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人生に張られた伏線を拾う

今日はサラリーマン時代を少し思い返して、今につながる気づきを話します。

僕が会社勤めを辞めたのは2012年ですから、もうかれこれ10年前になります。
よく、「親孝行したいときもう親はいない」みたいなことが言われますが、
親が言っていたことを回想してその意味がわかるのは、親がいなくなった後だったりするものです。
これは上司に関しても同じじゃないかなと思います。

もっと言うと、上司だけじゃなくて先生とかコーチとかトレーナーとか師範とかリーダーとか、「人生における先輩」という立場の人にはみんな当てはまるかもしれません。
僕たちは、少なからずそういった先輩たちの影響を受けながら生きていると思います。

僕の会社員時代に先輩たちから言われたことには、ネガティブな記憶も多くあります。たとえば、

「英語なんてどうせ使わないんだから勉強したって無駄だろ」
「サラリーマンたるもの定年まで勤め上げてなんぼやし」
「40代になると人生守りに入ってゴルフしか楽しみがなくなるしね」

僕の上司だった人たちというのはバブルの名残りを強く残す世代で、例えばこんなようなことを毎日喫煙所でぐちぐちとこぼしていました。

「最近の若い奴らときたら・・・」と根拠もない偏見を持って、価値観の押し付けのような愚痴や嫌味を言われてきましたし、
少数派であるロスジェネ就職氷河期世代の僕らからすると、上の大量採用バブル世代は会社という檻の中で定年を待つ拝酒主義的な人種集団のように映っていて (※本当失礼ですみません)、
そんな彼らへの反骨精神でもって会社生活を生きていたような気すらします。

そんな当時の言葉が自分の中に残っていたからか、
かえって必死になって語学学習して転職して英語を使う仕事に就きましたし、
転職とか起業への意欲は一層強くなりましたし、
未来のないおじさんになりたくなくて今でも年甲斐なく何事にも好奇心持って多動的に挑戦する全力中年をやっております。
先輩たちは、僕にとって体を張った反面教師になってくれています。

逆に、どんなに違う価値観を持った先輩であっても心に残る言葉というのはあって、ふとしたあるとき急に「ああ、あの時のあの言葉はそういう意味だったのか!」とポジティブに気づきをくれることがある。

それはまるで、ドラマを見ていて目の前できれいに伏線が回収されるのを見るような晴れやかな瞬間です。

新入社員の最初の課長に居酒屋に連れて行かれたとき。
客席に座って店員の女の子が注文を取ってくれたときに、
「お前には、なぜあの子の膝小僧が黒く汚れているかわかるか?」
「あの子の膝を見て、営業として学べることがあるんじゃないか?」
と諭されます。

当時の僕は、「いや、膝をついて接客してるからだろ」くらいにしか思いませんでした。

確かにそれは、「座っているお客さんよりも必ず目線が下になるようにするため」に毎回膝をついて接客しているからなのですが、
今考えるとそれは本人のおもてなし精神のことだけではなくて、
「膝が黒くなるほど懸命の接客を徹底できる従業員教育や職場風土が裏側にあるから」できているのであって、
もし当時の上司が自身のマネジメント論と照らし合わせてそこまで意図していたのであればなかなか深いなあと、経営者になった今だからわかる20年越しの新しい学びがあったりします。
(いや、そこまで考えてないかもしれませんが)

しかしそんなことに気づいた時、言った本人はたいてい目の前にいません。

僕たちは、そんな先輩たちが仕掛けた「人生における伏線」を回収しながら日々を生きているように思います。

僕自身がこれまで学んできたことで、若い世代に伝えられること・教えられることは多々あると思っていますが、
40を過ぎると、早くそれを次の世代に渡さなきゃいけないという使命感は強くなってきます。

ただ、僕自身が価値観の違う前の世代に対してネガティブな印象を持ったように、それを押し付けることはできない葛藤もある。

そしておそらく僕自身が発信していることや、何気なくかける言葉さえも、それを受け取る後輩の誰かの後の人生に大きく影響を与えるようなことがあるかもしれない。

誰かにとっての人生の先輩である以上は、良いことにも悪いことにも、自分の言葉の重みを理解しとかないといけないなと思っております。

(この記事は、2022年4月に社内向けに発信された内容をもとに編集を加えています)


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