昔の記憶と今と

お越し頂き、ありがとうございます。


繊細お節介セラピストのこちゃんです!


介護老人保健施設で非常勤として理学療法士をやってます。😊


記事の内容が伝わりやすいように、さらっと私の特性を書いておきます。


・ADHD(注意欠陥多動性障害)
・ASD(自閉症スペクトラム障害)
・APD(聴覚情報処理障害)
・気分変調症
・HSP
・不安障害
・愛着障害、アダルトチルドレン



小学生の頃の話。
母と歩いていて話の流れで尋ねられた。
「将来の夢は?」と。
私は「普通でいい」とだけ答えた。
母に「普通が一番難しいのよ」と言われたのを覚えている。


私はどんな理由でそれを言ったのだろうと、今になって考える。
ただ、なりたいものが無かったから適当に答えたのか、はたまた父と母の生き方が辛そうに見えたからそう言ったのか…。


両方だと思う。


幼稚園児の頃、画用紙を渡され、「将来の夢を書いてください」と言われたとき、困り果てていたのを覚えてる。
周りのみんながスラスラ書くから、私は隣の子の「お花屋さん」という夢をパクって書いた。


あの空間は、夢のない子にとっては地獄だ。
それほど幼い頃から、夢を持てない子供だった。



また、幼い頃から父は怒鳴る人で、とてつもなく気分屋だった。
仕事のストレスを遠慮もなく家に持ち込む人で、顔色を伺って振り回されたし、「生きるのは辛い」と植え付けられていた。



そして、私たち兄妹は、幼い頃から両親の不仲を感じていた。
「普通でいい」と言ったのは、温かい家庭に憧れていたのかもしれない。



兄妹3人とも結婚をしていないのは、そんな家庭で育ったからだろう。
現に姉は、「両親の姿を見てて結婚に夢が持てなくなった」と随分前に言っていた。



その頃母に、「普通が一番難しい」と言われたが、今になって自分の特性上ムリだということが身にしみてる。


もちろん、発達障害と診断されたのは30歳頃だし、その頃は気分変調症も愛着障害も不安障害もない。
母にそんな先見の明があるとも思えない。



しかし、もう40歳になろうとしている。
10代後半から39歳にかけては、病気、障害との戦いで、仕事だけと言っていいほどそれだけ頑張ってきて、生きることと向き合うことに必死だった。
他になにかする余裕もなかった。


そうこうしているうちに、子供が産めない歳になって、結婚だって今の状態では絶望的になった。


結婚しなくても、友人が居ればいいが、私は人間関係を疎かにしてきたから、一人として居ない。
今考えれば仕方がなかったのだ。
病気や障害を抱えて生きていくことに、いっぱいいっぱいだった。



今欲しいと言ったって、大人になると「友人」と呼べる存在にはなり得ない。
気心しれた友達というものには、この人生では生涯出逢うことがないだろう。


結婚や友人を諦めてでも、生き抜ける「なにか」を探しながら行きていけたらと思う。

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