこんなこと考え出したら逃げ場なくなるよ~!
と、そんな時読んだのがこの『リンカーンとさまよえる霊魂たち』でした。前置き長くてごめんなさい。
こういうの書き慣れてないから頭に浮かんだこと全部盛り込みたくなっちゃうんだよね。
結婚式の夜、私は四十六歳で妻は十八歳だった。まあ、君が何を考えているかはわかる。ずっと年上の男(痩せているとは言えず、禿げかかっていて、片脚を引きずり、木製の義歯を入れている男)結婚による特権を行使し、憐れな若い娘を陵辱する――
しかし、それは事実と違う。
それこそ、まさに私が避けようとしたことだ。
<中略>
私は彼女にこう提案した。私たちは……友達でいましょう。外見上は、すべての点において、この関係がちゃんと成立しているように振る舞う。あなたは私の家でくつろぎ、好きなようにしてくれていい。ここをぜひ自分の家にしてください。それ以上のことを私は求めません。
<中略>
その次の日、彼女は私の机に手紙を残した。この気持ちを口に出して語ったり、行動で示したりすることは恥ずかしくてできないのですが――とメモは始まっていた――あなたの親切は望ましい結果を生み出しました。私は幸せです。”私たちの家”で本当にくつろいでいます。そして――彼女の言い方では――「私たちの幸せの境界線をさらに親密な方向へ、私のまだ知らない世界へと一緒に広げていただきたいのです」。そして彼女は「大人の生活の様々な側面において私を導いてくださった」ように、この点においても導いてくださいますようにと私に訴えていた。
この手紙を読んでから夕食の席に着くと――彼女は文字通り輝いていた。私たちは召使いの目の前で遠慮なく目配せをし合った。こんなにも見込みの薄い素材からこのようなものを一緒に生み出せたことに対して、二人とも喜んでいたのだ。
――ジョージ・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』より
それほど沢山海外文学読んでるわけじゃないんだけど『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』が好きで、本屋さんでこの本の表紙を見かけた時なんとなくワオっぽい匂いを感じて手に取ったんです。(ソーンダーズも名前見たことあるかも? ぐらいでよく知らない)で、パラパラっとめくってみたら、この冒頭で一気に引き込まれて。
ほら、私、誰かが一人称でべらべらしゃべりまくってる文体と、見た目とか地位とか金とかそういうのさておき優しさと思いやりで人と人とが愛し合う展開大好きじゃないですか? たぶん誰もご存じないと思うんですけどそうなんですよ。あと、善良な心で頑張って押さえ込んでるんだけど、セックスは普通にしたい、別に欲望を忘れた聖人君主ってわけじゃあないんですよ、って書き方も超ツボだから(その方が、我慢してでも相手を尊重してるってことがいっそう美しく尊く思えるからね)、この冒頭で一気に心捕まれて購入決定したんです。
で、「これからどんなラブラブエッチが読めるのかな~?」って胸高鳴らせながら、レジ持って行く間もパラパラめくってたんだけど…
そう、そうなんだ、なんという不運!
天井から梁が墜ちてきて、机に向かって座っている私に命中した。
めちゃめちゃ死んどるーー!!!
つーかタイトルのさまよえる霊魂の一人ってお前だったんかい!? ってなりまして。
まぁ悲しかったんだけど続きは気になったので一応買った。そしたらこの本、四十六歳のおじさんと十八歳の乙女が真心ある愛情を育むお話じゃなくて、あの世とこの世の合間をさまよう霊魂たちと、愛する息子を病気で失い嘆き悲しむリンカーン大統領、そして死んじゃった息子のウィリーくんのお話だったんですねえ。(タイトルでそう言ってるんだけどね、冒頭の語り手ヴォルマンさんがすごくいい人だったから何かの間違いであって欲しかったんだよね)
しかもそれだけじゃない。この本、一応歴史小説らしくて、リンカーン大統領が息子ウィリー君を亡くした時、何をしていたとかどいういう評価を得ていたとか南北戦争がどういう状況だったのかという史実も交えて書かれてる。私は恥ずかしながら学がないので南北戦争の歴史もリンカーン大統領のこともボンヤリとしか知らなかったんだけど、知らなくても全然わかったし、読めた。
今の私の精神状態、というか人生全体で気になってることに、
・なんでこの世はこんな酷いことばっかりあるの?
・めちゃくちゃ酷い目に遭っちゃった人はどうやって立ち直ればいいの?
