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記憶と記録

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自分自身について、自分をとりまくものについて
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2022年5月の記事一覧

日常のような公園で、非日常を。

幼いころから公園が好きだった。 幼稚園から小学校低学年くらいの頃、近所の友達とちかくの公園に行って遊んだ記憶がほんのり残っている。そこまで多くはないけれど、友達と遊んだ思い出のある公園がいくつかある。 いつからか、正月は家族で近くの公園にいき、羽子板のかわりにバドミントンをするのが風習になっていた。 大人になってから、公園は遊ぶところから休むところへと役割が変わったように思う。 滋賀県に引っ越してきてしばらく経ってから、暖かい陽気の日に外でご飯を食べたくなった。近くの

自分自身を生きるために

先日読んだ、とある記事から 塾講師をしていた大学生が卒業する高校生に向けて書いた "最後の授業" に刺される、社会人2年目の私。 自分の意志が足りない ここ最近、自分がどんな人でありたいかを考えることが増えた。 「まわりに頼られる、求められるひとになりたい」 「このひとと居たら楽しい、話すのが面白いと思われたい」 「ひとりの社会人として、いきいきと生きているように見られたい」 まわりに”こう見られたい” ”こう思われたい” が先行して、”自分自身である” 前に ”何

私が<滋賀で>はたらく理由 Vol.1

前に投稿したnoteの最後にこんなことを書いた。 自分の滋賀愛に気が付いたのは、ほんの2週間ほど前。それからは、この先も滋賀に居たいと胸を張って言えるようになった。 滋賀のどんなところに魅力を感じてきたのか、学生生活をふりかえりながら追いかけたいところだが、とても長くなるのでこのnoteでは今感じることを書こうと思う。 滋賀が好きなだけでは選べない 学生時代から私のまわりには、滋賀が好きだという人がたくさんいた。それでも、大学卒業後に滋賀にいることを選ぶ人は多くない。