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【表現評論】スピリットサークル 執着と時間【漫画】

この記事にはスピリットサークル含む様々な作品のネタバレが含まれます。

以前ヴァンパイア十字界の評論記事を書きました。

この漫画をどこから知ったのかといえば、次のワークショップ経由です。

ここで輪廻転生モノとしてヴァンパイア十字界と併記されていたのが、今回取り上げるスピリットサークルになります。しかしアレですね。ヴァンパイア十字界は絵がモロにガンガン厨二病的な絵柄ですし、スピリットサークルはギャグ漫画的な絵柄で真面目な作品に見えないという。どっちも絵柄でデバフがかかってるような気がしますが、スピリットサークルもヴァンパイア十字界同様、間違いなく傑作でした。

エンターテイメントで輪廻転生ものって、マイナージャンルではありますが、ひとつのジャンルとして認識されてるくらいにはメジャーですよね。どのくらい昔からあるかはわかりませんが、私が認識している古いものは三島の豊饒の海です。豊饒の海も浜松納言物語を下敷きにしていると記憶してるので、明治どころではなく、大昔からあるってことでしょうね。個人的にはこの手のジャンルは大好きで、以前記事を書いた久遠の絆はまさに輪廻転生モノのADVとしては最高傑作です。

あとゼノギアスなんかも輪廻モノと言えそうです。これはあらゆるゲームの中で最高傑作です。

どちらも90年代の作品ですが、90年代はオカルトブームでそういう流れがあったというのが通念でしょうか。今は転生といえば異世界転生ですが、輪廻転生は全く構造が違います。輪廻転生は過去に大きな罪(宿命)を背負い、それを清算するまでは延々と悲劇が続く構造です。ゼノギアスも久遠の絆もヴァンパイア十字界もスピリットサークルもほぼ同様の構造をしています。異世界転生は現世から逃避して新しい世界で楽しくやりましょうという構造です。一番違うところは、輪廻転生は基本的にずっと悲劇の流れなわけですね。悲劇の連鎖で話が暗い。輪廻ではありませんが、私の好きなシュタインズゲートも同じような構造をしています。

シュタゲも異世界転生が流行る前の作品なので、この手の悲劇の連鎖は今の世の中にマッチしなくなっているように思えます。もっといえば輪廻転生って努力の構造なんですよね。長い間もがき苦しんで過去を断ち切るという。これも遺伝子ゲーだの親ガチャだの言っている今の世にマッチしていないんじゃないでしょうか。などとしたり顔で分析していたら、突然爆発的な作品が出てくるのが世の中かもしれません。ちなみに世の中が遺伝子ゲー、運ゲーなのは否定し得ないところで、だからこそ(無駄にも思える)努力が映えるというのが、私の考えです。無駄なことをしてる人って何か惹かれないですか。しかも最終的にそれが無駄じゃなかったとなれば尚更ですよ。

話が逸れました。本題に戻ってスピリットサークルです。スピリットサークルも構造は上に挙げた作品群と似ています。とある人物の罪から端を発し、悲劇的な輪廻の物語を経て、現代で解決に向かうという流れです。特に周りも一緒に転生を繰り返し、時代によっては敵だったり味方だったりするという点は、久遠の絆と重なる部分が大きかったと思います。ただしスピリットサークルにしかない大きな特徴もあり、それが「転生の概念」と「時間の解釈」です。

なぜ登場人物が。輪廻を繰り返しているのか、それを初っ端に明かす作品もあれば、最後まで引っ張る作品もありますが、スピリットサークルは最後まで引っ張ります。

物語はフルトゥナという人物の罪に端を発しています。こいつは一言でいえばマッドサイエンティスト(作中では科学者ではなく霊学者ですが)で、自分の研究のためにとんでもない数の人間を犠牲にした系のアレです。とはいえ、その研究も最初は身内のひとりを救うためで、単純なマッドとは言えない面はありますが、身内以外の命が理解できないという、かなりのサイコパス性を持った人物です。

フルトゥナの家族のようなもので、フルトゥナの弟子でもあったコーコは、フルトゥナの悪行を見過ごせず、フルトゥナを倒そうとします。結果的にはコーコがフルトゥナが仕組んだ輪廻に巻き込まれ、二人は輪廻転生を繰り返すことになる、というのが最終巻で明かされます。

ということで詳細は読めば分かるわけですが、この作品が他の作品に比べて不思議なのは、フルトゥナが転生体は明らかに自分ではないと認識していたことです。現代では颯太として生まれたフルトゥナは、颯太が自分と同じものだという認識を強く持っていません。多分別人くらいに思ってます。ここは強く印象に残りました。フルトゥナは他の転生体が救われる選択肢があっても、自分、フルトゥナとして救われなければ意味がないとして、他の転生体とは異なった行動を取ろうとします。結果的にフルトゥナは他の転生体も自分であることを認め、自分が救われる道を諦めてしまいますが、フルトゥナのフルトゥナこそが真のフルトゥナであるような解釈は、多重人格設定ならありそうな話ですが、輪廻転生モノではあまり見たことのない何かでした。そして事件の解決を見せた後、颯太は過去世のことをほとんど忘れて生きていきます。このあっさり感というか、こんだけ転生だのなんだのいって6巻も引っ張った挙句、最後は今こそが重要だという結論に至るのは、独特なものがありました。作品は輪廻にまつわる因縁の決着でもなく、宿命の成就でもなく、執着からの解放というメッセージで幕を下ろします。ヴァンパイア十字界は過去の因縁にしっかりと決着をつけた作品でしたが、こちらは逆に輪廻転生に対して非常にメタ的な解答というか、お前らしょうもないことに執着してんじゃねえよと。今を生きろと。そういう話でしたね。今を生きるために過去のあれこれがあったとも言えるわけですが、最終的には今、この時、という結論です。ヴァンパイア十字界は過去の因縁(宿命)から絶対に逃げられない構造になっていたので、構造的に異なりますが、同じ輪廻転生でもメッセージ性の違いは明確に感じます。

もうひとつ不思議な点は「時間の解釈」です。スピリットサークルでは過去も未来も今も、単なる座標のひとつとしか考えられていません。過去、今、未来の区別が、我々が考えている意味においてはほとんどなく、全ての時がお互いに相関し合うようにできているという解釈です。魂が移り変わる順番はフルトゥナを基点としていますが、フルトゥナは実は現代よりはるかに未来の人物だったりします。すでに通常の時間の解釈ではイミフです。輪廻転生モノはほぼ全て転生が時間軸に沿って行われますが、スピリットサークルはそもそも時間軸の概念がないというか、おそらく方向軸と同じ程度の意味しか持っていない作品です。なんで時系列と魂が移り変わる順番はめちゃくちゃと言ってもいいです。ただメチャクチャに感じるのは我々の時間の解釈が過去から未来に一方通行という思い込みに囚われているからかもしれません。スピリットサークルはこのように不思議な時間の解釈を提供する作品でもありました。

初見の印象はこんな感じですが、読むほどに発見がありそうなので、再読してまた何かを見つけ出したら追記したいと思います。

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