アップ 病院担当は完全に私になったようです。母を連れて診察へ。連休明けの影響か、待合室は驚くほど人で埋めつくされています。認知症専門機関なので、その半分は私と同じ付き添いでしょう。こんなに多くの認知症の方と同じ空間にいるのは初めての体験でした。 受付を済ませ、母と横並びで座ります。隣の患者さんは看護師らしき方を捕まえて、ずっと旦那を不満を漏らしています。 「いつも決まって夜の8時に来るのよ」 母と同じ嫉妬妄想だと気づき、クスッと笑ってしまいました。 正面には車椅子の患者さ
諦念 介護生活は3ヶ月が過ぎました。親に対して持ってはいけない感情なのですが……。日に日に深まっていく感情が2つあります。 どうせ伝えても覚えてない どうせ話しても聞こえない 結果的に、被介護者である母とのコミュニケーションが減っています。先日、母に頼まれて美容室へ連れて行きました。その車中、私に色々と話かけてきますが頷く程度。話題が広がることはありません。それでも一方的に話続ける母に苛立つ自分。まして同じ話を何度も繰り返されると大きくため息をつく始末です。 「こんな
いつ事件が起きてもおかしくない 介護ノートを振り返ると先週の水曜、腰痛を理由にデイ・サービスを休んでから。母の嫉妬妄想による妄言と独言が急速に悪化しました。悪化とは、発現時間を示します。独言が始まった時間と終わった時間、トリガーとなった要因をすべて記録しています。2ヶ月前は、ほぼ夕食後30分から1時間の間に始まるのがパターンでした。1日に起きて1回、2回です。発生頻度と発現時間は日を追うごとに増加傾向にあり、ここ数日は食事と寝ているとき以外は独言一色です。しばらく正常な母を
狂気と理性の狭間 母の独言がはじまって4時間になります。認知症の母の妄想攻撃は毎日数回起きます。父は朝から外出しており、母と二人で留守番。実は初めての状況です。今の正直な気持ちは…… 「気が狂いそうです」 独言を止める方法はあるのでしょうか。母の独言につき合わされるといつも思うことがあります。その様子を録画して母に見せてはどうか、と。 妄想攻撃や独言中は意味がないことは想像できます。理由はコミュニケーションが成立しないからです。こちらの声はほぼ聞こえないのか、認識できな
初めて折れた心 ある日の深夜2時過ぎ、母の独言で起こされます。引き戸を挟んで正面に座り込んでいる様子。いつもより声が大きいような。1時間ほど放っておきましたが、耐えきれずに母をなだめて寝るよう促しました。しかし独言から私への訴えにかわります。 「お父さん、彼女のとこへ行けばいいのよ」 「私は(離婚の)覚悟はできている」 「そうすれば、夜中にコソコソ彼女を呼ばなくていい」 嫉妬妄想による妄言です。キリがないので引き戸を閉めて床につきました。少ししてようやく諦めたのか、階段を降
悪化を感じさせる行動の変化 深夜0時をまわった頃だったと思います。母の独言が始まりました。1時間ほどが経過し、父の怒号が響きます。母は水をかけられたようで、ブツブツ文句を言いながら階段を上がってきたのです。そのままノックもなく引き戸をあけ、 「お父さん、彼女がいるのよ」 「今まで黙ってたけど、お母さんもう耐えられない」 勿論初めての訴えではありません。落ち着かせようと声をかけますが妄言は続きます。諦めた私は、母に背中を向けて布団を頭から被ったのです。独言は、そこから1時間以
止められない母への暴力 そもそも短期で気性の荒い父は、認知症の母に対しても頻繁に激昂します。母の物忘れや行動が遅かったりすれば罵詈雑言、嫉妬妄想による母の妄言に対しては物を投げたり、手をあげることもあるのです。阻止しようと何度も試みましたが、未だに暴言・暴力は続いています。 ところが帰郷して2ヶ月、私の態度にも変化があることは否めません。介護生活を積み重ねれば積み重ねるほど、母とコミュニケーションをとればとるほど苛々や不快感は増す一方です。暴力はありませんが、2ヶ月前より
明らかに進行している認知症 帰郷して間もなく2ヶ月になります。素人目からも明らかに認知症が進行していることを感じます。父も「お前が戻ってから酷くなってる」と同じ印象をもっているようです。私の帰郷が母にとっては大きな環境の変化になったのかもしれません。特にこの3日間、「別人の母」が1日の半分以上「本来の母」を上回っています。 正直なところ、私は疲弊しています。苛立ちもあります。でも今、反省していることがふたつあるのです。 母の目を見て話すことが減っている 「どうせ〜」が
食欲旺盛か、覚えてないのか 深夜0時過ぎに始まった母の独言は3時半まで続きました。その間、缶ビール500mlを1本とアンパンを一つ、スーパーで買ったしらすを1パックを食べたようです。朝はいつも通り6時に目覚めるも、寝不足でご機嫌斜め。月曜なのでデイサービスがあることを伝えると、急に体調不良を訴えはじめます。私は行くことを勧めましたが、最終決定権を持つ父が承諾。 承諾前は食欲がなく、何も食べれないと言ってた母でしたが、私の朝食をみて自分も食べたいというのです。父の顔色を伺い
些細なことに大きなダメージがある 朝味噌汁をつくり終え、鍋蓋を探すも見当たりません。前夜洗い物をしてくれた母に「蓋はどこにやった?」と声をかけると、「知らんよ。何でも私に聞かないで」とご立腹。ここから宝探し(そう呼ぶようにしています)のスタートです。嫉妬妄想に関係性が薄いものは捨てる確率は低いようです。 5分後に見つけました。カレー用のお皿と一緒に重ねられてました。母に発見を伝えると、「私がそんなとこに置くはずがない。私は知らんよ」と。このようなやり取りが毎日2~3回はあり
認知症介護者のポジティブな側面ある海外研究論文 認知症の母を介護するようになってから、ネットで関連ページを探すことが増えました。実家に戻る前は、認知症の知識に関することが多かったのですが、最近は介護者に関連することが大半を占めます。 その中で、「認知症介護者のポジティブな側面」というキーワードをみつけました。PAC(Positive Aspects of Caregiving)という学術用語で、近年欧米で研究が進んでいるそうです。 介護生活が始まって2ヶ月弱。日に日にス
36年ぶりの帰郷 高校卒業と同時に実家を離れ、2024年は54歳を数えた。36年という年月は街の風景も変えてしまう。幼い頃は家の真ん前にある田んぼと、近くを流れる川でよく遊んだ記憶がある。今や駅は近代的な建物にかわり、大型商業施設ができた。あっという間の36年だったが、街を見ると長い年月が過ぎたことを実感する。実家を離れる時、「二度とこの街には戻らない」、いや「戻りたくない」と強く決心したにも関わらず。 認知症と診断された母 異変を感じたのは4年前。余程のことがない限り、