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深まる2つのあきらめ感情


諦念

 介護生活は3ヶ月が過ぎました。親に対して持ってはいけない感情なのですが……。日に日に深まっていく感情が2つあります。

  • どうせ伝えても覚えてない

  • どうせ話しても聞こえない

結果的に、被介護者である母とのコミュニケーションが減っています。先日、母に頼まれて美容室へ連れて行きました。その車中、私に色々と話かけてきますが頷く程度。話題が広がることはありません。それでも一方的に話続ける母に苛立つ自分。まして同じ話を何度も繰り返されると大きくため息をつく始末です。
「こんなんじゃいけない」とわかっているのですが。
 自分の心をコントロールするために、この点について調べてみました。

スティグマ

 スティグマは、疾病・障害をもつ人への偏見・差別。認知症の人を弱く、何もできない存在であるとする固定概念が恐怖や動揺、自己不信という偏見を生み、話すことを避けたり、手助けを拒否したりする行動です。自己隔離(self-isolation)というらしいのですが、まさしく今の私です。
 認知症スティグマには、セルフスティグマと公的スティグマ、連合的スティグマがあるそうです。

野口泰司、斎藤民:認知症のスティグマ

このモデルを見るに、恥ずかしながら我が家には連合的スティグマが発生しています。私と父は、母に対して「どうせ忘れる」「一人ではできない」という否定的な感情をもっています。逆に母は「私はまだ認知症ではない」というのでセルフスティグマはなさそうです。
 資料では認知症スティグマの低減方法について触れています。ポイントをまとめると……

◼︎否定的な信念を変える
◼︎認知症について正しく学ぶ
◼︎教育プログラムに参加する

ふむふむ…理解はできますが、刺さりが弱いのが本音です。
私にとっては、認知症に関する知識を得ることで、自分自身のストレスは少なからず軽減されていると感じます。しかし否定的な信念を変えることは容易ではありません。今の私は「耐える」ことで乗り切る他ありません。
信念を変えること、私の成長と時間が必要です。

父に対しても同様に

 コミュニケーションの低下は母だけではありません。父も老人性難聴がかなり進行しており、普通の声量では聴きとることができません。普通に話かけても「え?」と聞き返されるので、声量を上げて再度内容を伝えます。介護を始めた当初はさほどストレスに感じませんでしたが、徐々にジャブが効いてきたようです。
 逆パターンもあります。最近では父と母が同時に喋ることもストレスに。ニュースを見ている時に二人が会話をすると、よほどテレビの音量を上げなければ聴きとることができません。頭のどこかに「父に話しても聞こえない」という諦念があることは否めません。よって父に対しても声をかけることが減ったように感じています。高齢者との同居では、ごく当たり前のことなのでしょうが。介護生活に入る前には想像していなかった問題です。長かった自由な一人暮らしが生んだ私の”甘え”です。
 さて、早速「関わることを諦めない」を実践します。


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