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イグジステンス あるいは存在のイっちゃいそうな軽さ 【13/13】
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わたしはドトールでアイスカフェオレを飲みながら、ぼんやりしていた。
二人がけの席の正面では、カップルがじゃれている。
ブサイクな女が、ブサイクな男にグチグチと痴れ事を並べていた。
見ているだけで虫唾が走るくらいブサイクなカップルだ。
「だってそうじゃん……」女が言った。「ミチホだっていつも言ってるもん。スキとかスキじゃないとかって、ちゃと言ってくれなきゃわかんないじゃん」
ブハっ、とカフェオレを噴き出しそうになった。
ああいうのは本当に理解できない。
みんな簡単に、好きとかキライとかを口にしすぎると思う。
まるで誰かを好きでないと、自分という存在がなくなるかのように、みんな誰かのことを好きであろうとする。
まあ、好きは好きでいいのかもしれないけど、口 に出して好きと言わないと自分の存在自体がすべて死んでしまうとでも思っているのか、それを必死で口にして押し付けがましくアピールする。
わたしは女子高生の姿をしてドトールでくつろいでいた。
場所がドトールだけに、女子高生姿のわたしは目だっただろう。
紺色のカラーのついた夏用のセーラー服に、膝丈より少し上のスカート。
顔立ちはあどけないけれども、角度によってはぞっとするほど女らしいなまめかしさが芽吹いている。
セージュンだけど、見よう によってはとんでもなくエロい。
そんな少女の姿で、宿題をするふりをしてアイフォンでラジオを聴いていた。
本当の女子高生はドトールなんかで宿題をしない。
最近の女子高生はスターバックスで宿題をやる。
それはいいとして……この姿は誰の姿でもない。
わたしが……というか、わたしの中のロリコンのおっさん的な部分が 作り出した姿。
彼女はどこにも存在しない。
そんな姿をしたわたしのことを、向かい側のテーブル席に座っている溜まっていそうな三〇代くらいのサラリーマンが、頻繁にチラ見してくる。
ああ、いっぺんでいいからあんなカワイイ女子高生とヤってみてえなあ、という声が、テレパシーなんかなくてもじゅうぶんにこっちまで響いて くる。
でも、この女子高生は存在しない。
どの高校にも通っていないし、どの家にも帰らない。
誰かの娘や誰かの姉や、誰かの妹でもない。
たぶん向かい側のテーブルのサラリーマンは、
「あの子、彼氏いるのかな。いたとしたら、うらやましいよなあ」
と思っているかもしれないが、彼氏なんかいるわけない。
あのサラリーマンがよそ見でもすれば、次にこちらを向いた時には、もうこの席には女子高生はいないだろう。
きっと、別の誰かが座っている。
ウェーブのかかった栗色の髪をかきあげる、豊満な身体をした熟女かもしれない。
脱色した淡い色の髪が昔のジョディ・フォスターを思わせる、華奢だけど巨乳な小娘かもしれない。
あるいは不誠実を絵に書いたような、女を自分勝手にバックから攻めるしか能のない“鳥貴族”好きのクソ男かもしれない。
ひょっとすると、そんな“誰か”ではない、まったく別の“誰か”かもしれない。
ちょうどサラリーマンがよそ見をしたので、わたしはとくに誰でもない誰かの 姿になった。
彼にしてみれば、ぎょっとさせられた上に、ゾッとさせられて、踏んだり蹴ったりだったはずだ。
わたしが成り変わったのは、大きな顔をしてのっぺりした顔をゆらゆら、ゆらゆらと揺らして座っている、どうみても異様な男……牛島の姿だった。
サラリーマンはわたしの姿を見て一瞬驚いたようだが、少し首をかしげてから、今度は別の方向を見た。
視線の先を追うと、そこには就職活動中らしいリクルートスーツ姿のとっぽい感じの女子大生がいて、せっせと履歴書を書いている。
