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介護者である父の暴力


止められない母への暴力

 そもそも短期で気性の荒い父は、認知症の母に対しても頻繁に激昂します。母の物忘れや行動が遅かったりすれば罵詈雑言、嫉妬妄想による母の妄言に対しては物を投げたり、手をあげることもあるのです。阻止しようと何度も試みましたが、未だに暴言・暴力は続いています。
 ところが帰郷して2ヶ月、私の態度にも変化があることは否めません。介護生活を積み重ねれば積み重ねるほど、母とコミュニケーションをとればとるほど苛々や不快感は増す一方です。暴力はありませんが、2ヶ月前よりは厳しく詰め寄ることもあります。私の一番のストレスは、母に振り回されることです。外出の約束をしても5分もすれば忘れてしまいます。分かっていても感情をコントロールできないことが多々あるのです。私の未熟さゆえですが。
 数日前のこと、母の妄言がはじまり、父に「とっとと彼女のところへ行け」「色気狂い」と1時間程度罵られ、キレた父はティッシュの箱を至近距離から投げつけました。すぐに割って入りますが、父の怒りはおさまりません。母の嫉妬妄想と妄言・独言が終わるのを待つしかないのです。

エスカレートする暴力

 老老介護の両親が心配で帰郷したにも関わらず、私が戻ったことで母の症状は悪化し、父の暴力は増えたように感じています。

そのことを父に話したところ、意外な答えが返ってきました。「お前が返ってきて、前より強気になった」と言うのです。確かに母の独言の中に、「◯◯◯(私の名前)が返ってきたから私は大丈夫だから。あなたは彼女のとこに行けばいい」というセリフが頻繁に出てきます。父曰く、私が戻る前にはなかった発言のようです。最近は毎日何度も聞くセリフです。
 事実私への要求と依存度は増しているように感じています。腰が痛いからと動きたがらず、「あれ取って、もってきて」、外出したいときも私の都合など確認することがなくなりました。「爺ちゃんに頼んだら色々うるさいから」と何時にどこへ連れて行くよう私に指示してくるのです。
 1日をすべて介護に充てるわけにはいきません。フリーランスになった今、1日も早く最低限の収入を得る環境を整えなくてはいけません。想定外の事態に、私自身の感情も少しずつ変化が起き始めているのだと思います。

父への理解

 膀胱癌を患い、人工膀胱を装着する生活になった父、間もなく9年が経とうとしています。酒好きは癌になってもかわることはありませんが、容姿はすっかり老け込んでしまいました。腰は曲がってしまい、前歯も1本抜けたまま放置した状態です。そのことで外出をためらうので、何度も治療を促すのですが、「もうどうでもいい」と言うことを聞きません。本来、定期的に受けなければいけない癌の検査も3年前から受けていない状況です。
「早く死にたいからいい」
息子の私にとっては、何とも心が痛む言葉です。

生真面目な性格

 冒頭短期で気性が荒い父と書きましたが、かつては公務員として家族を養ってくれました。いわゆる「外面がいい父」というのが私の印象です。外で良い人な分、家で反動が出るタイプなのでしょう。こよなく酒を愛していますが、外で呑むことが嫌いで、誘われでもしない限り家でダラダラ呑む男です。そんな父の浮気など、これまで一度たりとも心配したことはありません。
 そんな父が毎日受ける母からの妄言。
「彼女が夜中に家に来て、お父さんと楽しそうにお酒を呑んでる」
「デイサービスに行ってる間に彼女に会ってる」
「(父が)若い時に真面目だったから今ごろ女に目覚めた」
「早く彼女のところへ行けばいい」
「彼女が家にあがって私の物を捨てている」
書いて問題ないセリフはこれくらいで、あとは下品で驚くような言葉もあります。父はもう4年間屈辱的な妄言を浴び続けているのです。
生真面目だからこそ許容できない言葉ある。
自分だったら耐えられるのか。真剣に考えるようになったのです。

母だけを理解しようとしていた自分

 暴力は許されません。これまでの私は、父の罵声や暴力が母の進行を加速させていると考えていました。認知症を受け入れ、病気について知識をもってもらうことで父の行動に変化が起きることを期待していたのです。しかし問題はもっと根深いものでした。私の中で、勝手に「母は弱者、父は強者」というイメージが出来上がっていたのです。介護にどちらが加害者でどちらが被害者というようなことはないはずです。父も言葉の暴力を受け続けてきたのです。この4年間。
 被介護者から心理的虐待を受けた介護者が、自身も逆に被介護者に対して虐待行為を行うリスクが高まるという相関が確認された報告があります。介護者がストレスや不適切な対処方法を抱えている場合、そのリスクがさらに増加することが示唆された研究報告です。

 老老介護を支える立場として、二人を公平に観て接することが大切だと気づかされました。

初めて聞けた父の本音

 その後、父と膝を突き合わせて母の今後について話しました。帰郷前の私は、母を入院させ父と距離をとることも必要だと考えていたのです。もちろん二人のために。しかし父にその選択肢はなく、自分が耐えれば済むことと拒んできました。また精神科の受診を断固拒絶する母をみて、もう数ヶ月も病院へ行ってない状況です。
 しかし母の進行具合は無視できない状況にあることは父も理解しています。私が連れて行く条件で精神科を受診させることにようやく納得。どうしても精神科に抵抗があるのでしょう。一方、父の条件は、
「医者が入院を勧めてもすぐには入院させない」
私も理解を示しました。
「残り少ない人生、家で飯を食わせてやりたいし、家で寝かせてやりたい」
「あいつには苦労かけてるから」
54年間、父からそんな言葉聞くのは初めてでした。
介護生活における幸福感、まさかオヤジから頂戴するとは……。


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