という問題と疑問があり、小説とか映画とかでそういうテーマに立ち向かってる作品は少なくないと思うんだけど、私はこれまでフィクションの中でも酷いことが起こるのを見るのが辛くて怖くて、意図的に見ないように読まないようにしていた。もしくは、「もうダメです!」って感じで結局破滅とか諦めに至ってしまうようなお話ばっかり選んじゃってきた、と思う。
そういう関係もあって、未だに酷いことがある世界をどうやって認めるのか、また酷い目に遭ったことをどうやって受け入れればいいのか、答えを見つけられていない。
(当事者としても、『酷い目に遭った』人たちを眺める傍観者としても。このことを考えると自分の人生がうまく行ってる時でも行ってない時でも辛い気分になってしまう)
でもこの小説は、そういうところに触れてきた。
リンカーン大統領は、息子を死なせてしまったことを悲しみつつ、同時にめちゃくちゃ後悔してる。
ウィリー君は病気で亡くなったんだけど、それに対する自分の対応に明らかな落ち度があった、と彼は考えているので。
これは本当に辛いし、取り返しがつかない。
そもそも、我が子が死んじゃったってだけで”取り返しつかない”のに。
そのほかにも、この小説には取り返しのつかないことになってる霊魂たちばっかり出てくる。
せっかく心の通った奥さんとエッチする前に死んじゃったヴォルマンさんもそうだし、恋人に裏切られて自殺したんだけどやっぱ死ななきゃよかった、世界はこんなに美しかったのに! って後悔してるベヴィンズ三世もそうだし、美人だからって信じられない数レイプされてそれを哀れまれることもないまま死んで口がきけなくなった奴隷の女の子とか、独身で誰にも愛されることなくそして誰にも愛されることなく死んじゃったから人生に未練タラタラの三人組とか、死んじゃうことの取り返しのつかなさ、この世の酷いところが、不思議なことに「明るくて楽しい」ような気がする霊魂たちのおしゃべりで、たくさんたくさん聞かされる。
この本、帯に
「世界は美しく生きるに値すると思える……かもしれない、比類なき珍奇本」
とか、
「霊魂の、霊魂による、すべての生者のための物語」
とか書かれてて、ふーん、って感じで読み飛ばしてたんだけど、読み終わってみたら、かなりそうかもしれない。
たぶん、明日にはまたイヤだな…出来るだけ痛くも苦しくもない方法で死ねるなら楽なのにな…みたいな消極的に「死にたい」気持ちが沸いてきそうな気もするんだけど、とりあえず今日の夜ぐらいはこの本の聞かせてくれた沢山の語りが、「生きてたほうがいいや」と思わせてくれそうな気がする。
つーか、すごいな。こんな辛くて悲しいことばっかりの世界を、こんな楽しい、それに優しい感じで書けるのすごいな。
私は、人間って弱くて、自分勝手で、出来るだけ迷惑かけないように生きようと思っても迷惑をかけちゃうものだと思ってる。
同時に、本当のところは親切で、人を助けたいと思ってて、根っこはいいものだとも思ってる。
この小説はそういう風に書かれてるから、作品の中に浸っていて苦しくなかったし、安心した。
この世は酷いことばっかりあるし、酷い目に遭った人は、簡単には立ち直れない。
奇跡が起こって酷いことが消えることはないし、取り返しがつかないことばっかりだ。だけど。
だけど、人は基本的に親切なものだし、隣の人を、困ってる人を、自分より弱い存在を助けたいし、守りたいと思っている。
って思わせてくれるって、すごいことだと思いますよやっぱり。
そのときになって(いわばドアから外に出ようとして)、ようやく気づいたのだ。このすべてがいかに言葉で表せないほど“美しい”
か、我々の喜びのためにいかに精密に作られているか。そして自分はこの素晴らしい贈り物を無駄遣いしようとしているのだ、と。この広大な官能的楽園を毎日散策できるという、素晴らしい贈り物。この世は、ありとあらゆる崇高なものが美しく揃えられた崇高な市場だ。八月の傾いた陽ざしを浴びて昆虫の群れが踊り、雪の野原でくるぶしまで埋もれた三頭の黒い馬が頭でつつき合い、寒い秋の日にはオレンジ色に染まった窓から風に吹かれて牛の肉汁の匂いが漂ってくる――
ロジャー・ペヴィンス三世
最後に、これね、このくだりね。
最初に読んだ時はギャグっぽく感じるシーンなんだけど、ラストまで読んだら全然見方が変わるから。
(なんて『イニシエーション・ラブ』みたいな宣伝文句を使ってみた。いっぱいの人が読むといいなと思う。特に死にたい人が!)
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★noteで公開するにあたっての追記★
これは今年、2019年1月1日の日記だったのですが、今日までいろいろあって私は「めっちゃ死にたい人」から「出来れば死にたくない人」になりました。
しかし、それもこの小説を読み終わった時と同じように一時的なものでまたしっにってぇええ~~~~!!!! ってなってくるかもしれないので(というか過去の傾向を見ると絶対にそうなので)、そうならないように日々の考えを記録していきたいなと思っています。
読んでくださった方は、ありがとうございます!
ご縁がありましたら、今後共よろしくお願いします。