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kakimochi
手のひらサイズの哲学
先日は読書コミュニティで一緒に本について語る機会の多い、まいとさんとbook talkingを開催しました。
そして、ほんじゃーにーでも音声収録しましたので、公開しています。
ウェルビーイングや哲学について、思うがままに話してます。
それも打ち合わせは、全くなしw
何が語られるんだろうと頭を巡らせながら、対話するのはとても楽しい。
今回は、book talkingでも紹介していた永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』での気づきを書いていきます。
身近なことでも哲学に
哲学のイベントがあると、とても敷居の高いと感じていたことがあります。
純粋理論批判、形而上学などなど。
入門書を読んでみても全然ついていけずに、自分には向いていないんじゃないかなと思う時期がありました。
皆さんは、哲学と聴いてどんなイメージがありますか?
永井さんの本は、まさにそんな僕にとってとても哲学を身近なものとしてくれる本でした。
人々の口からまろび出る問いは、いろいろなかたちをしている。なぜひとは生まれるのでしょうか。大人ってなに。なぜひとの恋人は良さげに見えるのか。わかっちゃいるけど、やめられないのはなぜか。嫉妬はわるい感情なのか。社会を変えるには。ゆるしは必要か。エゴイスティックでない生き方はありえるのか。無ってなに。なんで冬にアイスが食べたくなるの。
人々と問いに取り組み、考える。哲学はこうやって、わたしたちの生と共にありつづけてきた。借り物の問いではない、わたしの問い。ささやかで、切実な呼びかけ。
そんな問いをもとに、世界に根ざしながら世界を見つめて考えることを、わたしは手のひらサイズの哲学と呼ぶ。
日常のなかでいろんな問いが頭に浮かんでは消えていることに気づかされました。
そして、どんなに些細な問いでも抽象化させていくと哲学になりえるから、恥ずかしがらずに思ったことを言っていいんだと許すことができました。
最近の些細な問い
そんななかで浮かんできた問いは、休みの日に何をしているときに自分は充実するのか?
今日はまさに、夏季休暇で予定があるにせよ1人の時間があります。
読書かな。映画かな。
それとも運動か。
同じ人間なのに、求めること、充実することが違うのも何がそうさせてしまうのかも、わかっているようでわかっていません。
とりあえず、今日は実家でランチしてから、主催する読書会をよりよい時間にすべく準備をしたいと思います。