求めているのは理解ある対応?都合の良い対応?

うつ病の話になると、『理解』というワードがよく出てきます。


うつ病の当事者じゃなくても、「病気に理解がある」とか「理解ある対応」という言葉を見聞きしたことはあると思います。

ですが、"理解"って何でしょう?どんな対応をしてくれることを「理解がある」と呼ぶのでしょうか?


これ自体にハッキリとした定義はありません。

ですが『理解がある』を別の言葉に置き換えると、『うつ病だからといって差別しない』などと言えるかな、と思います。


確かに、うつ病というだけで言葉の暴力を振るわれる、マイナス評価を下される、酷い態度を取られる、そんなことは絶対に間違っています。

そんなことがただの差別であることは、疑う余地もありません。


…でもだからといって、うつ病の人の身に起こる不都合を何でもすぐ差別だと言うのも、間違いだと僕は思います。


実際に僕が見聞きした話ですが…

職場で何か仕事を振られると障がい者雇用でもないのに、すぐ精神障害者福祉手帳を出して「は?私うつ病なんですけどー」などと文句を言って、仕事をしない。

健常者のご友人が何かつらいことや悩みなどを話すと、すぐ「うつ病のほうが大変だ」とか、「病気がない人は楽だ」などと、不幸マウンティングをする。

自分で出来ることもすぐ周りに押し付ける。仕事でも遊びでも、ドタキャンを繰り返す。それを迷惑がられたり注意されたりしたら、「差別だ!理解がない!」などと一方的な被害者かのような顔をする。


身に起こる不都合を全て病気のせいだと言い張り、自分の発言や行動を全く反省しようともしない。


…このような振る舞いをしていれば、人間関係を壊すのは当然ですよね。僕も他のうつ病の人から色々されましたが、同じ病気であってもやはり腹は立ちます。

本当に病気のせいである部分も、もちろんあるでしょう。病気である以上どうしてもコントロールできない、どうにもならないこともあります。

でも、それが理屈として理解できても、迷惑を繰り返されれば「いい加減にしろよ…」と、差別的な対応をしたくなるのも、してしまうのも、人として自然な流れでしょう。


うつ病だからというだけで差別を受ける。無数にある病気のうちのただの1つに過ぎないのに、症状だけではなく、理解がない社会にも苦しまなければならない。

そんなことは絶対に間違っています。

そんなことを減らすためにも、正しい認識を広めていく必要があります。


ですが、うつ病の人の身に起きる不都合が、全てうつ病のせいなのか、全て理不尽な差別なのか、というと、必ずしもそうとは限らない。

僕も色んな言葉の暴力を振るわれ、色んな差別的なことをされました。ですが、当時を振り返ると「そりゃ、それぐらいしたくもなるよね…」とむしろ相手に申し訳なくなるものもたくさんあります。


自分が周りに求めているのが、"理解ある対応"なのか、それとも、ただの"都合の良い対応"なのか、今一度落ち着いて振り返るべきだと思います。


未来の自分の、生きやすさのためにも。
未来の自分を、守るためにも。

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錦山まる
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