その「自責」は何のため?:自責させてほくそ笑む者
この記事ですが、近年の成功者の吹聴する「自責=自己責任至上主義」に対する一定程度の反論としては、とても良いと思います。
ただ、もう一歩踏み込んで考えるなら、人々が自発的に自責思考をするように誘導しようとする成功者などの人間が何を目論んでいるのか?ということまで考察を進められていればパーフェクトでした。
一言で言えば、多くの人が自責思考をすることで、最終的に得をするのは一体誰?ということを考えようということです。
サービス残業をさせて過労死寸前まで追い込んでおきながら社員に「生活が苦しい、成績が上がらないのは自分のせい」という自責思考を吹き込むことで得をするのは誰でしょう?
高額のコンサル料をふんだくって、欠片も結果が出ないままなのに、改善に向けたアドバイスではなく、取るモノを取ったら「成果が出ないのは教えた通りにやらないお前が悪い」と自責思考を持ち出して得をするのは誰でしょう?
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世の中を見渡してみれば、自責思考を相手がするように誘導して自分の非を回避するのみならず、相手から搾取する道具にするというようなことは平気で行われています。
しかもそれを「相手のため」と吹聴して、です。
それがこの「自己責任」なる珍妙な日本語が横行する現代社会の偽らざる姿です。
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なので、自責思考ではなく、主体性の確立という方向に向き直る必要があります。
必要なのは自分を責めることではなく、自分を成長させて望みを果たすことのはずです。
ちなみに教育、コンサルの場合、教わる側にやる気が出ないのも含めて100%教える側に問題があります。
というのも、教わる側が結果をつかみ取るまで伴走するのが教える側の責任ですので。
吉田松陰の名言
「師道を興(おこ)さんとならば、妄(みだ)りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。必ず真に教うべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし」
とある通りです。
結果を出すまで責任を持つ気がないのであれば、誰かに教えるということをすべきではありません(自戒を込めて)。
なので「金の切れ目が縁の切れ目」のコンサル業を批判するのも、こういう面があります。
少なくともそれでも自分の持ついくばくかのモノを教えたいと言うのであれば、「絶対成功させる」だの「あなたにできないはずはない」だのというようなさも最後まで責任を持つというようなことを言って人を騙してはいけないのは、最低限の人間性でしょう。
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それはともかく、世の中かくのごとしですので、各人としては「妄りに人を師とすべからず」ですし、自責思考ではなく「自分が成功するプロセス」を現実に沿って考えることが大切であるということです。
コンサル業の宣伝が言うほど、どんな分野でもコンサルなんて大したことはできません。
つまり、普通の人とコンサルやアドバイザー、あるいは成功者との間に、学ばなければいけない程の大差があることはほとんどありません。
なので自責するほど自分を追い込む前に、自分が自責することがただの搾取される結果になっていないかどうか?をよく点検して、ダメなものはダメだと割り切ることができる余裕を持っておくことが大切です。