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話すこと、書くこと、
昨日、旦那と久しぶりに喧嘩をした。
「最近、全然喧嘩とかしていないよね~」
と言っていたばかりのことだった。
私が頭の中で考えていたことを声に出して伝えなかったことで、二人の間で “嚙み合わない会話” が生まれてしまったのである。
私が頭の中で考えていたことを簡潔に表すと・・・
相手はきっとこうだろう。
だから私の気持ちは一旦置いておいて、相手のためにはこうした方がいいに違いない。
まったくもう。
相手がどう考えているなんて聞かないと分からないのに。
ましてや、自分の本当の気持ちを無視して勝手に行動するなんて。
しかも、旦那は隣にいたのである。
ちょっと聞けば解決したことなのだ。
そして、“簡潔”には上記のように考えていたのだが、実際自分の頭の中では文字に表せるほど簡単なものではなく、いろんな考え、想いが巡っている。
どう伝えるのが一番いいのか。
今までの経験だと、これは嫌がるよな。
こういう時に喜んでいた気がする。
私はこうした方がいいかも。
あ、そういえば・・・・
そんな想いが浮かんでは消えて、声に出して文章に組み立てることが難しい時が多々ある。
頭では多くの事を考えているのだけど、それを口に出して、声に乗せて発することが怖い。声に出してしまうと消せないから。後戻りできないから。どう伝えたら、一番自分の本当の気持ちをうまく伝えられるのかが分からない。
喧嘩になったときは、ちゃんと向き合わなければいけないから、声にしないと分からないから話すのだけれど、なんだか頭で思っていることの断片断片を切り取って出てくる言葉は自分が伝えたいものではない。
そうしてさらに噛み合わない会話が加速する。
だから、話すことが苦手だ。
文字ではうまく伝えられるのに。
あれ?
今は文字を書くことで自分の気持ちを書き出せているけれど、文字でも伝えられなかった頃の自分の気持ちはどこへ行っていたのだろう。
昔から無口だった私。
人の話を「うんうん」と聞く側の事が多かった私。
いい子でいなければと思っていた私。
わがままを言えなかった私。
だから、自分のこうしたい、ああしたい、をずっと胸の奥にしまい込んでいて。気づけばなかなかそういう気持ちが出てこなく、伝えられなくなっていた。
自分のこころの声を無視し続けていると
簡単には出てこなくなってしまうのである
でも、今は違う。
声に出して伝えることが下手でも、文章に書いて伝えることはできる。
文字を書く手、キーボードをたたく手を通じて本当に思っていることが少しずつ顔を出してくれる感覚がある。
さらには、そうして伝えることで自分の気持ちを出す手段としてだけではなく、誰かの支えに、刺激に、気づきになることがある。私の文章を「好き」と言ってくれる人がいる。文章を書いてほしいと言ってくれる人がいる。
書くことすら苦手な自分だったのに。
自分の気持ちも分からなくなっていたのに。
今では書くことが楽しい。
自分の知らない自分に出会えることが楽しい。
新しい出会いが生まれることが楽しい。
自分の想いを、誰かの想いを、伝えきることが楽しい。
ねえ、過去の自分よ。
こんな未来を想像していただろうか。
書くことを軸にどんどん拡がる世界。
もっと先も見てみたいと思う私は欲張りなのかもしれない。
話すこと、書くこと、それ以外の伝える手段。
何が苦手でも得意でも良いと思っていて。
だけど、自分の気持ちを伝える手段を何かは持っておいた方が、良い方に向かえるのかもな。と思ったり。
みんなが各々の心地良い方を見つけられたらいいよね。
そういえば、
書いていくうちにどんどん話が逸れて忘れかけていたけど、この話の発端は旦那と喧嘩したことだった。
私の今の課題は、話すことで想いをうまく伝えること。
書き出してから話せばうまく伝えられるんだけどな。
頭の中で思い浮かんでくる言葉をちゃんとキャッチして、丁寧なボールを投げられるような人になりたい。そして、投げ返されたボールをしっかり受け止めたい。
ちなみに、旦那と喧嘩したときは、次の日に持ち越さない決まりとしているので、今日の朝からは元通り、仲良く過ごしているのでご心配なく。
一緒に白いブラックサンダーを頬張りながら、「やっぱこれおいしいよねぇ」と言い合っている日曜夕方。
私がこうやってnoteを書いている後ろで「そろそろお腹すいてきたかも」と言っているので、夜ご飯にします。
ヤゲン軟骨をつまみに、改めて仲直りの乾杯をしようか。