ほらね。
他人のことなんて、みんなそんなに真剣に気にかけてないんだから。
と、そこで入口の方に目をやると、若い女性が店内に入ってきた。
はっと目を引くくらい素敵な脚のかたちが引き立つパンツスーツ姿。
でも、すばらしく健康的な身体をしているのに、はなんだか足取りに力がない。
カウンターで注文する後ろ姿……お尻がとてもかっこいい。
きゅっと上がっていて、それでいてほどよいボリューム感があって。
わたしのなかのおっさんの部分で、ふるいつきたくなるお尻だった。
女性が窓際の席につく……わたしの座っている場所からその横顔が見えたが、どこかうつろだ。
いや。いやいやいやいや。
あれはわたしだ。
わたしの抜け殻だ。
憂いを帯びた横顔とスタイルのよさがあまりにも美しかったので、あれがもとのわたしだとはぜんぜん気づかなかった。
わたしの抜け殻……太田結衣は、その後もわたしが送っていた普段通りの生活を送っているらしい。
ところでわたしは牛島の姿をしている。
ひょっとするとこの姿にはまだ、牛島の意識の残りがどこかにこびりついているのかもしれない。
窓際の席で一人寂しくアイスコーヒーを飲んでいる、憂い顔のわたしの抜け殻を見ていると……
なんだか胸が締め付けられるような気がしてきた。
これは、牛 島がわたしに抱いていた感情の残り香なのかもしれない。
わたしはわたし……わたしは今、太田結衣を置き去りにし、誰でもない意識として、自由に暮らしている。
かつて牛島がそうしていたように。
しかし、肉体に取り残された太田結衣は、どんな気分なのだろうか?
飯田みたいな男とは、ちゃんと切れたのだろうか?
それとも、またろくでもない男に引っかかって、悲しい、寂しい思いをしているのではないだろうか?
わたしはふと、わたし自身が恋しくなった。
置き去り、見捨ててしまった自分自身が、とても哀れになった。
猫や犬を捨てたりしたら、こんな気分になるのだろうか。
あるいは、自分が産んだわが子を捨てたとしたら。
わたしから解放されたわたしは、こんなにも自由に楽しく過ごしているのに、わたしの抜け殻に取り残された太田結衣は相変わらず……冴えない日常にうんざりしているように見える。
わたしのことはわたし自身がいちばんよく知っているはずだと、昔は思っていた。
しかしこうして離れて見てみたとき、はじめてわたしは、わたし自身のことを“愛しい”と思った。
牛島の姿をしているから、この姿にその名残がまだ残っていて、そう思わせているのかもしれない。
それにしても、わたしがわたしを愛しく思う気持ちは消えなかった。
いま彼女は……どんな男とつきあっているのだろうか。
わたしは思った。想像してみた。
そしていいことを思いついた。
太田結衣に戻るのはイヤだけれども、今度そっと、いま彼女がつきあっている男になり変わって、彼女のいまの暮らしぶりを覗いてみよう、と。
その男が自分勝手でイヤなやつじゃないか、彼女を悲しくさせていないか。
あるいはセックスが極端 に下手だったり自分本位だったりしないか……それを確かめてみよう。
そしてあんまり不幸せな様子だったら、今度このドトールで会ったときは声をかけてあげよう、と。
そして、もっと人生を楽しく、自由に、ラクに過ごせる秘訣を教えてあげよう、と。
それにしても牛島の姿で声をかけたら、太田結衣は喜ばないだろうな、とわたしは思った。
わたしがイヤだったことは、彼女だってイヤに違いないのだから。
そんなことを考えながら、わたしは牛島の姿からうなぎを思わせる黒いスーツの老人の姿になって、店を後にした。
外からウィンドー越しに、街頭を見つめる太田結衣のうつろな顔を見た。
いやあ、ほんと。
シケた顔してないで…………人生気楽に、楽しくいこうよ。
せっかくの美人が、だいなしだよ。
<了>
なんだこれは。わけがわからんじゃないか、て人は↓こちらからもう一度